2021年4月16日金曜日

活字中毒者の妄言-13


略語・隠語・専門用語

就職して68歳で企業人を終えるまで45年間情報技術(Information TechnologyIT)に関わってきた。当初はITと言う言葉さえなく“コンピュータ”や“システム”がそれと同様な意味で使われていた。この分野は現在でもそうだが、やたらと略語や業界用語(ジャーゴン)が多く、それをいち早く使えることが専門家としての力量と取られることさえある。明治期欧米科学技術を導入する際訳語に苦慮した先人たちに比べ、全く軽薄な世界である。“IT”が流行り出したころ当時の森首相が「イット」と言って揶揄されたことがある。彼に限らず、この世代(私より2歳上)で社会的地位もある人でも“IT”と聞いて由来を直ぐに連想できる人は少なかったと思う。「何がおかしい!」と開き直れなかったところが彼の政治家としての限界かも知れない。40代前半、工場の課長職に在ったとき、英語の使い手として社内でも抜きんでていた工場次長に報告書を提出したところ、「略語集作って持って来い!」と命じられたことがある。IT用語に限らず、行政用語すらネイティブの人には通用しない略語やカタカナが溢れる昨今、出版社や著者にそう叫びたくなる書籍があまりに多い。今回はこの略語・隠語・専門用語を話題にしてみたい。

漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベット・アラビア数字、これだけの多種の文字を使いこなしている国家・民族は他にない。西欧文明との接触が遥かに早かった中国が近代化で日本に遅れをとったのは、漢字だけしか文字がなかったことに一因がある。加えて文明開化以降外来語を略す表現法が、さらにその効率を向上させている。身近な例だけでも、テレビ、パソコン、ワープロ、コンビニ、スマホなど本家では通じない日本語が続々誕生している。一般向け新聞・雑誌には、SDGs(持続可能開発目標)、ESG(環境・社会・企業統治)、CSR(企業の社会的責任)、SNS(知り合いネットワーク)、AI(人工知能)、DXITをベースにする社会・経済変革)などが注もなく日常的に現れる。名詞ばかりではなく、トラブる(Trouble)やバズる(Buzz;特定の事柄を話題にする)のような動詞も日本語化しつつある。このような言葉に読者として如何に対応していけば良いのか?出版社や著者はどう対処すべきか?考えさせられる。


先ずこのような語彙に対する、個人的な受け取り方である。フィクション(小説)とノンフィクションでははっきり違う。フィクションの場合、会話の部分で使われるならば、知らない言葉は「いったい何のことだ?(後で分かるだろう)」、知っている言葉は「まあ仕方ない」といささか引っかかりながらも読み進める。子供の頃読めない漢字が出てきたときに近い感覚だ。読書中いちいち字引を引いたりしていては興が削がれる。しかし、ノンフィクションではそうはいかない。特にカタカナ、アルファベットは気になって仕方がない。例えば、「風と共に去りぬ」の主演女優を“ビビアン・リー”と書かれると“ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh)”の勝気な美しさが一気に消え去り、内容が如何に素晴らしい作品でも、後味の悪い読後感となる。最近の本では“スマホ”を多用するものがダメだ。せめて一度“スマフォ”、出来れば“スマートフォン”と記した上で使って欲しい(注1)。日本語化の前に言語(英語)の記述を知っていることを分からせてほしいのだ。英略語の場合は、本来のフルスペリングを知りたくなる。無論IBMInternational Business Machine)のように世界的に通用するものは別だが、充分日本語化の進んでいないものは、一言意味を理解できる手掛かりを添えて欲しい。例えば、私は理解しているが、KPIKey Performance Index;重要な経営指標)やIoTInternet of Things;あらゆるものがインターネットにつながる環境)など、何の注釈も無く使われると文意が全く通じなくなってしまう。


これに対する出版社・著者側の対応はどうか(主としてノンフィクションの)?総じて学者と本格派ノンフィクション作家の書くものはしっかりしている。文章の流れの中に補足を挿入するもの、“注”マークを付け、頁や章の終わりに説明を加えるもの、略語表を添付するもの、などで理解を助けてくれる(注2)。しかし、IT関連で流行を追う若手には時に酷いのが居るから要注意だ。学者と言うより新しものがり屋のマニアと言っていいような者が、メディア受けし、流行り言葉を多用することでブームに便乗する。「新語を知らないのは遅れている」のごとくだ。

ではその分野の学者以外の専門家が書くものはどうか?専門家の場合、執筆のきっかけあるいは出版社の意図(特に読者対象)がどこにあるかによって、言葉の使い分けや説明を変えることが必要になる。一般向け啓蒙書であればかなり丁寧な解説を要するし、専門家向けであれば、専門用語を駆使することで簡潔に論旨が伝わり易くなることもある。問題は、著者・編集者がこのことをしっかり意識して著書を仕上げているか?読者もそれを確かめた上で購入したか?にある。これは単に用語の問題ではなく書籍の基本要件なのだが、なかなか難しく、私もしばしばミスマッチングを起こしている。

書籍ではないが新聞では日経が新語利用に熱心だ。当初は言葉の解説などすることもあるが、あとは略語をバンバン使う。日経には“経済知力テスト”があるくらいだから、これも「知っていのが当たり前」の立ち位置で記事が書かれる。ビジネスの現場を離れたり縁のない者(主婦を含む)に日経新聞が敬遠される大きな理由だろう。

言いたいことは、隠語はともかく、カタカナ日本語や英略語、専門用語使用が悪いと言うことでなく、「想定読者向けに配慮した適切な補足説明や、明治期の素晴らしい訳語に匹敵するような訳語を作り出す努力をしてほしい」と言うことである。

それにしてもコンピュータを「電脳」と訳した中国人の先見性には感心する。“電子計算機”ではAIの世界までカヴァーする印象は沸かない。

 

(注1);「スマホ脳」;精神医学者によるスマフォ利用の問題点。原題はスウェーデン語で「スクリーン脳」。デジタル・ツール(スマフォ、PC、タブレット端末)利用による精神不安定、集中力の欠如などを科学的に解説。

(注2);「5G」;第5世代移動通信規格(5G)の入門書。略語、専門用語の説明に優れる。

 

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