■洋書
洋書に初めて触れたのは高校時代ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「KWAIDAN(怪談)」、日本の出版社が発行したものだ。短編集で、日本語の注があり、「耳なし芳一」など日本語で既に知っていた話もあったから、比較的楽に読めた。次に想い出に残るのはチャーチルの「My Early Life(わが半生)」、これも我が国の出版社が出したものがあり、大学1年の夏休みの宿題「英語の本を一冊読み、感想文を提出せよ」に応えたものである。実は、訳本が出ていたので、レポートは専らそれに頼った(笑)。内容は少年時代からボ-ア戦争くらいまでの自伝で、これを読んでいたおかげで、後年オックスフォードに近い彼の生家ブレナム宮殿を見学した際、彼に対する親近感が大いに増した。こんな僅かでいい加減な洋書との付き合いも、外資系(ExxonMobil)石油会社就職で一変する。1年間の教育・見習い期間を終え、工場技術部に配属されるとキングジムファイル3冊分の「Design Practice(設計手順書)」が与えられ、以後の仕事はこれに基づいて進めなければならないのだ。全般的な使い方や一部演習は先輩が終業後工場内や寮で教えてくれたが、自身の実務に関わるところは一人で処理しなくてはならない。先ず英文の書物を手に取ることに抵抗感をなくすことを目論んで、身近に英文雑誌を“置く”こととし、写真週刊誌「LIFE(アジア版)」を定期購入した。1960年代は宇宙開発とヴェトナム戦争が記事の中心、昔も今も乗物と戦争は最大の関心事だし、写真説明の文章は短く分かり易い。「設計手順書」は技術解説だから文章表現に難しさはない。また手順は一度理解できれば英文も日本文も変わらない。これで仕事英文の壁は何とか乗り越え、少しずつ本格的な英文書物に近づく道が開けてきた。
ペーパーバックを読みだすのは本社勤務になってから。オフィスビルの一階には書店の洋書部が在ったし、帰宅途上乗換地の日本橋で丸善によく立ち寄った。求めたのは主として、軍事サスペンス小説、航空小説が多く、中には武器商人を扱ったノンフィクションなどもあった。ジャック・ヒギンス(英)の「The Eagle has landed(鷲は舞い降りた)」(ナチス降下兵とIRAによるチャーチル拉致計画)やトム・クランシー(米)の「The Hunt for Red October(レッド・オクトーバーを追え)」を始めとするJack Ryanシリーズ(CIAの分析官だったJackは大統領にまで登りつめる)、スティーブン・ハンター(米)のSwaggerシリーズ(祖父・父・子と三代にわたる凄腕海兵隊狙撃手一家)などはすっかり嵌まってしまい、邦訳が出るのを待ち切れず、講読したものである。しかし、これで失敗したのがスパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレの作品である。それまでに何編か翻訳物を読んでいたので原著に挑戦した。「The Russian House(ロシア・ハウス;英国海外諜報部MI-6ソ連担当部門の別名)」(末期のソ連スパイ疑惑)がそれである。昨年末亡くなった際、英誌は「彼はただのスパイ小説家ではない。ノーベル文学賞候補に擬せられても良いほどの優れた文学者であった」と報じたように、先に挙げた作家のような活劇中心の物語展開ではなく、複雑な人間心理や社会システムと多重スパイの組み合わせが読みどころである。また、必ずしもハッピーエンドに向かって収束していかないのも特徴と言える。それ故に訳本ですら注意深く読み進めていかないと、敵味方・作戦の成否さえ判別しにくくなる。このような構成と文章表現は「単語さえわかれば文意はつかめる」と言う内容ではなく、私の英語読解力では歯が立たないのだ。10%くらい読んだところで挫折、爾後彼の作品は邦訳が出版されるまで待つことにした。小説の場合スジが単純で会話体が多いと読み易いが、文学作品としては評価されない。そのあたりが洋書を楽しめる限界である。
ノンフィクションの洗礼を受けたのは1983年カリフォルニア大学バークレー校(UCB)の経営大学院管理者向け短期コース(2カ月)参加である。教材として使われたのはエズラ・ヴォ―ゲルの「Japan as Number 1」や当時評価の高かったマッキンゼー出身のトム・ピータースが著した「In Search of Excellence(エクセレント・カンパニー)」など20冊を超える経営や社会時評に関する著書(これ以外にファイル1冊分の文献コピー)、「隅から隅まで読むことはないが、目を通しておくこと」と予習が課せられる。この“目を通す”(Go through)が日本人にとっては曲者、それでも小見出しやキーワードで話題になりそうなところを見つけ出し、その前後を丁寧に読むことで何とか授業を切り抜けた。この手法は、その後のノンフィクション講読に大いに役立っている。
現役引退後洋書の小説を読むことは無くなった。最大の理由は冷戦崩壊で軍事サスペンスのテーマが矮小になったことにあるが、都心へ出かけ機会が激減、気軽に立ち寄り洋書に触れる機会がないことも大きい。馴染みの作家でない限り、通販でいきなり求める気は起らないからだ。それにひきかえノンフィクションは、軍事・諜報・外交・エネルギー・伝記など年に4,5冊は読んでいる。それらの多くは、現役時代米国で求め未読だったものだが、2007年約半年英国でOR(Operations Research;軍事作戦への数理応用)の歴史研究を行った際指導教官から貸与された書籍に記されていた参考文献に載っていた本のタイトルや著者名から探っていったものも多い(ほとんど古書)。また、日本語のノンフィクションを読んでいて興味ある情報を見つけると、検索エンジンで関連書籍を調べAmazon経由で求めることもある。これらは購入履歴が確り彼らのデータベースに蓄積されているので、“お薦め”の関連最新洋書情報が送られてくる。技術開発・国際政治・外交・エネルギーに関する書籍は、洋書講読に熱心な友人からの情報やNYタイムズ・オンラインの“Books欄(Book Review、Best Sellers)”を参考にし、Amazonの読者評(英文)も閲覧して購入の是非を決めている。最近の例では、1992年「石油の世紀」でピュリッツァー賞を受賞したダニエル・ヤーギンの最新作「The New Map:Energy, Climate, and Clash of Nations」(2020年刊)に対して「過去のデータ分析が主体で将来が見えてこない」との評がいくつかあったので見送ることにした。
小説もノンフィクションも優れた訳が早い時期に出版されれば、わざわざ洋書を買うことは無いと考えるが、軍事技術や特定の人物(軍人、軍事に関わった英米独の科学者)の伝記・回想録はその可能性が少なく、この分野は当分原書講読が続きそうだ。
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