2021年5月7日金曜日

活字中毒者の妄言-15


本選び

このテーマはこれから何度も話題にすることになるので、今回は全般的なところを語ってみたい。

小学生・中学生時代は子供向け世界名作全集など小説を図書室から借り出し、片っ端から読んだ。だからと言うわけでもないが、高校以降の読書傾向は極端にノンフィクションに偏ることになる。

高校・大学時代、定期的に講読していた刊行物(月刊雑誌)や参考書類を別にすれば、本を買えるのは小遣いやアルバイト代が入ったときくらい。その金も本より映画優先だったから、高価な単行本など買う余裕はなかったし、じっくり読書に時間を割くこともなかった。

高校時代比較的よく求めたのは、数学、地理・旅行、歴史関連、ほとんど新書である。地理は世界地理、歴史も世界史、数学も数式の少ない数学史が多かった。書籍ではないが映画も、専ら洋画。つまり外国かぶれの典型である。やはり、敗戦の影響は大きかったと思うし、今になって思えば、見事な米国の洗脳策だった気もしてくる。とにかくアメリカが輝いて見えたし、西欧は戦争で荒廃したとはいえ、日本よりは遥かに豊かで美しく、進んだ社会との思いが強かった。この点で明治維新期の日本人と変わらない(“今に見ていろ!”の気概も含めて)。ただ、少なくとも高校時代は舶来を賛美するばかりでなく、好奇心と文化比較がそこにあり、これは今に続いている。


海外へ出かける機会など社会人ですらまれな時代、「一生のうちに外国へ行けることなどあるだろうか?」が当時の海外観である。それを少しでも解消してくれるのが本や映画だったわけである。世界史・人文地理は無論、数学に関して読んだ「零の発見」「無限と連続」も出てくるのは外国・外国人ばかりである。これが後にどれだけ役に立ったか計り知れない。拙い英語力を雑談時補ってくれたのである。

ネットなどなかった時代、書物に関する情報源は、広告(主に新聞・雑誌)、書評(あまり読まなかったが)、学友を通じての口コミ、それに書店立ち寄り、それに読んだ書物の参考文献である。この中で圧倒的に多かったのは書店立ち寄りである。通学・通勤の帰途上立ち寄る店は決まっており、これは企業人現役を去る2007年(68歳)まで続いた。先ず、新刊文庫・新書コーナーを巡り、平積みを一瞥した後、既刊の文庫・新書区画に移り、ここでも平積みや表紙面を立てかけたものに面白そうなものが無いかどうか一覧する。そして、分野別に場所や棚を設けた単行本(ハードカバー)の区画に移る。軍事・戦史、旅・乗物、IT・数理関連、国際関係・海外事情そして英語とビジネス書。ここは、平積みは少なく背表紙をこちらに向けているだけだから、題名が気になるものを手に取ってパラパラっと中身を閲覧、「面白そうだ」と感じたら、著者経歴、あとがき(あるいは序)などに目を通してみる。これで、大体購入すべきか否かが決まる。買う買わないは一先ず置いて、書店立ち寄りの楽しみは、俗事から解放されるここのひと時にある。およそ30分から1時間位、至福の時を過ごす。

興味をほとんど持たない分野がある。自然科学系では人間の身体を含めた生物・医学関連と天文、人文科学系では国内政治・法学、文学・芸術、それに各種ハウツーものである。たまたま、これら分野の本を買うのは、友人の勧めや新書などを読んでいて参考文献として紹介されていたものに触発されるものがあったときくらいである。この体験からすれば、私の読書傾向は、好みの情報ばかり集めると批判の多いSNSと大差ない気もする。代表的な例は直近の外交問題を扱う反中・嫌韓本をここ数年手にしないようにしている(社会史的なものは読むが)。韓国人と仕事を通じて親しく付き合ったし、一党独裁の中共は大嫌いだが、中国史には惹かれるからだ。


さて、最近の本選びである。最寄りの書店は徒歩15分のヨーカ堂の中にある熊澤書店(チェーン店)、週2回は買い物ついでに立ち寄っている。雑誌や文庫・新書の新刊書チェックは現役時代と同じだが、置いてある種類・部数が少なく、取り寄せになることが多い。そうなると通販の方が早いので、どうしてもそちらになってしまう。単行本は都心の大型店に比べると段違いに少ないので「まず手に取って」の楽しみは味わえない。先日真山仁「ロッキード」はたまたま1冊置いてあるのを見つけ購入したが、極めてまれなことだ。

このように最近は書店より通販で購入することが多く、それもAmazonに極端に偏っている(楽天と比べ納期が確実に早い)。では通販で求める本をどう選んでいるか?書評、広告が最初の動機になることが多い。また、新潮社や文藝春秋社の出版物は“お知らせ”が来るよう登録してあるし、Amazonは購入歴から分析して案内が送られてくる(とんでもなく見当違いもあるが)。ただ、この方法では意外な本を手に取ることは無く、書店立ち寄りに比べ、知らず知らずのうちに、読書範囲を狭めているような恐れがある。


それを避けるために、読書案内や読書エッセイ(例えば出久根達郎「本と暮らせば」)を丹念に読む。また、いくつかの書評Web(ブログ、ホームページ)をお気に入りに登録、ときどきそこを覗きに行っている。例えば、松岡正剛の「千夜千冊」、「読書人WEB」、鹿島茂が主宰する「ALL REVIEWS」などがそれらであるが、本を探すことよりも、そこに記された書評を楽しみ学ぶことに傾斜してしまい、本来の目的にそぐわない。最大の理由は、取り上げられる書籍が比較的関心が薄い人文科学系であることによる。

私の読書は「何かのために」ではなく、「面白く時間を過ごせる本はないかな」にあるので、やはりぶらっと書店に入り、独特の雰囲気を味わいながら、“犬も歩けば棒に当たる”風選書がピッタリ。コロナ禍が収まったら、大型書店徘徊を再開したいと思う今日この頃である。

 

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