2022年2月28日月曜日

今月の本棚-163(2022年2月分)

 

<今月読んだ本>

1)日本ハードボイルド全集第2巻 大藪春彦編;東京創元社(文庫)

2)新聞記者、本屋になる(落合博); 光文社(新書)

3)沈没船博士(山舩晃太郎);新潮社

4)やがて哀しき外国語(村上春樹);講談社

5AI監獄ウィグル(ジェフリー・ケイン);新潮社

6)ロシアトヨタ戦記(西谷公明);中央公論新社

 

<愚評昧説>

1)日本ハードボイルド全集第2巻 大藪春彦編

-全編に共通するのはワンマンアーミーによる反権力・銃撃戦、銃器解説で物語はしばし中断-

 


たまに読むサスペンス(軍事や諜報あるいは狙撃)小説は専ら外国作品。我が国ではこの分野に制約が多く、なかなか面白味と臨場感を兼ね備えた作品が生まれにくいからだ。

ここで重要な役割を果たす小道具は酒と銃器。007シリーズの「ロシアより愛をこめて」では食堂車でのワインの選択で殺し屋を察知する。銃器が主役を占めるものにはスティーブン・ハンターの凄腕狙撃手スワイガー・シリーズが代表だろう。これに匹敵する本邦作品は劇画のゴルゴ13くらい、小説では先ずお目にかかれない。唯一の例外が大藪春彦である。

大藪の作品(長編、中編、短編集)を単行本で読んだことはない。デビュー作である「野獣死すべし」(1958年刊)は仲代達矢主演の映画(1959年上映)で知っただけだし、他の作品は出張時、週刊誌で断片的に読んだものばかりである。それでも強く印象づけられたのが詳細な銃器の構造・操作のシーン、「軍や警察と関わったことが無い者が何故こんなに詳しいのか?」と疑問を持つほどだ。それも拳銃ばかりでなく狙撃銃や自動小銃まで扱うのだから驚きだった。爾来外国作品で銃撃戦が描かれると大藪のことが脳裏を過り、いつかその作品を集中的に読んでみたいと思っていた。だから書店で平積みになった本書を見つけた時、即購入となったわけである。

本書はタイトルにあるように全集(全7巻)として編まれたものの1巻である。他は生島治郎、河野典生、仁木悦子、結城昌治、都築道夫が取り上げられそれに傑作集が1巻となっている。いずれの作家も名前は知っているが“ハードボイルド”と言う印象はない。スリラーのようなおどろおどろしさやミステリーの複雑な謎解きはなく、冷徹・非情・精緻・タフネスが私にとってはそのキーワードだからだ。この点でここに収められた大藪作品はほぼこの要件に適っている。

選ばれた作品は10話、代表作の「野獣死すべし」、270頁におよぶ長編「無法の街」、この他は20頁~40頁の短編が7話、70頁の中編が1話となっている。つまり短編が際立って多い。逆に銃器を主題とした「凶銃ルーガー08」「凶銃ワルサーP38」、長編の「蘇る金狼」などは組まれておらず、いささか期待外れだった。しかし、短編を多数並べることで、大藪の特色がはっきり見え、その点では効果的な編集になっている。

そこから共通項をまとめると;①すべてワンマンアーミーによる反権力・反組織(警察を含む)、②主人公は優れた銃の使い手、③ときに銃器の扱い・性能説明が冗長で物語が中断する、④暴力描写がくどい、である。一気に10話も読んだので食傷、当分未読作品を読む気はしない。ハードボイルドは冷徹・冷酷であってもどこかスカッとした読後感が残るものだが、それが感じられなかった。

気になったので作者の生い立ちを少し調べてみた。1935年ソウル生まれ、父は旧制中学教師、終戦時は召集されており19469月母と3人の妹と伴に苦労して香川県に引揚げている。帰国後父と再会、高松一高、四国のクリスチャンカレッジ(キリスト教に馴染めず退学、しかしこの時代米国ハードボイルド作品(例えば、レイモンド・チャンドラー)を原著で徹底的に読んでいる)で学んでいるが、この間脊椎カリエスを患っている。高校時代から左翼思想に染まり、反権力はここで育まれる。早大に20歳過ぎてから入学、射撃部に所属、後年海外で狩猟など行い、日本の民間人には触れることが出来ない銃器も扱ったようだ。この経歴から陰鬱な作風に納得した。

 

2)新聞記者、本屋になる

-典型的な斜陽産業である活字産業に60歳直前に参入、幼児が成人するまで持続できるのだろうか?-

 


1983年半ばから石油精製・石油化学企業でITサービスを行う新事業立ち上げに深く関わり、新会社を19857月に発足させた。当時流行りであったグループ内業務の分社化ではなく、外部へ打って出る計画だったからリスク含みではあったが、幸い経営戦略(化学プロセス産業特化)が功を奏し2003年退任まで右上がりの成長を続けることが出来た。しかし、振り返ってみれば、何と言っても時代の追い風に恵まれたことが大きい。計画検討段階の通産省・郵政省の見通しもそれを予見していたし、昨今のスマフォの普及やDX(デジタルトランスフォーメーション)ブームを見れば、容易に理解できよう。逆風ではこうはいかない。

現役時代最もよく利用したのは飲食店を除けば書店だろう。その書店が年々周辺から消えていく。書籍・雑誌の売上高はピークの199626500億円から2020年には12200億円へと60%減、活字産業は典型的な斜陽産業であることは明らかだ。生き残る書籍取扱い企業は大規模チェーン店かAmazonに代表される通販。私自身本代の23Amazonに貢いでいる。そんな逆風下で個人経営の書店を始めるなど、いくら活字愛好者の私でも考えられない。本書はそれをやってのけた人物の報告書である。

著者は1958年生れ、大学卒業後読売新聞社(大阪)に入社、主にスポーツ分野を担当し短期間のスポーツ雑誌社勤務を経て毎日新聞社(東京)に転じ、最後は論説委員(スポーツ・体育担当)を務め定年少し前(2017年;58歳)に早期退職して書店主となった人。

「何故、今本屋?」これが私の一番知りたいことだったし、本人もそんな質問を多く受けていたようである。しかし本文中「自分でもよく分からない」とかわし「それよりも(本屋開業、経営に関する)方法を語ろう」と本旨をそこにおいて話は進められる。しかし、前歴の新聞記者時代を語り、60歳以降(論説委員退任)の見通しの中で、答えらしきものが散見される。一つは初子(男)が2014年に誕生しており、その子が成人するまでの収入確保策としてである。65歳まで再雇用は可能だが収入も役割も大幅減、物書き専業で稼ぐのは元新聞記者でも難しく、消去法で書店経営が浮かんでくるのだ。夫人は現役看護師、郷里は佐賀、ここで書店を開くことを著者は漠然と考える。2015年から仕事の合間に本屋巡礼を開始、関係者の声を聞きながら夢と現実を調和させていく。

古書か新刊書か。古書の粗利益は89割、対する新刊書は23割、しかし古書は経験がものをいい新参者が近付けるビジネスでないことが分かってくる。新刊書は何を扱うか、客層をどこに置くか、雑誌やベストセラーよりも絵本が良いのではないか、買い取りか委託販売か、どのくらいの規模からスタートするか、何処にどの程度の店を構えるか(佐賀は早い段階で消える)、収支見通しはどうか、経営セミナーや講習会にも参加、少しずつ構想が具体化していく。本書の過半はこれら活動の細部を語るもので、男のロマンよりは事業解説に主眼が置かれる。

2017年会社設立、資本金100万円、4月店舗オープン(長く使われていなかった木材倉庫をリノベーション、浅草田原町、店名;Readin’ Writin’)。絵本を中心に三百十数冊(すべて買い取り;在庫リスクはあるが利益率が良い)からスタート。分野選別(顧客;文系女子、選書;絵本、フェミニズム・ジェンダー、移民、食、浅草もの。ベストセラーは扱わない)、経営形態工夫(オシャレな店;書籍、雑貨(文具)、カフェ、イヴェント(有料、年100回以上)の組合せ)で、年間売上高は1千万円を超え(純益は百万円に達していないようだが)、コロナ禍にも拘らず2020年度決算は過去最高、蔵書は5千冊にまで成長している。ランチェスター経営戦略で言う“弱者の戦略”成功例ではなかろうか。私の“化学プロセス産業特化”と相通ずるところがあり、応援したくなる書店だが、選書が好みと全く異なるのは残念だ。

 

3)沈没船博士

-地中海で、カリブ海で、海中に潜り、沈没した古代船・貿易船・奴隷船の復元再構築に挑む日本人船舶考古学者の半生記-

 


20歳代まで趣味と書く欄があると迷わず“映画鑑賞”と記すほどの映画ファンだった。一週二回くらい二本立てを中心に観ていた。ほとんどは洋画である。そんな中で時に記憶がよみがえるものが何本かある。ノンフィクションでは何と言っても「沈黙の世界」、これはフランスの海洋学者ジャック=イヴ・クスト―が後に「死刑台のエレヴェーター」で有名になるルイ・マルと共同監督した作品で、クストー自身が地中海で、紅海で、インド洋で海中に潜り撮影した海洋記録映画である。躍動するイルカの群れ、サメに襲われる子鯨、美しい珊瑚礁、1956年に封切られたこの映画は、翌年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞とカンヌ映画祭グランプリ(パルム・ドール)賞を獲得している。本書を読んでいて重なってきたのがその映画である。

クストーは1949年仏海軍を退役した元大佐、海軍時代アクアラング(レギュレータ)を発明しているほど潜水とは縁が深い。その経験を生かし退役後は海洋生物や海中にある歴史的遺物の調査・研究を進め、水中考古学の先駆者として後世にその名を残している。

本書著者は1984年生まれの水中考古学者(船舶考古学専攻)。そんな研究者が日本にいるとすら思いもよらなかった。我が国でその研究活動・成果を見聞した記憶がないからだ。歴史あるいは海洋・水産に関わる大学の専攻分野にもそのような学科は寡聞にして知らない。著者はそれを米テキサス農工大(テキサスA&M;工学系では優れた大学)で学び博士号まで取得している。本書は先ずそこに至る若き日の紆余曲折の日々を語り、次いで自身が取り組んだ船舶考古学の数々の探査プロジェクトを報告するものである。ある種の半生記と言っていいかもしれない。

船舶考古学者への道のりは以下のように波乱万丈だ。少年野球で優れていたことから法政第一高校にスポーツ推薦入学、そこから大学に進み、当然のように硬式野球部に入部するが結局バッティングピッチャーで終わる。大学での専門は文学部史学科、これは読書を通じて中学生時代から歴史に惹かれていたことによる。卒論のテーマ探しで米写真家の著した「海底12000年-水中考古学」に行き当たり、参考資料(特に写真)にA&Mが頻繁にクレジットされていることから、卒業後一念発起してA&M大学院を目指すことになる。大学時代4年間寮生活でほとんど野球漬け、2006年先ずその語学学校に入学するが半年後のTOEFL120点満点で30点、猛勉強で1年後GRE(大学院共通テスト)を最低レベルでクリア、この成績で更に1年大学院1教科、大学2教科を受講、すべてでB以上とると初めて正規の修士課程で学ぶことが許される。これが2009年。ここの船舶考古学課程で「沈没船の復元再構築」を研究、2015年に博士号を取得する。論文のタイトルは「フォトグラメトリと復元再構築の方法論」、フォトグラメトリとは3Dによる画像復元技術であり、やがて著者はこの分野の権威として認められるようになる。

世界の海には水中文化遺産の対象となる100年以上前の沈没船が300万隻程度眠っているそうだ。研究の対象域は地中海とカリブ海に集中しており、本書でも太平洋戦跡の残るミクロネシアを除くと、この二カ所の話が中心となる。また、研究領域は時代と対象域で区分され、A&Mの船舶考古学教室では5人の教授が先史時代・古代地中海・中世ヨーロッパ・大航海時代・アメリカ大陸の船をそれぞれ担当、この他に2名の保存処理研究教授が配されている。

本書で事例紹介されるのは、クロアチア沿海部の1617世紀頃の貿易船、エーゲ海の古代船、ヴェネチア近郊の河川に眠る古代ローマ船、コスタリカ南東部に沈む1718世紀のデンマーク奴隷船、バハマ沖の大航海時代のスペイン船、それに今次大戦におけるミクロネシアの水中戦跡(航空機を含む)。いずれも著者がプロジェクトメンバーとして参加(大学院生時代を含む)、水中作業を行ったものである。

これらを通じ、水中考古学なるものの概要説明から、学会活動、プロジェクト管理(調査の進め方、スタッフの選定とチーム構成、資金集め)、水中作業の細部、使用する器具、沈没船の構造や全体像の推定方法まで、写真や図(特に各時代の船舶構造)を使って具体的に説明していく。併せて種々の問題点、例えばトレジャーハンター(宝探し)による現場荒らし、文化遺産に対する国策、水中考古学者の生活実態(水中のみならず陸上も、正規教授はともかく、考古学研究者は建設工事などの下調べによる収入で何とか生活ができている)まで触れる。知られざる水中考古学へ分かり易くかつ興味深く誘ってくれる一冊であった。

 

4)やがて哀しき外国語

1990年代初頭、プリンストン大学東洋学科に客員研究員・講師として招かれた村上春樹の日々を伝える報告書。勉強も研究もまるでしていない-

 


1983年秋のカリフォルニア大学バークレー校(UCB)短期MBAコース参加を含め、ハーバード大、MIT、ノースウェスタン大、スタンフォード大など米国の有名大学を結構訪れている。その中でも忘れ難いのが19895月に立ち寄ったニュージャージー州のプリンストン大学である。訪問動機は、“SPC”に起因する。早とちりで、高度プロセス制御(Supervisory Process ControlSPC)と統計的工程管理(Statistical Process Control;これもSPC)の違いに気づかなかったのだ。文献のアブストラクトに目を通した際、てっきり前者と誤解してしまいアポイントメントを日本からとっていたが先方は後者だった。それでも老教授は遠来の珍客を歓迎してくれ、一通り生産管理に関する情報交換を行った後、キーボードに依るローマ字入力から漢字変換に至る過程に興味を示し「昼食を一緒に摂り、午後も話を続けたい」とさえ言ってくれた。残念ながら、こちらに午後別約があり希望には沿えなかった。

教授の研究室はキャンパスの中心部ではなく周辺部の木立の中に在る白く大きな木造二階建てのオフィス、まるで大農場主の館という感じ、緑が多く静かなことでは大学の一部と思えない佇まいだ。

プリンストン大学は専門大学院を広く展開せず学部教育(リベラルアーツ)に力点を置いている珍しい大学。人文科学・工学・建築・社会科学の大学院はあるものの、メディカルスクール、マネジメントスクール、ロースクールなどは存在しない。また、学生数も米国の大学では少なく、学部5千名、大学院2千名程度である。それでいて物理・数学・経済学などではトップクラス、3040名のノーベル賞受賞者を出し、世界の大学評価でも常にベストテンに入っている。本書は村上春樹によるそのプリンストン大学滞在記である。

村上は既に作家としての地位を確立していた1991年春から1993年秋まで2年半プリンストン大学に招かれ彼の地に滞在している。文中によれば初めの1年半は客員研究員(ヴィジティング・スカラー)、後の1年は客員講師(ヴィジティング・レクチャラー;給料が出る)としてである。この間読書人向けの雑誌「本」(講談社)の19928月から199311月まで連載された16話のエッセイをまとめたのが本書である。題名の“やがて哀しき外国語”から想像されるような語学哀話ではなく、これは一話のタイトルに過ぎない。取り上げられる題材は、もうバブルは弾け始めていたものの、いまだその残照が残る時代、ジャパンバッシング盛んなりし頃のアメリカである。

ボストンマラソン(著者はこの滞在期間2回走っている)、ジャズ(学生時代に学生結婚した夫人と7年間ジャズ喫茶を経営し、ジャズに関する訳本も出している)、米国団塊の世代(田園回帰が夢)、大学のスノビズム(プリンストンは野暮を気取る)、フェミニズム(必ず問われる「奥さんは何をしているか?」に対する受け答え)、映画(多くの翻訳を行ったレイモンド・カーヴァ―を扱った4時間半におよぶ映画評)、ファッション(アイビールックのファン、特にブルックブラザース)、クルマ(ドイツメーカーの日本車批判)、米人作家譚(恐怖小説家スティーブン・キングの評判)、外国語学習(米人に交じってのスペイン語会話、翻訳の難しさ)と多彩。訪問授業でUCBに出かけたことをテーマにした「バークレーからの帰り道」はプリンストンとUCBを対比するもので、両者を知る私にとって興味ある話だった。西海岸の明るい陽光、キャンパス全体は広いものの建物や学生が密集するUCB、著者にとって異次元世界だったようだ。最後の「さらばプリンストン」はこの後ボストンへ移るための引越し騒動。全編身辺の出来事、自身の見方・考え方で記されており、気取りや嫌味を全く感じさせない筆致が心地よい読後感を与えてくれた。

本書(ハードカヴァー)の出版は19942月、まえがきの結びに“ボストンにて、199312月”とある。私の購入日は19944月出版間もない頃だ。想い出が残る地をテーマにした本書を見つけ5年前を懐かしんだ。爾来30年近く経て再読、二度目のセンチメンタル・ジャーニーでいっときプリンストンを回顧した。

 

5AI監獄ウィグル

-ジョージ・オーウェルがSF1984年」で描いた監視社会が現実になった。ウィグルはその最先端実験場、AIは新しい民族浄化の手段だ-

 


冬季北京オリンピックも終わった。開会式にはウィグル人旗手も中国代表として登場、中国共産党(中共)政府の思惑通り、開催前の人権問題ボイコットがウソのように平穏なものだった。我が国にも「中国は自分から仕掛けた戦争・他民族征服は無い」と彼らの宣撫工作に確り洗脳されてしまっている知識人も多い。高校の世界史(東洋史は中国史中心)、中国の歴史小説(例えば武帝記)、漢詩(辺境勤務の無聊を嘆くものが多々ある)などを少しでも知っていれば、そんな妄言は簡単に論破できるのに・・・。

現在の中共政府の領土・民族に関する主張は、清朝最盛期の版図に基づいているが、問題の新疆ウィグルだけでもトルコ系遊牧帝国ジュンガルとの戦いで奪い取ったもの、その地名新疆は“新しい土地”の意、自ら強奪を認めているようなものだ。また、チベットも今次大戦後(1949年)中共軍によって制圧され、中国領になっている。軍事行動を一先ず置いても、狡猾な漢民族支配策で少数民族に依る“自治”を骨抜きにしているのは随所に見られる。“今そこにある危機”の最前線ウィグル、米人ジャーナリストが、自らの体験と亡命者への聴き取りをもとにそれを明らかにする。本書の原題名は「The Perfect Police State(完全警察国家)」、サブタイトルにもウィグルは無い。実は、ウィグル問題を中核に据えつつ中共一党独裁体制の恐るべき支配の仕組みを現在進行形で語り、完璧な監視国家到来に警告を発するところが本書の要旨である。

著者は、タイム、エコノミスト、ウォールストリートジャーナルなどに寄稿している米国人調査ジャーナリスト・先端技術ライター。最近はトルコを拠点に中東・アジア地域を主な取材先にしている。学生時代に交換留学生として中国に滞在、2017年新疆ウィグルを訪問、観光と偽って実地調査を行っており、この地に詳しいことがうかがえる。本書を読んでいくと人権NGOHuman Right WatchHRW)とも深く関わっているようだ(政治活動ではなく、取材記事内容の検証)。

新疆ウィグル自治区の面積は世界の国家行政区で8番目の広さ、人口は約2500万人。2009年まではトルコ系のイスラム教徒が大半を占めていたが、この年の反政府暴動以降漢族が急増している。中国化・共産化の先兵である新疆生産建設兵団だけでその数は270万人におよぶ。中共が“五つの毒”として監視・拘留の対象にしていのが①民主化運動家、②台湾支持者、③チベット族、④気功集団(法輪功)それに⑤イスラム教徒ウィグル人テロリスト。人口比では2%に満たないこの自治区の犯罪逮捕者は21%と異常に高い。テロリストおよびその同調者として嫌疑をかけられ者が急増、再教育センター・拘留センターなどと称する収容所に送られ、徹底的な洗脳工作が行われているのだ。このような圧政下、近年ウィグル族の出生率低下は著しく、ある種の民族浄化と言える。

本書の日本語タイトルに“AI”が付されているのはこの嫌疑者あぶり出しシステムに先端ITが駆使されていることに依る。住民基本データのみならず、全民健康体検と称する個人生理データ(身長・体重、血液、声、顔、DNA)、スマフォ交信録、キャッシュレスシステム(スマフォを含む)による購買・行動・信用記録、随所に設置された監視カメラ(嫌疑がかかると居室にも設置)、10戸単位の住民相互監視組織、いたるところにある検問所。個々に導入・設置・発展してきたこれらシステムが今や統合され、AIによって管理されている。例えば、AI顔認証システムの識別層は830152と年々深まり、瞬時に人間の眼より正確な識別を行えるようになってきている。さらには姿かたちの識別ばかりでなく、諸データの組合せにより将来の犯罪者予測まで行っている。ジョージ・オーウェルが1949年送り出したSF1984年」が現実のものになったのだ。これらは新疆ウィグルに限ったものではなく中国全土に展開しているのだが、反国家活動家(分離主義者)が集中すると考えられるこの地域が、先端技術実験場となっている。

本書はこのような統治を体験したウィグル人約170人からの聞き取り調査に基づくが、そのほとんどが海外在住者(亡命者;トルコが多い)。しかし、海外も決して安住の地ではではない。亡命者の中に潜むスパイ、一帯一路のマネーに惹きつけられた国家、独裁体制を強化したい国々(トルコもその一つ)、同床異夢のテロ対策協力関係(トランプは中国のウィグル人隔離策をサポート。これとは別に、グアンタナモ収容所にイスラム過激派嫌疑で囚われているウィグル人の情報が中共に提供されている)、いつどこで“犯罪者”として拘束され中国に引き渡されるか、不安な日々を送っているのである。

ウィグル問題、先端IT、監視国家統治、どれも詳しく書いているが、ウィグル問題は“個人的体験談”に留まる感が強い。これは原題と日本語のタイトルの違いに表れている。冒頭触れたように原題にはウィグルもAIもない。論旨は“完璧な監視国家”出現に対する警告である(副題;中国が目論む恐るべき監視暗黒世界を暴く)。

 

6)ロシアトヨタ戦記

-共産主義政権崩壊後の未熟な自由主義経済下、シェアーを3%から6%に倍増させたロシアトヨタ社長の奮闘記-

 


ロシアがウクライナに侵攻した。20038月半ば私はウクライナに在るルクオイル(Luk Oil)のオデッサ精油所をたずねていた。この春まで長く続けてきたITサービス企業経営の仕事を終え、Y計測制御システム会社海外営業事業本部の顧問(コンサルタント)としてロシアビジネス拡大を支援するためである。オデッサへ来るまでに他社も含め何ヵ所かのロシア精油所を訪れていたが、入出国時を除けばここもロシアのそれと何も変わらない。本社はモスクワに在るうえに、同行したロシア人スタッフとのやり取りも完全に同国人同士の感だ。ただオデッサの街はモスクワも含めそれまでに訪問したロシアの都会と比べてあか抜け、西欧を感じさせる所だった。もしロシア圏で長期に仕事をすることになるなら、ここが一番と思ったが、残念なことにその機会は無かった。

この月を皮切りに足かけ2年頻繁にロシアに出向き会社の売り込みと製品サービスの販売促進に努め、通算滞在期間は4ヵ月強、これは米(約1年半)・英(プライヴェートで半年弱)に次ぎ3番の長さになる。既に冷戦終結から10年以上経過しているにも関わらず、何か暗さと不安が付きまとう国と言うイメージがあり、それは今も変わらない。例えば地方の精油所訪問、先ず訪問先に招待状を発行してもらいその地に移動、ホテルのチェックイン時パスポート(ロシア人は身分証明書)を預けると、これを地元警察署に提出、ここで国内ビザを付加してもらわないと外出もままならない。一度同行した営業マンと赤の広場近辺を散策している際、警官にパスポートの提示を求められ、私は問題なかったが、彼の国内ビザ滞在期間がホテルの手違いで切れていることを指摘され、賄賂をつかませて見逃してもらったことがある。個人の観光ですらこうだから、ビジネスの裏がもっと複雑怪奇なことは当事者でなくても想像できた。本書は、私が初めてロシアを訪れた20038月に遅れること1カ月、同年9月ロシアトヨタ社長の内示を受け、20041月から5年半その任に当たった人のロシアビジネス奮戦記である。

話はウクライナから始まる。著者は1953年生れ、大学院卒業後長銀総合研究所に就職、そこから外務省に出向、ウクライナ大使館に専門調査官として勤務中19992月長銀が破たん、そこへトヨタから声がかかりロシア市場開拓要員として3月入社する。ウクライナ時代には現在渦中にある東部のドニプロ市に在るミサイル工場を訪問、核ミサイルの解体作業も目にしている。ウクライナに深く入り込んでいた人なのだ。

共産党一党支配の崩壊、エリツィンの放漫国家運営によりマフィアもどきの新興財閥(オリガルヒ)が国家の資産を強奪、経済は国債がデフォルトになるほど混乱していた。これを収めたのが20001月に大統領となったプーチン。折しも原油価格は上昇傾向にあり、今も変わらぬ石油(ガスを含む)依存の国家経済は好転し、人々の暮らしも“もはや戦後ではない”のロシア版を実現しつつあった。

著者が赴任する以前から商社を介してトヨタ車の販売は行われていたが、本体はロシア駐在員室が存在するだけで、直接地場のビジネスに関わっていない。経済の発展・安定化をにらんでトヨタ直卒の組織(ヨーロッパ総本社の下部)を作り本格展開するのが著者のミッションである。ロシア進出を強力に推していたのが当時の奥田会長(のち相談役)、本書に奥田賛歌臭がやや強いのはそれによる(面白くもあるが)。

就任時の数字を示すと(2004年→2008年(一部2007年):①人員;70名→250名(部品倉庫担当を除く)、②直営店(地域本社のような存在、販売店はもっと多い);1739、③販売台数;46千台→157千台、④シェアー;3.2%→6.1%。見事な実績である。本来は4年勤務の予定をさらに延ばされるが“好事魔多し”、2008年のリーマンショックで過剰在庫(2008年度216千台と計画)とルーブルの大幅下落で債務超過、20093月敗軍の将として身を引くことになる(欧州本部、本社海外渉外部を経て2012年退職)。

因みにロシア経済を左右する原油価格の動向($/バレル)は、242000年)→982007年)→1042008年リーマン前)→40(後)。Y社もこの恩恵を受け、既に退職していた2008年晩春、担当役員から「やっと実がなってきました」と謝意をいただいた。つまりいずれの企業にとっても良き時代だったわけである。

業容拡大推進で直面するロシア社会の暗部が“戦記”の核心である。フィンランド(ロシアの港湾では問題(荷役トラブル、盗難)を生ずる恐れがあるため)に陸揚げした完成車の通関(賄賂)・物流(道路事情)・国内保管(保安のため空軍管理の飛行場利用)、代理店展開(利権争い、時にヤミ組織や政治家が絡む)、この闇組織の関与をネタに内務省からの証人喚問(ここでも狙いはカネ)、税務調査も同様(追徴金の1%を収めれば山のような調査資料提出を免除するとの提案。断固これに抵抗する)。最大の難事は新社屋(トレーニング・センター、部品倉庫を含む)建設、土地の所有者さえはっきりせず、これを確定しても許認可に時間がかかる。次にそこまでの道路の地権が問題になる。建設にかかると資材や調度品は大部分が輸入品、ここでも通関や代理店の機能が自由主義社会とは異なる。また零細業者の倒産は日常茶飯事だ。こういう時に頼りになるのが“コンサルタント”、蛇の道は蛇、アフガン帰りを2名雇い、裏社会(官を含む)のあれこれを処理していく。

プーチン政権の統治については、「分裂国家を再び大国へ導く恩人」と当時の現地従業員の評価(Y社の現地従業員も同様)を紹介しつつ、自動車ビジネスを離れ、強権発揮のきざしをユーコスオイル(Yukos Oil)の解体・国有化に見て、その経過(政敵であるCEOホドルコフスキーを逮捕・収監)を詳しく解説している。ユーコスは私自身本社やヴォルガ中流域の精油所(3か所)を何回か訪れたことがあるので、当時のロシア石油事情として身近に感じ同意出来る内容だ。それにしても「分裂国家を再び大国へ導く恩人」と称されていた人物が後年ウクライナ制圧に動くとはロシア人を含め誰も予想しなかったことだろう(ベラルーシがロシアの傀儡とは言われていたが)。「通貨誕生-ウクライナ独立を賭けた闘い」の著者は今回の事態を如何様に感じているだろうか?ある意味時宜をえた一冊であった。

 

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