<今月読んだ本>
1)破船(吉村昭);新潮社(文庫)
2)エネルギーの地政学(小山堅); 朝日新聞出版(新書)
3)ネイビーシールズ(ウィリアム・H・マクレヴィン);早川書房
4)日本史サイエンス弐(播田安弘);講談社(ブルーバックス)
5)二人のクラウゼヴィッツ(霧島兵庫);新潮社(文庫)
6)メタバースビジネス覇権戦争(新清士);NHK出版(新書)
<愚評昧説>
1)破船
-荒天の夜に難破船を襲う「お船様」の奇習、運ばれてきたのは幸ばかりではなかった-
我が一族のルーツは兵庫県龍野(現たつの市)、童謡“赤とんぼ”の里である(三木露風は当地出身)。東西は山地だが瀬戸内海にそそぐ揖保川を中央に南に開けた田畑が広がる農村地帯だ。知られる歴史も無く、住んだことも無いのだが、この地を何度か訪れ、明るい播州平野が気に入り本籍はこの地に残している。もともとは農家だが父の代にこの地を離れたから、私に農民出自の意識は無いが、歴史に現れる農村・農民のイメージはいつもここと重なる。本欄5月に紹介した「幕府軍艦「回天」始末」を求めた際、隣に置かれた本書が同著者による未読作品と知り読むこととなったのだが、龍野の風景から全く異なる日本の僻地がそこに在った。
吉村作品は綿密な調査に基づくことで、しばしばノンフィクションと対比されるほどだ。創作を旨とする吉村はこれに不満のようだが、私もこのノンフィクション作風に惹かれてファンとなっている。今回購入したのもそれを期待してのことである。しかし、既読作品と異なり、時代だけは“藩”が現れるので江戸時代と推測できるもののその時期は不明だし、場所は寒風と雪が舞う情景から北と想像するが特定は出来ない。「何故それらが記されないのか?」の疑念が読書中そして読み終えた今も残る。勘繰ると、あまりにも厳しい生活環境描写に、もしこの話の舞台を明かせば、現在そこに住む人々や地方に迷惑を及ぼすと考えたからではなかとの思いにかられる。
先ず生活環境、海に面するその集落の戸数は17、常在する住民は40名程度、海岸は水面下に隠れる岩場と砂浜から成る。狭い畑地は砂交じりで穀物の収穫はヒエ・アワ・キビの類だけ。海産物は豊富だが網で獲ることはなく、小舟で出かけ釣りか手づかみだ。これらを干物にして、いくつも山を越えた先に在る村落で生活必需品と交換する。この村落の遥か先には湊町があり、集落の何人かはそこへ年季奉公で売られ、それで家族の生活を支える。主人公の伊作は9歳、この年父は3年契約で湊町の回船問屋に下子(したご;水夫)として奉公することになる。残されたのは、伊作、母と幼い弟・妹、それに母の胎内にもう一人が宿っている。彼はこれから3年間母とともに一家を支えなければならない。
大人の世界に入って知ることになるのが「お船様」のことだ。この集落の収入源に製塩がある。海水を汲みこれを大釜で煮詰める。しかし、何故か行われるのは晩秋から初春にかけての最も海が荒れる厳しい時期、何日も夜を徹して続けられる。窯焚きの火を沖行く船が見つけ、荒天からの避難地として引き寄せられるのを期待してのことである。船は岩場で座礁、住民全員でそれを襲い、乗員は皆殺しにして積み荷を奪い、船は解体してしまうのだ。「お船様」は天の恵み、米・綿・種油・茶・酒などをもたらす。1年目「お船様」はやってこない。2年目300石積みの船が難破する。主な積み荷は米、大人3俵、子供1俵で均等に配られる。末っ子は誕生したが翌年夭折、伊作は大人扱いで一家は8俵を得る。これだけあれば父が戻っても3年くらいもつ。父の帰りを待つ冬、滅多にないことだが前年に続いて「お船様」が漂着する。しかし、乗組んでいる者は死者ばかり、積み荷は何もない。ただ、骸は全員赤い衣服を付けており、樹皮繊維から織る粗末な衣類しか纏わない住民にとっては貴重な布地だ。そしてそれが集落に災厄をもたらす。死者たちは遠方の町から追われた天然痘患者だったのだ。
孤立する半農半漁の小集落とそこでの極貧生活、中でも「お船様」の慣習は「こんな所が日本に在ったのか?」「それは何処か?」終始こんな疑問を抱えながら読み終えた。ミステリーもどきの作品ながら、吉村らしく感情的な表現が抑えられ、伊作とその一家を中心に寒村の日常が淡々と語られる。そこにこの話が実話に思えてくるし、僻地に生きてきた日本人の平均像のように感じられ、知られざる地方史への関心を高めてくれた。
2)エネルギーの地政学
-世界最大の化石燃料輸出国ロシアが戦争当事者となるとエネルギー事情はどうなるか-
機械工学を学びゼミ・卒論では制御工学を専攻した。就職先は大別すると2種、一つは制御機器メーカー、もう一つはそのユーザーである。私は3年生の時からユーザー志望、当初は鉄鋼業界を考えていたが、4年生になったとき助教授から希望業種を問われた際その旨答えると「鉄はもっとごつい奴が行くところ。お前には向いていない」「化学はどうだ?」と言われ、東燃(当時東亜燃料工業)を薦められた。父に話すと「何故機械屋が石油会社に行くんだ?それも聞いたことのない会社に」と反対されたが最後は納得してくれた。後年父は「良い会社に入ったな」と言ってくれたし、“良い会社”の内容に違いはあるものの、自身それは同感である。父の評価は安定性と財務体質。私は“良い”より“面白い”が適切な表現となる。
面白いの要素は多様だが、特に感じてきたのは、技術屋天国と国際情勢との関わりの二点である。技術屋天国は、営業の無い会社(すべて製品は日本法人のエッソ石油・モービル石油に卸す)、高度成長下の工場・プラント新設、折から勃興したITなどによってもたらされた。そして国際情勢との関わりは、石油が社会活動に欠かせぬ最大のエネルギー源であること、生産地が偏在すること、それを世界規模で左右する力のあったExxon・Mobilが過半の株式を握っていたことからくる。現役時代体験した大事件だけでも、第3次中東戦争(1967年、イスラエルによるシナイ半島、パレスチナ、ゴラン高原占領)、ニクソンショック(変動為替相場、1971年)、第4次中東戦争(第1次石油危機、1973年)、イラン革命(第2次石油危機、1979年)、ソ連崩壊(1991年)があり、いずれも石油の需給関係・価格に大きな影響をおよぼし、石油会社の経営のみならず、国策から市民生活まで世界規模での対応を余儀なくされてきた。これを身近に感ずることが刺激的でないわけはない。そして今ウクライナ戦争である。
本書の焦点もこのウクライナ戦争と石油にあるが、気候変動問題、シェールガス・オイル生産、消費国(特に中国)動向、安全保障策、コロナ禍など多角的に近年の各国(欧州は地域として)エネルギー(石炭、電力、原子力、自然エネルギーを含む)需給と国際情勢変化を分析、安定的なエネルギー国際秩序構築への道を示す論考となっている。個々の考察はエネルギー産業に関わった者であれば常識的な内容であるが、数字や政策をベースに系統立てて説明しているのでエネルギーの今を知ると言う点において、時宜を得た一冊であった。
著者は1959年生れ、修士課程を修了後日本エネルギー経済研究所に入所、英国の大学で博士号を取得した研究者。同研究所の専務理事も務めている。
全世界エネルギー(電力は2次エネルギーなので除く)の8割は化石燃料で補われており、最大の貿易財は石油である。従って、本書では石炭・原子力・自然エネルギーに触れるものの、原油と天然ガスが重点的に論じられ、これらの需給バランスが年々タイトになってきている背景を地政学的な見地から考察する。米国が1960年代に輸入国に転じ中東がバランサーの役目を果たすが、政情不安もあり安定性を欠く。一方で冷戦崩壊後ロシアの原油・ガス市場でのウェートが増加、そして今世紀に入り米国がシェール開発で自給率100%を回復、供給側の3大プレイヤーとなる。需要側では中国・インドの需要増が顕著、特に中国のエネルギー戦略が世界バランスに大きく影響してきている。欧州は脱炭素化の動きが急で石油エネルギー消費は低下傾向にあるものの依然石油・ガスが主流、それがロシアに大きく依存する点に問題がある。そして日本、G7の中で最低の自給率(11%、伊25%、独35%、仏55%、英75%、加106%、米176%)がエネルギー政策を難しくさせる。またこの自給率の違いが西側陣営の足並みを乱す要因になっている(特に対ロ政策)。
ウクライナ戦争に関しては何と言ってもメジャー・プレイヤーの一つロシアがその当事国であることだ。ロシアの化石燃料(石炭を含む)輸出額は世界トップである。欧露の相互依存率は、欧州;ガス78%、原油33%、石炭50%、露;石油53%、ガス70%、石炭35%と極めて高い。資源輸出に頼るロシア経済にとって禁輸は痛手ではあるが欧州も返り血を浴びるのは必定、これが他へ波及するのは過去の戦争時と同じで、既にエネルギーコスト起因のインフレが世界規模で進んでいる。
対ロ依存の軽減、資源開発投資の拡大(脱炭素で低下が著しい)、原子力・自然エネルギー利用推進、需給双方が構成する調整機関などを提言しているがいずれも難題だ。世界第5の消費大国、エネルギーの87%を化石燃料に頼り、その90%を中東に依存する我が国の対応策として、原子力発電再稼働の推進、対ロ・対中(最大の中東化石燃料需要国)エネルギー戦略など10項目の提言を行っている。私も短期的な対応策として原発利用推進に賛成だ。
3)ネイビーシールズ
-フセイン捕縛・ウサマ殺害、ワシントンと現場を結ぶ対テロ部隊最高指揮官の自伝-
2002年3月下旬米国カリフォルニア州モントレーで開かれた日本総代理店を務めるプラント向けソフトウェア会社のユーザー会に出席した。ペブルビーチのゴルフ場で名高いリゾート地である。モントレー最寄りの国際空港はサンフランシスコ(SF)、サンホセ、ロスアンゼルス(LA)、この内最も近いのはサンホセ、次はSF、これらはタクシーの利用範囲内だが、結構長距離で費用が掛かる。LAからクルマはあり得ないが、モントレー空港行きの小型機によるローカル便があり、たまには小型機も悪くないとこのルートを採ることにした。当時毎年1,2回米国出張をしていたがこのときは同時多発テロ後初めての訪米であった。ローカル線ゆえに乗継ターミナル(と言うよりスポット)は空港内の小さな平屋家屋、それでもセキュリティチェックは厳しく、PCは無論予想外のことに靴まで脱がされた。爆弾が仕掛けられていないかどうか調べるのだ。その時履いていた靴はリゾート行きもありブランド物のスウェード靴。チェックを終わると女性の警備担当者が「ナイス・シューズ」と言って微笑み返した。本書を読んでこのチェック(靴とPC)は著者がホワイトハウスの対テロ戦事務局長時代期限2~3週間(フィリピンにおける米人夫妻救出作戦)のつもりこの月から始めた処置であることを知った。
著者は1955年生れ、テキサス州立大学オースチン校のNROTC(海軍予備役将校訓練課程)を経て1977年海軍に入隊、特殊部隊SEALからスタート、最終的に統合(陸・海・空・海兵隊、CIAなどを含む)対テロ部隊司令官を務め、2014年大将で退役、2018年までテキサス州立大学システム(8大学+5医療機関)学長を務めた人。本書はSEAL時代と重大な対テロ作戦指揮を主体とした自伝である。
SEALと言うのは戦前の潜水工作兵(フロッグマン)を嚆矢として海軍水陸両用学校の一課程としてスタートした特殊部隊、陸軍ではグリーンベレー、空軍ではデルタフォースがそれに相当する。その選考・訓練課程は厳しいもので、著者の場合士官・下士官149名入校で1年後卒業できたのは33人に過ぎない。この訓練内容が一つの読みどころである。
卒業後しばらくは海上・海中作戦に従事、1990年8月の砂漠の盾作戦、1991年1月の砂漠の嵐作戦にも参加している。2001年西海岸グループ司令官時(大佐)パラシュート降下訓練で重傷を負い、回復後の医務審査を経て現役復帰、NSA(国家安全保障会議)の対テロ調整事務局長としてホワイトハウス入りする(少将)。
この勤務は1年で終わり、その後10年人質救出部隊や対テロ部隊の指揮官を務める。任務は現地の総責任者、だが実行現場に参加するわけではない。司令所はイラク(担当域;イラクおよびその周辺)やアフガニスタン(担当域;南アジア・中東・アフリカ)の米軍基地内に在り、そこは現場と米国の最高意思決定機関(大統領を含む)をリアルタイムでつながる機能を持ち、トップと現場の調整を行い作戦実施可否の断を下す。実施された重要な作戦は章立てになっており参加者の言動が生々しく描かれるので臨場感抜群である。特に印象的なのはサダム・フセインの捕縛、ウサマ・ビン・ラディンの殺害。特にウサマの場合パキスタンに潜伏していたので越境作戦(パキスタン政府にも秘匿)であることに加え本人確認のための捕縛あるいは遺体回収を伴うので複雑を極める。TVニュースで我々が視たのはホワイトハウスの危機管理室でオバマ大統領やクリントン国務長官が歓喜するシーンだがその裏側(現地)が時々刻々緊迫感を持って伝わってくる。ここが作戦実施場面中心の特殊作戦物と異なる点で、意思決定のプロセスや決定者の性格が浮き彫りにされ、小説以上の面白さである。
上記のよく知られた作戦以上に驚かされたのは特殊作戦の頻度や規模だ。イラクでは一晩に25件の作戦(特定個人を目標)が行われていたとかアフガニスタンで指揮を執っていた時には毎年2千人以上の重要指名手配者を捕らえるか殺していた、あるいはアフガニスタンの司令所には5面の巨大スクリーンが設置され150人以上のスタッフがこれを操作していると記されていることである。本書には書かれていないが米国四軍特殊部隊関係者は約1万人とも言われ、堂々たる実戦部隊なのだ。
4)日本史サイエンス弐
-海と船の科学で読み解く日本史、海国日本に相応しい切り口が新鮮だ!-
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映され、隣接する当地横浜市金沢区には縁が深いため、商店街には幟がはためいている。NHK大河ドラマの第一作は井伊直弼を描いた「花の生涯」(1963年)、第二作は「赤穂浪士」(1964年)である。この時期は入社2~3年目で和歌山市のさらに南有田市(当時は海草郡椒(はじかみ)村;寮生は“かわいそう郡恥かき村”と自嘲していた)で会社の寮暮らし、TVくらいしか娯楽が無い田舎、毎週の放送を楽しんでいた。しかし、40代に入ると全く興味を失い、爾来大河ドラマに限らず歴史もの・時代劇を視ることは滅多にない。これは映画や書物も同じで、どうしても既視感が先行、時代考証なども気になって中身に没入できないことが大きい。それでも何か新しい見方は無いかと見つけたのが昨年6月本欄で紹介した「日本史サイエンス」である。正統な(あるいは伝統的な)歴史学の視点は一先ず置き、日本史の一コマを科学技術(特に海と船)を切り口に解明するところに他の日本史研究と異なる特徴がある。本書はその続編。今回取り上げるのは;①邪馬台国の場所、②秀吉の朝鮮戦役(特に亀甲船)、③日本海海戦、の3テーマである。因みに、前回は;①蒙古来襲、②秀吉の中国返し、③戦艦大和。
著者は1941年徳島の生れ、家は代々船大工・造船所経営。本人も大手造船会社(本文中から三井造船玉野造船所と推察する)で船舶設計業務に携わっていた技術者。海と船から歴史研究を行うのにこれほどの適任者はいないだろう。
①邪馬台国所在地;邪馬台国が記載された最初の文献は「魏志倭人伝」これは三国志の中の「魏書」の一部である。書かれたのは2~3世紀。この遥か以前に大陸と日本の間に交流があったことになる。先ず、鉄と翡翠(ヒスイ)が双方に残るところから関係を探り、山陰(たたら製鉄発祥の地)・北陸(翡翠産地)が朝鮮半島のつながりが深かったと推定。古墳から出土した船の埴輪を基に、航海に用いられた船の構造を明らかにする。また、いくつかの復元船プロジェクトにアドヴァイザーとして関わった経験をそれに反映する。一方卑弥呼の死と天照大神が天岩戸に隠れる神話を結び付け、皆既日食下の出来事と見做し、最新の古天文学研究情報を駆使して、候補各地(九州、近畿、出雲、吉備、名古屋)の暗さを比較する。さらに、対馬周辺の海象(海流、気象)データを検討し、予想される船の航海難易度、魏志倭人伝記された方角や距離(信用度は高くない)を加味して5候補を点数付けする。結果は、九州・近畿25点、出雲20点、吉備・名古屋15点と九州説(大宰府)と近畿説(飛鳥)が同点で有力とする。ただ、近畿説に相当入れ込んだ感じを受け、本音はそこにあるのではないかと勘繰りたくなる。
②朝鮮戦役;文禄の役(1592年、動員数16万人)、慶長の役(1597年、同14万人)、秀吉は朝鮮半島に攻め込んでいる。学校の日本史授業ではその理由を恩賞の土地が国内で不足したことから外地に求めたとしているが、著者は最近の研究を踏まえ、スペイン・ポルトガルの植民地化を避けるため、その危惧のある明を先ず支配することを狙ったとする。国内戦で小銃が主兵器になり、これを持ってすれば明・鮮軍、スペイン・ポルトガル軍を圧倒できると考えたようだ。実際陸戦は平壌まで攻め込み圧勝している。しかし、李舜臣(水軍指揮官)には、半島先端のごく近海とは言え連戦連敗している。この理由は日本側が接舷乗りこみ戦闘を主戦法とするのに対し朝鮮側は火矢や火砲(大砲ではない)で戦うことから来ているが、日本側も遠隔戦法を採ると被害は激減、対馬海峡間の兵站線を回復している。この海戦の内容を、船の建造技術・構造・運用と海象の面から分析・解説するのがこの章の前半のハイライトとなる。
李舜臣とともに語られるのが亀甲船である。船体上部を亀の甲のような防火材で覆った軍船である。これについては遺物や書き物が全く残っておらず、その存在さえ疑われていたのだが、近年「朝鮮王朝軍船研究」なる書物が発見され、著者はこれを入手、そこに在った図面を基に三次元CGとしてに復元、これを基に亀甲船と和船(関船)の比較を行う。帆を使わぬためオールで推進、そのため巨大な舵を必要とするほか船体の幅もありスピードが出ない。対馬海流のような速い流れを乗り切る性能は無く、数の違い(亀甲船は数が少ない)もあり決定力ではなかったと結論付ける。結局、朝鮮の役は秀吉が没し、厭戦機運が基で半島撤退となったとする。
③日本海海戦;ここで注目するのは連合艦隊司令長官東郷大将が秋山真之参謀の進言に寄り採用したと言われる敵艦隊の前方を横切った“丁字戦法”である。当時の艦隊決戦は並航または反航で戦われ、艦隊の腹部を敵にさらすことは最も危険な行為とされていた。それ故、これが当初から意図された作戦だったか否かを、著者流に考察して見せる。
この戦いにはバルチック艦隊の二つの艦隊(第2艦隊、第3艦隊)が参加するのだが決戦までに半年前後の日にちを要し、日英同盟もあり石炭補給にも苦慮している。その結果、フジツボなどの付着がおびただしく、かつ最終給炭地(多くの艦は仏領インドシナ)からウラジオストクまで航行するための石炭が過積み状態で船速が落ちていた。加えて海上気象は荒れており(晴天なるも波高し)、バルチック艦隊は操艦が思うに任せない。対する連合艦隊は朝鮮半島の鎮海を基地にしており燃費の問題は無かった。結論は当初並航戦を挑んだが“結果として丁字なった”である。
この仮説証明のために、船速と石炭消費、海洋生物の付着生成度と船速の関係、SMB法なる波高・波方向・波周期・波長など波浪状態推定法が動員される。
前著同様正統な歴史学者や戦史家がこれらをどう評価するかは不明だが、海国日本の歴史を海と船の視点で見つめ続ける著者の歴史アプローチは魅力的だ。
5)二人のクラウゼヴィッツ
-戦争哲学のバイブル、誇り高く才気あふれる妻あっての誕生-
戦史に対する軍事オタクとしての関心は2点。エンジニアとしての軍事技術発展史、それと自分が生きた時代昭和史の一端である。歴史を見る目に欠かせないのは思想・哲学。戦史・軍事史の古典として、春秋時代の武将孫武による「孫子(の兵法)」、スイス人でありながらナポレオン軍の幕僚、ロシア軍の顧問を務めたアンリ・ジョミニの「戦争概論」、そして同時代プロイセン軍人としてナポレオン軍と戦ったカルル・フォン・クラウゼヴィッツの「戦争論」、の3書は際立つ存在だ。いずれも邦訳を保有するものの、岩波文庫で3巻構成の「戦争論」だけはとても読破出来ず、関心のあるところ(主に当時の新兵器である銃砲、築城・攻城それに情報・通信など)を拾い読みした程度で終わっている(今でも参照はするが)。これはアマチュアの私だけではなく、戦前の職業軍人も同様だったようで、その難解さを自著に書き残しているくらいだ。難しさの一因にこの書が著者本人による編纂・出版でないことがある。残された膨大な草稿を彼の死後夫人がそれを行ったのである。出版時(1832年)の序文末に「ヴィルヘルム親王(のちのプロイセン皇帝)妃殿下女官長マリー・フォン・クラウゼヴィッツ ブリュール伯爵娘」とあるのがその人。書題の「二人の・・・」はクラウゼヴィッツ夫妻の意。本書はこの草稿が溢れる生活の場とその基となる戦場を往ききする二次元で進められる一種の夫婦物語である。
カルルはプロイセン軍がナポレオンに降ったのち、それを良しとせずロシア軍の参謀に転じる。これが災いして、ナポレオンがロシア撤退後プロシャに帰還しても皇帝から疎んじられ、閑職の陸軍士官学校校長に左遷され、この間執筆したのが「戦争論」である。
「戦争論」の素材はカルルおよびその師であるシャルンホルスト、兄弟子とも言えるグナイゼナウ(いずれもプロイセン軍の参謀総長経験者;第二次世界大戦を戦った戦艦名にもなっている)が従軍した代表的な戦いに在る。中立政策を採っていたプロイセンをナポレオンが攻めた“イエナの戦い(1806年)”や対ロ戦争のヤマ場“ボロジノの戦い(1812年)”、ナポレオンにとどめを刺した“ワーテルローの戦い(1815年)”など六つの戦いが本書の中で取り上げられ、これらの中から戦争論に述べられる考え方や用語が生まれた想定になっている。一連の戦闘はいずれも1810年代半ばまでに起こっている。カルルは1818年士官学校校長となり「戦争論」の執筆にかかるのでマリーの登場はそれ以降、それはカルルが任地ポーゼン(ポズナン、現ポーランド)においてグナイゼナウと伴にコレラで急死する1831年までとなる。六つの戦いとマリーとの生活、時間と空間の異なる世界を往ききしながら「戦争論」発刊に至る過程を辿っていくのが本書の構成である。
軍事・戦場と言う堅い話と夫婦間のコミカルなやり取りが組み合わされ、全体として愉快でほのぼのとして読める小説に仕上がっている。ひと言でいえば、いくら偉そうにしていても、カルルはマリーの尻に敷かれているのである。これは先の序文の肩書署名のように“女官長”“伯爵娘”をわざわざ記すような事実からもうかがえる。実際家柄としてはマリーの方が遥かに格上、カルルとの結婚には反対だったようである。それを押し切ったのもマリー、チョッとわがまま、聡明で誇り高い女性像が浮かんでくる。だからこそあの「戦争論」が世に出た訳で、単行本の題名「フラウ(淑女)の戦争論」がうなずける。
著者歴は既刊書名程度で判然としないが、解説に「元陸自二佐、攻撃ヘリAH-1Sパイロット」とあるから「戦争論」は身近な存在だったと推察する。
6)メタバースビジネス覇権戦争
-インターネットに次ぐ社会変革技術、高次サイバー宇宙実現に挑戦する群雄たち-
60年前からITに関わりながら、IoT・ビッグデータ・AIまでは何とかついて行ったものの、スマフォは持たずいまだガラ携、それもほとんど使っていない。今やICTの世界では絶滅種か原人に近い。それでもSNSを体験するためフェースブック(FB)のメンバーになり、少数だが“友達”もできて、メールやブログとは異なる利用法を楽しんでいる。そのFBが最近社名を変更、メタ(Meta)と称するようになり、以前から気になっていたメタバースと言うバズワード(話題語)との関係を知りたくなった。つまり“メタバース”とは何かを知りたくて本書を手にしたわけである。メタは超越・高次を意味する接頭辞、バースはユニバースの後半を切り取ったものが言葉の由来、“高次元宇宙”が訳語として適当か。使われ始めたのは1990年代のSFから、次いでゲームへと移り、今や一般名詞化しつつある。
本書はメタバースそのものの入門解説書ではないが内容からうかがえる技術環境は以下のようである。
ICTの世界では先ず用語(特に略号)の理解が必須だ。VR(Virtual Reality;仮想現実;限りなく現実に近い体験が得られる技術;例えば、CG(Computer
Graphics))、AR(Augmented
Reality;拡張現実;現実の世界にコンピュータで情報を付加または合成して表示する技術;例えば、戦闘機パイロットのヘッドアップディスプレイ)、MR(Mixed Reality;複合現実;現実世界と3DCG(三次元画像)やホログラム(三次元写真)などのヴァーチャル世界を同期させることで、新しい体験を実現するための技術;概念先行で具体例は示されていない)がメタバースの想定される技術空間となる。ここにアバター(分身)が入り込み会話や行動を行うことでメタバース(高次元(仮想)空間)が出来上がる。ただ現時点ではほとんどゲーム(遊び)の世界で、生活や仕事がそこで行われるところまで至っているわけではない。
これら技術は大別するとハード(H)とソフト(S)に分かれる。メタバースの実態はまだほんのはしり、H/Sいずれの分野もゲーム先行。ハードではソニーのプレイステーション(PS)やマイクロソフト(MS)のXboxあるいはこれもゲーム用のゴーグル型やメガネ型が実用に供されている代表的なもの。ゴーグル型ではオキュラスVR社のクウェスト2が既にシェアー3割を超えトップの位置に在る。また、実験的なものでは、サイズや価格に問題があるものの、生活や仕事への適用を期待できるものが現れてきている。ソフトは、3D技術開発会社、個々のアプリケーション・ゲームソフト、ゲーム作成用のプラットフォーム(エンジン)まで幅が広い。本書で注目するのはプラットフォーマーで、ソフト業界は勝者総取りが常態化していることから、大手ICTベンダー、ゲーム専業企業、仮想技術特化会社の間で合従連衡の動きが活発化しており、本書タイトルの“覇権戦争”はこの動きを意味している。
最も注目されるのがFB、社名を変えたばかりかオキュラスVRを買収、FB創設者のザッカーバーグもメタバースをこれからのビジネスの中核にすると明言している。MSもゲームソフトのアクティヴィジョン社を7兆8千億円で買収、そのプレスリリースに際して「メタバース」を連発している。グーグルは「グーグルグラス(ゴーグル型)」で先行したものの2015年に撤退、改めてスマフォやユーチューブ向けメタバースに注力し始め、ストリートヴューやグーグルアースの航空写真3D化に積極的に取り組んでいる。アップルは社内で「メタバース」なる語が禁句になっていると噂されているが、これは従来のビジネスが固有ハード中心に進められたことと無縁ではないようだ。つまり、他社にはない高付加価値の新ハードが投入される可能性を秘匿する動きと勘繰れないこともない。GAFAMの中で最もメタバースに距離を置いているのはAmazon。メタバースに対して明確な動きを見せていない。しかし、ゲームを脱し社会生活全体にメタバースワールドが広がったとき、クラウドコンピューティングへの依存度は確実に高まり、そのトップの座が意味を持つことは確かだ。日本企業で登場するのはソニーのみ。いまのところ映像・音楽中心のメタバース利用に特化する戦略のようだ。
メタバースがインターネットに次ぐ大変革を引き起こす技術となるかどうか、本書の中でその潜在能力を垣間見せながら、「まだわからない」と言うのが著者の結論である。
とにかく未知の用語や製品名・会社名ばかり、時代に取り残されていることを痛感させられたが、何となくメタバースが分かったような気にはさせてくれた一冊でもある。
著者は1970年生れ。大学卒業後ゲームジャーナリストを経てVRゲーム開発会社「よむネコ(現Thirdverse)」設立経営。
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