20.大連へもどる
駅の表示板を見ると、乗車予定の高鉄哈大(ハルビン-大連)線列車の始発駅名に双鴨山西とある。聞いたことのない名前だ。帰国後調べてみると双鴨山市は佳木斯(チャムス)よりさらに北東、中ロ国境に近い。日本統治下では国の出先機関や軍の施設もなかったよう辺境の地だ。チャムスはソ連侵攻で惨劇が起こった三江省(当時)の省都。この列車はそこから大連北まで約1200kmを駆け抜ける。ハルビンは途中乗車駅、ここから大連北までは約930km、東京駅から東海道・山陽新幹線を乗り継ぐと広島・山口の県境に達する。13時42分ハルビン発で大連北到着は17時58分、およそ4時間、平均速度は230km/時、我が国新幹線とこれは変わらない。ただ国土の違いは大きく、勾配やカーブの緩い満洲の高鉄はもっと高速で走ることが可能だろう。もっとも冬期はマイナス40℃に達するから、別の問題があるだろうが。
こんなことが気になり高鉄と新幹線の路線敷設状況を比較してみたところ、カーブの最小半径は高鉄が通常9000m、新幹線は4000m、東海道新幹線の米原付近は2500mとやはり我が国は厳しい。また勾配は高鉄が通常12‰(パーミル;1000mで12m)、東海道新幹線は最大20‰、北陸新幹線の高崎・軽井沢間は30‰に達していることが分かった。
大連からハルビンまで3回高鉄に乗ってきたが、今まではすべて通路側だった。しかし、今回は4F、つまり進行方向右(二席)の窓側が割り当てられた。多分これは添乗員の、満洲生まれの私に対する配慮だろ。多謝!
ハルビンを発ったときは止んでいた雨が瀋陽辺りで激しくなり、遼陽まで続いたことも車窓の楽しみを奪ってしまう。この乗車で期待したのは、往路でも触れた1942年妹出産準備で母と東京の実家に行くとき記憶に残る、大連近くで灌木が所々に生えるはげ山である。在来線との違いはあるものの、大連とはかなり距離のある営口付近で、そんな風景が煙霧の中に出現、あの時の時間・距離感とは違いがあるものの、多分これがそうだろうと納得することにした。大連北駅到着は定時、雨だった。
ホテルのチェックインでトラブル。指定された部屋へ入ると、散らかったままだ。フロントに降りると幸いガイドの孫さんが居たので、即対応してもらい、グレードアップの別室(7Fから15F)となったが、特に大きな違いは感じなかった。この日の夕食は事実上の解散式、ホテル内のレストランでバイキング、飲み代もツアー料金込みである。それを済ませ部屋へ戻ると果物が何種か置いてある。しかし、これが酷かった。ぶどうは皮が固いし、リンゴは酸っぱく水気がない、一口でやめにした。部屋サービスミスのお詫びなのだろうが、一度客に供され、残されたものを持ってきたような気がして、まずまずだった満洲シャングリラの評価を最後に落とす結果になった。ただ、翌朝の朝食で、いつもは空席を自分で見つけてセルフサービスだが、この日はレストランの受付にキーを示すと、丸い5人用テーブルに案内され、最後まで誰も同席することがなかった。これも罪滅ぼしだったのだろうか?
写真は上から; 満洲全図(双鴨山市にマーク(赤線))、ハルビン駅へ向かう同行メンバー、駅表示板(北京行きもある)、列車到着を待つメンバー、ホテル自室からの眺め(土曜日早朝)
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;旅を振り返り;最終回)
0 件のコメント:
コメントを投稿