21.旅を振り返り
お詫び;2~3日毎にと宣言しながら半月以上休止していた「満洲回想旅行」を再開します(と言っても最終回ですが)。申し訳ありませんでした。
満洲には1939年1月に生まれ1946年9月まで滞在した。長い人生から見ればたった6年強の短い期間である。しかし、この短い時間が私の人生に及ぼした影響は、計り知れない。この歳になり再び満洲を訪れることが出来る経済状態にあるのも、満洲滞在とそこからの引揚げがドライビングフォースとなっているような気がしている。
はっきり断片的な記憶が残るのは、1942年妹の出産で母と実家に帰京した時以降の4年間。今回の旅は、それをたどるセンチメンタルジャーニー、関心事は新京(長春)と新京-大連間の鉄道の旅(厳密には在来線と高鉄(新幹線)は路線が異なるが)。この点に関して、完全に期待通りではなかったものの(旧居付近を訪れたかった)、「出かけてきて良かった」と結論づけられる。
新京観光は実質半日強に過ぎなかったが、素晴らしいガイドに恵まれたこともあり、往時のあの場面この場面を思い起こすことが出来たし、その後を知りたいと思っていた、場所;小学校・建設途上の宮廷府・城内と呼ばれた満人街・ヤマトホテル・三中井デパートについて、立ち寄る機会や詳細情報を得ることができた。また、往時訪れたことのない官庁街を今回巡ることが出来たのは収穫。改めて首都作りの壮大さを再確認した。
鉄道は大連-ハルビン間を往復、じっくり観察出来た。母との帰京時見たハゲ山、引揚げ列車の左右に広がる赤茶けた荒地しか記憶になく、今回それが地平線まで続く緑になっており、驚かされた。記憶違いであろうか?水田はまったく見かけられなかったが、明らかに全面耕作地である。もともと地味豊かな土地であったものを、新生中国が再開拓してきたに違いない。
大連・瀋陽(奉天)・長春(新京)・ハルビンには日本統治時代の大広場が残り、周辺の建物もリノベーションされそのまま使われ、その後に建てられた高層ビルと調和して、時代の変遷を楽しむことが出来た。建物やクルマを見る限り、かつての貧しさをうかがうものは皆無だ。反面、中国に限らずアジア全般に見られる猥雑で活気のある繁華街(日本ならアメ横)は見受けられず、いささか寂しい気がしないでもなかった。
朝食はホテルのビュッフェなので代り映えしなかったが、昼食・夕食はハルビンのロシア料理(夕)と瀋陽の朝鮮料理(昼)を除きすべて中華、海鮮・餃子・お粥・串焼きなど多様、味も全般に薄味で、個人的には好みだった。ただ、量と種類の多さには圧倒され「もったいない」とさえ思えるほどだった。
観光ツアーでは景観も重要。しかし、旅順を除けばこの点では見るべき景色は皆無。要するに高い山も深い谷もなく、ただただ広大な大地が見渡す限り続く、日本との違いは決定的だった。思い返せば、満洲で美しい景色に打たれた記憶がなかっただけに、引揚げ船から見た博多港近くの白砂青松が強烈な印象として蘇る。
史跡も旅の大きな楽しみの一つ。今回書物などから想像していたものと異なっていたのは、日露戦争における旅順攻防戦、ロシア軍のトーチカの造りである。これほど頑強なものとは思っておらず、当に「百聞は一見にしかず」通りであった。一方で、最終的に太平洋戦争に至る、満州事変関連の史跡、例えば張作霖爆殺あるいは事変のきっかけとなる柳条湖事件(満鉄路線爆破)の現場(いずれも瀋陽駅周辺)を訪れることはなかった。もしかすると、意図的にそれを避けているのかも知れない。
大方の海外ツアーでは何かしらエンターテインメントが組み込まれる。民族舞踊・音楽などがそれらだが、今回はそれも全くなかった。満洲固有のその種の文化はない、と言うことだろうか?両親が満洲の芸能に関して話をすることがなかったところをみると、そうなのかも知れない。
ツアーの付きものでもう一つなかったのが、土産物店への案内である。これは帰国後知るのだが、このツアー(阪急交通社クリスタルハー)は、中国ばかりでなく、すべてのコースで、これを行わないことを特色の一つにあげている(この他少人数(今回15名)も)。この歳になって記念品を買おうという気もない私にとり、好ましいシステムだった。ただし、菓子など食品類に関しては、大連のガイドで全行程添乗員補助だった孫さんがカタログ販売のアルバイトをしており、選択肢は少ないが私もこれを利用、最後の大連でそれを受け取るので、荷物にならず助かった。
このコースは、5月に2回、今回参加の6月、それに9月と年4回実施。3月時点で5月は既に満杯、6月もキャンセル待ちで滑り込んだ。5月は“大連のアカシア”が売りなのだろうが、格別興味はなかった。9月は“柳条湖事件”の月(18日彼の地で記念行事が行われたことを新聞で知った)。結果として6月は好ましいと思っていたが、今年の猛暑は満洲も同じ(海が遠いだけに一段と厳しい)、暑さには参った。自由時間は日陰を探して休養ばかり、「これが最後の海外ツアー」を自ずと納得した。
最後は少々時間がかかりましたが、長く閲覧いただき有り難うございました。
-完-
写真は上から; 満洲全図、当時の新京地図、旅順東鶏冠山要塞、旅順港入口、瀋陽駅前広場、三中井デパート、宮廷府、旧官庁利用(吉林大学基礎医学部)、春巻き料理、ハルビン大聖堂
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