2025年10月31日金曜日

今月の本棚-207(2025年10月分)

 

<今月読んだ本>

1) 内務省(内務省研究会);講談社(新書)

2)軽自動車を作った男(永井隆);プレジデント社

3)高倉健の図書係(谷充代);KADOKAWA(新書)

4)入門講座三島由紀夫(佐藤秀明);平凡社(新書)

5)世界秩序が変わるとき(齋藤ジン);集英社文藝春秋社(新書)

6)国境と人類(ジェームズ・クロフォード);河出書房新社

 

<愚評昧説>

1)内務省

-高等文官試験合格者の3割が在籍した、今はなき巨大・強力官庁内務省を25人の研究者がまとめた内務省事典-

 


住んだことはないのだが、本籍は兵庫県龍野市としている。たどれる限り、一族が先祖代々そこで農業を営み続けてきたからだ。しかし、祖父は向学心に燃え上京、政治家の書生をスタートに内務官僚となって、家督を弟一家に譲り、任地は転々とする。従って、父は宮城県で生まれ、中学は先ず徳島中学に入学、次いで郷里の龍野中学に転校している。この間祖父は警察署長や郡長を歴任、政治任用の時代、支持政党が野に下り、次は知事の可能性を期しながら、一時閑職にあったとき急逝している。戦前の内務省が広範な行政分野に大きな力を持っていたことは、断片的に知ってはいたものの、全体像を体系的に学ぶことはなく、今回祖父の生きた時代をうかがうことと併せて、巨大官庁の実態を知るべく、本書を読んでみることとした。

書店で目にし、先ず引っかかったのは著者が個人名でなく「内務省研究会」となっていること、次いでその厚さ(新書で550頁)にもちょっと躊躇させるものがあった。そこで“はじめに”と“あとがき”をチェックすると、カバーする領域の広さと政治や社会情勢との関わりが複雑で、一人の研究者では到底担えるものではなく、2001年研究会を結成、20年を超す研究会活動の成果をまとめたものが本書であることが分かった。研究会メンバーはすべて大学人、著者一覧には25名の名前が並び、おそらく一般向けの内務省解説本としては、これ以上のものは無いと言える充実した出来映えである。

内務省の巨大さを理解するために、平成の省庁統合や本省・外局の関係を無視して、よく知られる行政組織名で列挙すると;自治省・警察庁・消防庁・建設省・国土庁・厚生省・労働省・都道府県知事、などとなり、税制や農政では大蔵省や農林水産省あるいは文部科学省(宗教関係)の担当領域と重なる部分も担い、内務大臣は副総理格、閣内No.2の位置にあった。また、1888年に発足した高等文官(高文)試験の1931年まで44年間の合格者4430名の内、約3割の1282名が入省するほど人材豊富な官庁でもある。

とは言っても創設時から「省庁の中の省庁」ではない。明治政府は藩閥でスタートするが、やはりカネを扱う大蔵省がNo.1、当時は農業が主要税収源であり、大蔵省は地方行政を取り込んで大大蔵省を画策する。明治の元勲たちの綱引きの結果、なんとか独立するが、それは大蔵省の一画であった。1890年総選挙が行われ政党が発足、帝国議会が開設されるが、依然藩閥は隠然たる影響力を持つ。ここから内務省の主要ポスト(大臣、次官、警保局長)争いが始まる。選挙制度を設計し、地方行政(選挙活動)と警察行政(選挙違反取締活動)を握れば、有利な選挙活動・政権運営が行えるからだ。最初の対立軸は藩閥対政党。やがてこれに行政の専門家である高文試験合格者が絡み、複雑な様相を呈する。藩閥のリーダーであった山縣有朋内相は全官庁の高位職を高文合格者に限定、政党色排除を図ったり、技官の昇進に制限を加えたりする。しかし、この策の適用実態は、ときどきの政治情勢により二転三転。祖父の現役時代はこんな状況下にあったことが見えてきた。この間、専門職(医官)の役割が重い衛生行政は厚生省として分離するし、同様に専門性の高い土木行政に次官職に相当する技監職が設けられるなど、既に巨大過ぎる弊害を自身の中でも改革する動きが出てくる。敗戦による内務省解体はGHQの命令に依るとされているが、少なくとも機能再編の必然性は戦前から省内外にあったと研究会は見ている。

本書の構成は「通史編」と「テーマ編」に分かれ、前者は四章で明治前期から終戦後解体までの省全体の変遷を述べ、後者は十章を費やして、地方行政・警察行政・衛生行政・土木行政・社会政策(労働、救民など)・防災行政・議会運営・軍部との関係、などを各論として詳述、合わせて内務省の全容を解説する方式になっている。我が国近現代史を紐解くとき、内務省事典として、大いに役立つ一冊と言える。

 

2)軽自動車を作った男

-浜松の織機会社を5兆円のクローバル企業に育て上げた、四代目スズキ自動車社長鈴木修の伝記-

 


幼時父が自動車会社勤務だったところから発し、途中鉄道や飛行機に興味が傾いた時期があったものの、卒論はガソリンエンジンの回転数制御を選んだ、根っからの自動車ファンである。所有したクルマは決して多くないが、それなりに特色のあるものを乗り継ぎ、国産車ではトヨタ、日産、ホンダ、日野製を持ったし、スバル(水平対向エンジン、前輪駆動)やマツダ(ロータリーエンジン、ロードスター)にも大いに惹かれた。しかし、スズキの4輪に興味を持ったことは無かった(これは三菱やダイハツも同じ)。このスズキへの関心が突然起こったのは、2005年ハンガリーへ出張したときである。ブダペストの街中を小気味良く走り回っている小型車がスズキのスウィフトであることを知り、それがハンガリーで生産されていることを、現地のスタッフに教えられたからである。その後何度か欧州へ出かけ、多くの日本車を目にしてきたが、スウィフトほど欧州の古い街並みに似合うクルマはない、と勝手に思い込んでいる。本書はそのスズキをユニークな国際企業に育て上げ、昨年亡くなった鈴木修の伝記である。

スズキの創業者は鈴木道雄、元々は大工だが1920年鈴木式織機株式会社を立ち上げ成功、豊田織機同様、戦前自動車への進出を試みるが、戦争で中止。戦後織機会社として再スタートする。この道雄には三人の娘がおり、すべて養子を迎え、彼らは三人とも旧制浜松高専(現静岡大学工学部)機械科卒、長女の婿鈴木俊三が二代目社長となり、オートバイ生産を経て本格的に自動車製造業に進出する。次女の婿鈴木三郎は我が国初の軽自動車スズライトの開発主務者、三女の婿鈴木實治郎が三代目社長を務めている。そして鈴木修は鈴木俊三の娘婿となり1978年から四代目社長を務めることになる。

鈴木修の旧姓は松田、岐阜県下呂の農家の四男、1945年春旧制中学から予科練に進むが終戦で復学、師範学校を卒業し、世田谷で正規の小学校教師を経験(この時の教え子に俳優から参議院議員となり議長も務めた山東昭子がいる)、そのあと中央大学法学部で学び、中央相互銀行(現あいち銀行)に勤務中俊三と懇意になり娘婿として迎えられ、1958年スズキに入社する。かなり曲折した経歴だが、これが管理職・役員・社長と昇進するにつれ生かされていく。根っからの営業マン精神(特に業販店(資本関係のあるディ-ラーではない個人企業)を家族ごと虜にする。OEM車の売り込み(日産、マツダ、三菱))、即断即決(GMとの合弁および解消、中国撤退、原付バイクの一時生産停止)、戦うときには徹底的戦う(インド政府、フォルクスワーゲン)、面子より実益重視の危機管理(トヨタへの救援依頼(ライバルであるダイハツ製エンジン採用))などがそれらだ。冷徹な経営者であるとともに“情の人”であることもよく伝わる筆致。これは著者と鈴木修がお互い仕事を超えた友人であることから来ているのであろう。そんな場面も随所で語られる(時には写真付きで)。

鈴木修が技術者でないこと、著者もあまり技術に精通していないのであろう。技術面からの話に乏しいのはいささか不満だが、ヒットしたアルト、ワゴンR、それに軽の四輪駆動ジムニーにまつわる命名や開発秘話は本書で初めて知った。アルトは音楽用語であるが、これだけでは弱いと「あるときは××に、あるときは○○に」とキャッチコピーを作る。ワゴンRも同様「セダンもあるが、ワゴンもある(R)」と。また、ジムニーはホープスター社(遊園地向け車輌が主力)から製造権を買い取り発展させたもの。

鈴木修の伝記としてだけでなく、軽自動車史としても興味深い話が満載。例えば、鈴木修の政治活動、経団連会長も務めた奥田トヨタ社長による軽自動車優遇税制潰し、環境対策に苦闘する軽自動車業界、あるいはダイハツやホンダに居た鈴木修礼賛者の存在などがその例だ。軽自動車は今や国民に不可欠な存在(生産者、利用者ともに)、鈴木修なくしてそれはなかった。これが読後感である。

著者は1958年生まれ。新聞記者を経て独立。企業をテーマとするノンフィクションを主体とするジャーナリスト。ビール業界に関する作品が特に目立つ。

 

3)高倉健の図書係

-「活字を読む読まないは顔に出る」、デビュー時の監督助言で読書人となった名優、その書籍探し担当者による愛読書と誠実な人柄-

 


中学生時代からの映画ファン。しかし洋画かぶれ、ハリウッドかぶれで、ほとんど邦画を観ていない。観たのは黒澤作品や内外の映画祭などで受賞した作品くらいだ。文化勲章まで受章した高倉健出演の映画を劇場で観たのは「八甲田山」のみ、あとはTVで「鉄道員(ポッポヤ)」と「黄色いハンカチ」などごく限られる。ただ、これら数少ない鑑賞作品から、役を通じて伝わってくるのが、極めて誠実そうな人柄だった。好きな沢木耕太郎のエッセイなどでもそれがうかがえ、興味ある人物の一人となっていた。その人が読書家であり、その手の内が明かになるタイトルと帯に惹かれ読むこととなった。

著者は1953年生まれ。出版社で編集を担当の後フリーライターとして独立。ルポルタージュ、エッセイなどを雑誌等に寄稿している過程で、1980年代高倉健を取材。これが縁で“図書係”となるが、付き人のような専属ではなく、ライターとしての仕事は並行して行っている。出版界に詳しいことから、高倉健にしばしば書籍探しを依頼され、それが彼の死までつづく。この関係から死後「高倉健という生き方」(新潮社)、「高倉健の身終い」(角川新書)なども出版しており、本書もその一つと言っていい。

副題に「名優をつくった12冊」とあり、山本周五郎「樅の木は残った」「ちゃん」、檀一雄「火宅の人」、山口瞳「なんじゃもんじゃ」、三浦綾子「塩狩峠」「母」、五木寛之「青春の門」、森繁久弥「あの日あの夜 森繁交遊録」、池波正太郎「男のリズム」、白洲正子「夕顔」「かくれ里」、長尾三郎「生き仏になった落ちこぼれ酒井雄哉大阿闍梨の二千日回峰行」が主題となるものの、他の多くの書物にも触れ、高倉健・作品と筆者・これと関わる映画作品・それに著者の関係を、あれこれ異なる角度から語っていく。例えば、三浦綾子作品では高倉が「網走番外地シリーズ」撮影中層雲峡に滞在、たまたま読んだ「塩狩峠」を著者に薦め、それに惹かれた著者が難病に冒されている三浦のルポルタージュをまとめる仕事を開始する。また、山本周五郎に関する章では、周五郎作品に興味を持った高倉が木村久邇典「男としての人生 山本周五郎のヒーローたち」を読み、これからヒントを得て映画作りを発想、関係者にも読んでもらうため、著者に古書探しを依頼する。しかし、既に絶版、出版社に増刷の可能性を問うと、200冊増刷で100冊引き取ってくれるなら受けるとの回答。なんと高倉はそれを受入れ100冊を購入し、あちこちに配る。「火宅の人」への興味は高倉が檀一雄の足跡を追うTV番組「むかし男ありけり」のキャスターを務め、ポルトガルへ出かけた話や、「昭和残侠伝破れ傘」で壇の娘ふみと共演した話におよんだりする。高倉が白洲正子の「夕顔」に惹かれるのは、著者の単独企画として「アサヒグラフ」に売り込んだ白洲正子の行動を追う連載記事「白洲正子 清々しき遊び」を高倉が目にしたことに発する。

高倉の本探しは、新刊書は自分で買い求め、簡単に入手出来ない古書を著者に依頼するやり方だが、先の例からも高倉から著者に「この本を探してくれ」と一方的に命じられるような図書係ではなかったことが分かる。

読書の動機は必ずしも映画の仕事と直結するものではないが、映画企画の際は2050冊を購入、それを関係者に配り、意見を求め、これはと思う本は自身ボロボロになるまで読み返し、慎重に映画化可否を決する。

高倉が読書に傾注するきっかけの一つは、俳優としての駆け出し時代、巨匠内田吐夢監督にしごかれ、その際「時間があったら活字(本)を読め。活字を読まないと成長しない。顔を見ればそいつが活字を読んでいるかどうかわかる」と諭されたことがあるようだ。それを終生実行したとこは本書を読んでよく分かり、高倉の生真面目な性格の一端を垣間見たような気にさせてくれた。

 

4)入門講座三島由紀夫

-壮絶な最期を遂げた三島由紀夫、その文学は生と死の葛藤であった。三島研究者が31作品から、それを読み解く-

 


中学生時代母の実家にあった日本近代文学全集をもらい受け、夏目漱石・森鴎外・志賀直哉・泉鏡花などの名作は一応読んだものの、漱石の一部を除けば面白いと感じたものは皆無。戦後の純文学作家による作品は、主人公と世代が重なる石原慎太郎「太陽の季節」と三島由紀夫「潮騒」以外まったく読んでいない。「潮騒」を読む動機は、国語の現代文に登場した三島が唱える「芸術至上主義」にある。日本復興の鍵は「技術至上主義」にありと信奉するエンジニア志願者にとって、聞き捨てならぬ言葉に思えたからだ。どんな作品を書いているのか?丁度文庫本が出たばかりの「潮騒」を手にすることにした。内容は、小さな島の若者の純愛物語、「こんな恋ができたら」との思いは強く持ったものの、「芸術至上主義」をそこに感じることはなかった。三島作品を読んでみようという気はないのだが、壮絶な最期を遂げた三島本人の生き方には大いに興味があり、作品論より作家論を期待して購入した。

著者は1955年生まれ。近畿大学名誉教授(文博)、三島由紀夫文学館館長。「三島由紀夫の文学」「三島由紀夫 悲劇への欲動」「三島由紀夫全集」など三島に関する編著書が多数あり、三島由紀夫研究が専門と推察する。

作家論は作品を掘り下げ、作者の内面を探るものであり、本書も幼児体験や小学校・中学校の作文などから始まり、割腹自殺した日付(昭和451125日)が記された「豊𩜙の海 第四巻「天人五衰」」までの代表作品31を時代順に論じ、三島の内奥とその変化を考察してゆく内容になっている。

ここで著者が通奏低音のようにそれぞれの作品分析に用いる「前意味論的欲動」なる視点、私なりに解釈したのは「無意識のうちに持つ思考や言動の根源」であり、三島のそれは“死の欲動と生きようとする意欲の闘い”だとする。そして、その死は単純な死ではなく、何か大きな意義のあるもののために、自分の命を投げ出したいという、ある意味献身の欲動なのだと。三島の最期を知る者にとって、これは確かにうなずけるところだが、何か牽強付会の感無きにしも非ずの安直な論理に見えてしまう。

しかし、著者はこの批判を予測したように、31すべての作品でこの“生と死の葛藤”を掘り下げ、どちらにバランスが傾くかの違いはあるものの、これが三島文学の真髄であることを主張する。率直に言って、著者の言わんとするところは一応理解したが、これが正統・本流の三島論とは判じられなかった(元々純文学にほとんど触れていないこともあり)。

よく知られた一部作品を紹介すると;「仮面の告白」(これで職業作家として認められたとする)、「潮騒」、「金閣寺」、「鏡子の家」(悪評だった)、「憂国」、「鹿鳴館」、「サド侯爵夫人」、「豊𩜙の海四巻;「春の雪」・「奔馬」・「暁の寺」・「天人五衰」」などがあり、それぞれの作品の文学上の特質・批評を概観した後、作品内容をまとめ、結びとして分析・考察を行う。この形式は確かに「入門講座」の名に相応しく、読んだ気にさせてくれる。

面白いのは、それぞれの作品に対する発表時の文芸評論家の批評、礼賛するものから不評ものまで振幅が大きいことだ。そして同じ批評家が時間経過とともに評価を変えていくところも紹介される。この背景には、初期の作品ほど自己を投入せず(自分をさらけ出す太宰治を嫌悪)、次第にそれが変わり、三島自身をモデルとするような作品が多くなって来たこととにあるとしている。作品を読んだこともない者でも、彼の死に様から、確かにそんな作風の変化があったとする見方にうなずけるところがある。

文学論、作家論など興味の対象外であったが、三島由紀夫に惹かれ読んでみた。他の作家のこの種の本を読むことは無いだろうし、これで三島作品を読んでみたくなることも起こらなかった。しかし、異才三島由紀夫の一面を知ったという点において、読んで良かったと思っている。

 

5)世界秩序が変わるとき

-在米ヘッジファンド・コンサルタントが描く新自由主義後の世界。再び「大きな政府」の時代が到来し、米国の標的はこの時代を謳歌した中国に向かう。乗り遅れた日本に復活のチャンスあり-

 


1983年秋、カリフォルニア大学バークレー校(UCB)ビジネススクールの短期上級管理職コースに参加した。エズラ・ボーゲル著「Japan as Number One  Lesson for America」の時代である(参考書の一つ)。この年のコースは例年(50名程度)になく参加者が少なく、総勢20名で米国人が13名、外国人が7名、この内日本人は私一人だった。コース名は「Revitalize America」、言い換えれば、「いかに日本に打ち勝つか」であり、日本株式会社について様々な角度から講義するカリキュラムだった。のちにクリントン政権下でリヴィジョニスト(日本異質論)の論客として知られるチャーマーズ・ジョンソン教授(日本語を解し、「通産省と日本の奇跡」なる著書もある)の授業もあり、当時政官学民共同で進められていた「第5世代コンピュータ」について、皆の前で説明させられたりもした。振り返れば、この頃から米国の日本潰しが始まっていたのだ。三菱電機や日立がFBIのおとり捜査にひっかかり、日米経済摩擦が熱をおびてくる。

個々のジャパン・バッシングの背景にあったのが、レーガン政権の経済政策基本理念である“新自由主義”、政治介入を最小限にとどめ、金利・為替・貿易・所有権などの縛りを自由化(規制緩和)する考えである。これにより、冷戦の勝利からITによる世界支配まで、米国一極主義が実現するものの、今やそれが崩壊しつつある。タイトルの「世界秩序が変わるとき」はこれを意味する。

では、著者の言う世界秩序とは何か。世襲王侯貴族による統治→19世紀に始まるレッセフェール(自由放任主義)→第一次世界大戦後から始まる「大きな政府」による統治→1980年代からの新自由主義、がそれらだ。レッセフェール下では弱肉強食の植民地主義が限界に達し、「大きな政府」では①共産国家、②ファッシズム国家、③ニューディール政策に代表される規制された自由主義を標榜する米国が覇を競い、③が勝利するものの、やがて「大きな政府」による弊害が目立つようになり、新自由主義の時代が到来する。しかし、これも格差社会を生み、ブレグジットやトランプ現象の例に見るように、今や崩壊の過程に入りつつある。これと絡むのが米国の覇権国へのこだわりだ。日本は1930年代(軍事)と1980年代(経済;GDPは米国の70%に達する)、二度この覇権国に脅威を与え敗れた。米国の経済戦略核になったのは新自由主義。日本はこの流れに乗らず「失われた30年」を経験することになる。

WTO加盟を始め、新自由主義の恩恵を最も受けた国は中国。米国は対日経済戦略に、始めはアジアの四昇竜(韓国・台湾・香港・シンガポール)を利用、次いで中国を支援することで目的を達する。この時代民主党のクリントン政権ですら「大きな政府は終わった」と宣言、ブッシュ(父)と争った大統領選挙戦では「ばか!問題は経済だ(安全保障ではない)」をキャッチフレーズにするほどだった。しかし、新自由主義に基づく経済政策は勝者・敗者の格差を広げ、国の中に分断が生じてくる。トランプ現象出現はその結果であり、一見混乱状態に見えるが、アメリカが自己変革する際の柔軟性と取るべきで、地政学視点は決してぶれていない、と言うのが著者の見解である。そしてその標的は明確に中国(対米GDP50%)に据えられ、中国離れ・中国潰しに関する種々の言動が本書の中で詳述される。

では新自由主義周回遅れの日本はこの状況下でいかなる位置にあるのか。新自由主義対応では「口減らしが必要な村で、姥捨てを行わず、皆で痩せ細る」対応で耐え忍び、活力のない社会になってしまった。しかし、少子高齢化進行で労働力が不足、生産人口に対する就業率が高まっており、並行して賃金も上昇、製造業の生産性はOECD加盟ライバル国と遜色ない(問題はサービス業にある)。また女性の社会進出もプラス要因。加えて技術力は依然トップレベルにある。さらに、ポスト新自由主義では政治が経済に関与する度合いが高まり、政財官の親和性(政治介入をより円滑に行える)がキーファクターとなるが、かつての復興期・高度成長期、そのノウハウを蓄積、依然保持している。加えて、米国が対中戦略を進める上で、地政学的に日本を重要視しているおり、世界秩序体系の激変というパラダイムシフトの中で、日本は勝者に転じる可能性が高いとする。“Revitalize Japan”には疑問を残すものの、勇気づけられる主張だ。懸案事項は、政権与党が脆弱なこと(本書出版は202412月、既にトランプ当選は決しており、日本は石橋首相の下、衆議院選挙で議席を減じている)。

本書を超要約すれば、「米国は覇権国家を維持し続け、日本は再び「勝てる席」に座らされる」。にこのような考えに至る過程は著者の経歴と深く関係する。正確な生年は不明だが、1970年頃と推察できる。バブル末期大手都市銀行に入行、1993年に退職しジョン・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院に入学。1995年に卒業し、ヘッジファンド(ソロスのファンドやそれと並ぶタイガー・ファンドなど)向けコンサルタント企業G7に日本担当として就職、その後独立しオブザバトリー・グループの共同経営者として今日に至る。仕事を一言でまとめると「政策・政治と金融の架け橋」。日米の著名な財政・金融専門家、ヘッジファンド経営者と太いパイプを持つことが本文から窺える。新自由主義に関しては反対者ではなく、信認を失ったのは確かだが、進め方に問題があったとする立場。現下のトランプ現象も、拙速や言動に配慮を欠くとしながらも、「トランプは天才的な嗅覚の持ち主」と一定の評価を与える。この辺りの考え方は我が国知識人や政府筋あるいはジャーナリストと異なり、賛否はともかく、米国政治・経済・世論の深奥部を知る点で、読んだ価値は十分あった。少々驚いたのは著者がトランスジェンダーであることだ。男性として都市銀行に入行、米国大学院時代にカミングアウト(公表)し、女性に転じたことが本文の中で語られ、異質な人間だからこそ、業界でそれなりに注目される効用もあると語っている。

 

6)国境と人類

-民族国家誕生と歩を一にする国境策定、それ以前の世界まで遡り、現代の国境にまつわる諸問題を、穏やかな筆致ながら本質に迫る、ユニークな国境エッセイ-

 


北方四島、尖閣諸島、竹島など我が国にも領土問題は在るものの、地上に引かれた国境線はなく、国境を意識する機会は極めて少ない。自身の経験で言えば、ナイヤガラ瀑布見学(米加国境)、香港観光における中国本土深圳訪問、マレーシアからシンガポールへの入国、それに板門店における韓国・北朝鮮休戦ライン見学(越境なし)の四カ所、いずれも観光目的で、越境という緊張感をほとんど覚えなかった。しかし、直近の世界を見れば、ウクライナ戦争、ガザ紛争、また欧米における難民・違法移民など、国境を巡る問題はいたるところで発生している。多くの国境関連書籍は戦争・紛争を含む地政学的視点から書かれており、本欄でも昨年4月「新しい国境 新しい地政学」を紹介している。しかし、原著のタイトルは「The Edge of The Plain(平原の最果て)」であり、狭義の国境とは異なる印象を受け、読んでみることにした。結果は、民族国家の領土を中心にした国境論と比べ、様々な角度から国境を語る国境話(ばなし)といった構成・内容で、新たな国境観を得ることができた。

主題構成は;(国境を)つくる・動く・越える・崩す、の4部から成り、それぞれの部で特定地域23例を章として10例を紹介する形式になっている。最終的にそれぞれの国境における現在の問題点を論ずるものの、話の展開は、歴史であったり、旅であったり、取材記であったり、と変化に富み、ある種の旅行エッセイを読んでいるような気分を味わうことができる。

例えば、“つくる”の部で取り上げられるサーミ人(ラップランド人)。トナカイの放牧を主とする彼らは2万年前ヨーロッパ中部で暮らしていたところから、現在はノルウェー、スウェーデン、フィンランドの極北部に移動、そこに生活圏を築いたものの、3国により作られた国境で分断され、少数民族同化策で、伝統的な生き方に制約を受けている話。どこの国も自由な放牧を認めず、頭数制限の間引きさえ強要されているのだ。そのひとつの目的は、再生エネルギーに要する広大な用地確保のためである。

“動く”では、いまだ完全停戦が実現していないイスラエル・パレスチナ問題を取り上げる。特にエルサレム市内の境界線が、イスラエル建国時国連が定めた所から動かされている経緯を語り、パレスチナ人家屋の中までおよぶ話やイスラエルがオスマントルコ時代の土地収用法を適用し(3年間耕作されず放置された土地は国有とする)、荒れ地に井戸を掘削(パレスチナ人にはカネも技術もない)、地下水を汲み上げ、集団農場(キブツ)を設営、パレスチナ人の土地を事実上イスラエル領に組み込んでいる。

“越える”では、第一期トランプ政権で築かれたメキシコとの国境壁。自然環境の厳しいところほど不法入国者が集まるが、そこに強固な防壁を設けるには、しっかりしたコンクリート土台が必要となる。しかし、これに要する水の確保が難しい。そこで地下水を汲み上げるのだが枯渇してしまい、さらなる砂漠化が進む。そんな砂漠に難民たち(死者を含む)が残した持ち物を集め分析している研究者が居る。その分析結果の一つが飲料水用のペットボトル。以前は無色透明の物が多かったが、最近は黒に変わっている。太陽の反射で発見される確率を下げるためだ。

“崩す”では、コロナ禍から始まる伝染病の“越境”が取り上げられ、欧州・近東(オスマントルコ)の国境線はもともと防疫・検疫(ペスト、コレラ流入防止)の性格が強い検問所設営から始まったことを歴史的に解説、現代に至るも既存の国境管理方式ではパンデミック防止が容易でないことあらためて認識させる。

ここで語られるもう一つの話題はサイバー空間における、国境越え(侵攻)とその防止策。中国・ロシアが力を注いでいることを例に、新しい国境問題を提起する。

この他にも興味深い話がいくつも。“最果ての地”の英語は“フロンティア”、スペイン語では“フロンテーラ”。前者では“限界のない所”が原意であるのに対し、後者では“限界”が本意、ここからアメリカ・メキシコ国境の変遷を論じ、アメリカ(人)には「国境は移動する(させる)もの」とのDNAがあるのではないかと述べたりしている。

人類生存・発展6千年の歴史をつぶさに観察・分析すると、「人間気候ニッチ」という概念が浮かびあがる。“人類生存適性条件”とでも解釈すればいいのだろう。それによれば「土壌の肥沃度よりも、年間平均温度がはるかに重要」、11℃~15℃の地域がそれに相当する。地球温暖化が問題視される昨今、未来の国境と民族はどうなっていくのか?問題提起で本書は終わる。

著者の年齢は不詳、スコットランドの歴史家。題材として取り上げられる国境地域すべてを現地調査しており、それが深刻な国際問題にも関わらず、旅行記風の作品に仕上がった一因と推察する。 

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