<今月読んだ本>
1) 相撲を見る眼(尾崎士郎);中央公論新社(文庫)
2)翼をください(原田マハ);毎日新聞出版(文庫)
3)生と死を分ける翻訳(アンナ・アスラニアン);草思社
4)「酔っぱらい」たちの日本近代(右田裕規);柏書房KADOKAWA(新書)
5)新書 世界現代史(山北省吾);講談社(現代新書)
6)機械ぎらい(速水健朗);集英社(新書)
<愚評昧説>
1) 相撲を見る眼
-双葉山の69連勝もある、「人生劇場」作者が観た「大相撲人生劇場」-
初めて大相撲を観たのは昭和27年(1952年)中学2年生の時だった。課外授業で蔵前国技館に出かけ、花相撲(現在の地方巡業に相当、東京でも行われていた)を観戦した。当時両国国技館は東京下町大空襲で被災、修復して米軍が使っていたので、大相撲興業は行えなかった。その代わりに建設されていたのが蔵前国技館である。見学時には内装は未完成で工事現場のようであった(完成は昭和29年)。どんな力士が登場したかはまったく覚えていないが、コミカルな初っ切り相撲が記憶に残る(初っ切り;本番の始まる前の意)。本書の皮切りは隅田川河岸浜町の料亭から川越しに、蔵前国技館を遠望するシーンから始まる、昭和初期から20年代末期までの大相撲雑記である。著者は「人生劇場」で知られる作家、横綱審議委員も務めるほどの相撲ファン。単行本は昭和32年(1957年)刊、本書は昨年発刊された文庫復刻版である。相撲に格別な関心のない私が求めたものではなく、ジム仲間が廻してくれたものである。たまたま軽い読み物を切らし、本書を開いたところ、冒頭の蔵前国技館で少年時代が蘇り、引き込まれて最後まで読むことになった。二十数話から成るエッセイだが、長短のばらつきが多く、初出や執筆時期もまったく記さされていないから、諸処に寄稿したものを後日まとめたものだろう。しかし、当時の世相と大相撲の関係、これに対する著者の見解が色濃く浮かびあがり、古い時代の話でありながら、現代にも通じる大相撲変遷史として一読の価値があった。
双葉山の69連勝が途絶える安藝ノ海との取り組み、贔屓であった清水川との接し方のような狭義の「相撲を見る眼」が多く取り上げられているものの、何度も視点を変えて語られるのは天竜事件。そしてこの事件の背景とも言える、人気力士の引退後の人生。ここから当時の「相撲界を見る眼」が語られ、これが現代の相撲界とのつながりを感じさせるのだ。
戦前の本場所は今のように15日ではなく11日、6勝すれば勝ち越しである。番付編成などは今と変わりは無いようだが、力士(引退後を含む)の処遇は大違い、人気力士の現役時代は豪勢な日常だったようだ。しかし、引退後はひいき筋にもよるが、横綱でも生活に窮し、最後は野垂れ死にも幾例か起こっている。こんな現状を改革すべく起こったのが天竜事件である。昭和7年(1932年)関脇天竜以下32名の力士が大井の中華料理店「春秋園」に立て籠もりストライキを打つのである。バックには大阪方面に支援者もいたらしく、反乱力士は大阪で興業を行たり、さらに満洲にまで進出する。天竜等の要求は相撲協会に対し、経理内容を明確にすること、特に入場券販売を請け負う相撲茶屋との関係を断つこと、その上で力士の待遇改善を求めるものであった。一時期は新聞を中心にその動きを支持する世論が盛り上がり、相撲協会は存亡の危機に瀕するが、左翼批判とわずかな譲歩で巻き返され、反抗の徒は切り崩されて、改革は潰えてしまう。
こんな話は、近年協会理事選挙で、推薦されたかった貴乃花(二代目)が立候補し敗れたこと(内々のなあなあ体質)や未だ枡席販売の特権を握り、過剰と思える飲食や土産物代をチケット抱き合わせで販売する旧態然の茶屋制度に見て取れる。
相撲そのものに戻れば、大関以上の力士の負け越しに対する厳しい見方(横綱は引退が当然)、真のファンは取り巻きには成らず、あくまでも土俵での力量・立ち居振る舞いから見るべきとの著者見解は一考に値する。
2)翼をください
-アート作家による異色航空ミステリー、史実に残る二つの世界一周飛行はどこで交わるのか-
両親に依れば赤子の頃から乗り物好きだったらしい。確かに幼児期の記憶に残るのは、自動車、路面電車、汽車、船の登場場面ばかりである。しかし飛行機は一度新京(現長春)の飛行場に父と出かけた想い出のみ。それも飛行機そのものの姿はまったく思い浮かんでこない。飛行機への関心が一気に高まるのは、1952年の講和条約発効の前年頃からである。航空雑誌が書店に並び始めたことで身近な存在になり、そこに寄稿されていた第二次世界大戦時活躍した航空技術者たちの随筆に惹かれ、憧れの職業となった。名戦闘機零戦設計者の堀越二郎(三菱)、美しい水冷エンジンの三式戦闘機「飛燕」開発主務者土井武夫(川崎)、二式大艇に代表される飛行艇開発の第一人者菊原静雄(川西)、航空学者で名エッセイストの佐貫亦雄などがそれらだ。そんな中に名城大学教授の本庄季郎と言う人物がときどき登場、この人が戦前は三菱で海軍陸上攻撃機(多発大型の雷撃機)開発の中心人物であったことを知るのである。つまり、96式陸攻・一式陸攻の設計者で、この両機が世界初航空機だけで戦艦(プリンス・オブ・ウェールス、レパルス)を沈めることになるのだ。本書はこの96式陸攻(の試作機)を巡る小説である。
本書を知ったのはFB友達となっている著名な航空写真家が、2009年単行本発行時かかわったと最近投稿していたことによる。その時驚いたのは「この著者が、こんな作品を書いていたのか!」である。著者は1962年生れの作家だが、それ以前キュレーター(学芸員)として美術関係の仕事に携わっており、この体験を基にした小説が多く、本欄でもメトロポリタン博物館やウフィツィ美術館を舞台とした「常設展示室」を2012年に紹介している。「アートの専門家が何故航空を?」の疑問は単行本・文庫本のあとがきから理解出来た。2009年は1939年毎日新聞が敢行した「ニッポン号世界一周飛行」70周年にあたり、その偉業を改めて広く伝えるべく発刊されたのだ。そして、毎日新聞社と著者を結びつけた仲介者はやはり美術関係者だったのである。
本書は1930年代末期に行われた二つの世界一周飛行を主材に構成されている。一つは米国女流飛行家として数々の記録を打ち立て、スミソニアン航空宇宙博物館に特設コーナーが設けられているアメリア・イアハートの最終飛行。もう一つがニッポン号による世界一周飛行である。そしてこのとき使用されたニッポン号は、96式陸攻を改良したものなのだ。現実にはそれぞれ独立して企画・実行されたものだが、小説ではこの二つの飛行を結びつけ、冒険ミステリーに組み上げている。
アメリア(小説ではエイミー)は大学進学が決まっていながら、空への興味断ちがたく航空学校へ進み、単独で女性初の大西洋横断、米大陸横断、ハワイ-オークランド(カリフォルニア)長距離洋上飛行、高度記録飛行などで名を成し、国民的ヒロインになる。そして1937年6月世界一周飛行に挑戦する。それまでにも“世界一周飛行”は行われているが、それは緯度の高いところ、つまり地球の最大円周よりはるかに短い。彼女の計画は赤道を何度か横切るルートで“最長”を目指すのだ。使用機は双発のロッキード・エレクトラ旅客機、愛称は「アメリカン・イーグル号」。本来は十数名の旅客を乗せるスペースの大部分を燃料タンクに使い、航法士兼整備士兼通信士を一人同乗させそれに挑む。他の冒険飛行も同様だが、当然スポンサーは不可欠、この飛行には米陸海軍も協力する。このため、ルートは彼らの要求を入れ東回りとなる。この行程で飛行距離が最も長くなるのはニューギニアのラエからハワイに達する間。このため米政府は日本の統治下にある南洋諸島に近い無人のホランド島に滑走路と補給施設を建設、その間の洋上に軍艦も配置して非常事態に備える。マイアミ→プエルトリコ→南米→アフリカ→中東→インド→ジャワ→ニューギニアまで小さなトラブルはあったものの、無事飛行、6月29日いよいよ最終行程に出立する。ラエを発った機はしばらく海上の支援艦と通信していたものの、やがてそれは途絶え、機がホランド島に到着することは無かった。米海軍は空母(レキシントン)・戦艦(コロラド)・巡洋艦・駆逐艦を総動員して捜索に当るが何の残存物も発見することは出来なかった。ここからアメリア・スパイ説と日本による謀略説がまことしやかに流布されることになる。
1937年4月、朝日新聞は英国王ジョージ六世戴冠を祝う東京-ロンドン祝賀飛行を行い、欧亜連絡の新記録(94時間)を打ち立て、国威発揚に沸き立つ。この時使われたのは陸軍の97式司令偵察機(試作機)を改造した「神風号」。ライバルの偉業に対抗するため毎日新聞社が企画したのが「ニッポン号」による世界一周飛行である。機体として選ばれたのが海軍の96式陸上攻撃機(試作機)、本書で初めて知ったのだが、本機はもともと洋上長距離偵察機として計画されたもの。当時の日本機で最も目的に適ったものである。乗組員は機長以下副操縦士・機関士・整備士・通信士・メーカー技術者・報道員(小説ではカメラマン;舞台まわし役)の7名。1939年8月26日羽田を発ち札幌経由でアラスカ→北米西海岸→シカゴ→ニューヨーク→ワシントン→マイアミ→南米西岸→東岸→北西アフリカ→スペイン→イタリア→中東→インド→バンコク→台北→羽田10月20日着と巡り、世界一周を達成する。飛行距離5万3千km、訪問国20カ国。
飛行の難所はアルーシャン列島からアラスカに至る北太平洋海域とアンデス山脈超え。搭乗員にここを飛んだ経験者はいない。さらに、最大の異変はこの間に第二次世界大戦が勃発、本来英・仏・独を訪問する計画は大幅に変更されることになる。2年違いの二つの世界一周飛行がどこで結びつくのか。著者のアート小説もサスペンス基調だが、航空などまったく無縁だった著者が、自身の現地調査(アメリアの出身地カンザス)と複数の航空マニアや専門家の支援も得て、アメリア機不明の史実をそこに組み込んだ仕掛けは、航空サスペンス物としてなかなかの出来映えであった(マニアとして、違和感を覚えるところ無きにしもあらずだが、小説ゆえそれは許される)。
3)生と死を分ける翻訳
-未開地での人質解放交渉、オスマントルコと西欧諸国を仲介する奴隷通訳、ポツダム宣言への回答英訳、通訳・翻訳が分ける運命-
一流出版社刊の翻訳小説はともかく、ノンフィクションの翻訳物ではしばしば理解に苦慮する著作に遭遇する。1980年代中頃ベストセラーとなったハーバード大学教授ガルブレイスが著わした経済書「不確実性の時代」もその一冊。監訳者は戦前ハーバード大学で学び一橋大学学長も務めた都留重人であったことから、経済学に対する自身の無知がその因と考えていた。ところが、しばらくして上智大学教授別宮貞徳が著わした「誤訳迷訳欠陥翻訳」を読んだところ、「不確実性の時代」が何度も取り上げられており、私の知識以上に翻訳に問題があることを知り、翻訳を題材とする書物に関心を持つようになった。最近では鴻巣有季子「翻訳、一期一会」、山形浩生「翻訳者の全技術」を本欄で紹介している。しかし、それらは別宮を始めすべて日本人が著わしたものであり、対象は英和翻訳に限られていた。本書を日経新聞書評覧で見たとき、著者はルーマニア人とあり、外国に於ける翻訳問題を知る良い機会と思い購読した。
著者紹介をみたところ、ジャーナリスト・翻訳家、ロシア語の文学やノンフィクションを英訳し、英紙ガーディアンやタイムズに寄稿、と簡単な略歴しか記されていなかった。そこで少し調べてみると、年齢は50歳代、モスクワ生れ・育ち、出自はアルメニア人、ソ連崩壊後英国に移り、翻訳・通訳をしており、裁判における通訳資格を有していることが分かった。さらにそこには、同姓同名のルーマニア人女性医師が居るが、それとは別人と明記してある。書評欄の著者略歴紹介は評者なのか編集者なのか知らないが、“翻訳”をテーマにしながら、日経もお粗末なことである。
時代は紀元前から始まっている聖書の翻訳から最新はAIによる機械翻訳まで、対象は国際政治、科学技術、報道、文芸作品、公的サービス(裁判)など。言語は英・露・仏・伊・ラテン・スペイン・トルコ・アラビア・ギリシャ、それに日・中も登場する。様々な場面で起こった翻訳・通訳問題を、事例を素に、依頼者・翻訳家/通訳・対応者(文芸作品では作者・翻訳者・読者)の立場を勘案し解説する。本書の目的は、原題の「Dancing on Ropes(ロープの上で踊る)」が象徴するごとく、翻訳者・通訳が依頼人と対応者双方を満足させるようバランスをとることの重要性を訴え、その点からの課題と解決に向けての努力を紹介することにある。外国語を熟知し、正確に使いこなせるだけでは務まらない世界がそこにあるのだ。直訳と意訳、諺やジョークとその真意、習慣や作法、同語異義(相当する単語がまったく違う意味を持つ)、受け手の背景(専門家、大衆)、同化(現地化)・異化(異国情緒をそのまま残す)の使い分け、通訳者に対する誤解など、言語仲介者として苦労が多々あることがよく理解出来る。
順不同でいくつかの内容を紹介すると、単語の取り違い;英語で酒場は「Public House;パブ」、これをそのままロシア語に置き換えると「売春宿」。後世に大きく影響したのは19世紀イタリアの天文学者が著わした火星観測に関する論文。そこには「Canali」の存在が認められるとある。これを英訳する際、翻訳者は「Canals」(運河)」としたので、人工的な運河の存在が火星研究の大きな話題になった。本来は「Channels((自然に出来た)水路)」とすべきだったのだ。文化・文芸への影響という点では、フランスを代表する思索家モンテーニュの「エセー(随想録)」英訳の一節はシェークスピア作品「テンペスト」にほとんどそのまま使われている例を挙げる。
重要な外交・会談の例も多い。オスマントルコと周辺国の交渉を仲介したのはギリシャ系のドラゴマンと呼ばれる通訳専門職(一種の奴隷)、世襲制のそれは中国の宦官同様、為政者に代わり実質的な権力を握る。ニュンヘン会談では独・英・仏・伊の四カ国語が飛び交う。ヒトラーの通訳パウル・シュミット博士は一人で三カ国語を扱い「不屈のシュミット」と称せられるほど奮闘する。テヘラン会談、ヤルタ会談における米・英・ソ3巨頭とその通訳関係も、担当通訳の回顧録でその場の雰囲気を伝える。
“生と死を分ける”の極めつけは日本。連合国は1945年7月26日「ポツダム宣言」(降伏勧告)を発する。これに対し鈴木貫太郎首相は「ただ黙殺するのみ」と記者団に語り、記事になる。これを日本政府や報道機関が英訳することはなかったが、外国での報道は「ignore(無視する)」あるいは「treat with contempt(無言の侮蔑をもってあしらう」と訳され、ニューヨーク・タイムズが30日一面で「日本、連合国の降伏勧告を公式に拒絶」と報じ、広島の運命が決まる。戦後この件を問われた鈴木は「重視しない(ノーコメント)」の意だったと答えたという。翻訳者の訳語選択次第で重大結果を招く例として、敢えて序章で詳しく解説する。
自身の英国法廷通訳としての経験談(依頼者は無意識のうちに通訳を弁護士や裁判官と勘違いしてしまう)や環境変化(法廷による指名制から資格緩和による競争入札)、AI翻訳の影響(進化する機能を認めてはいるが、自分はまだそれより上との認識)など、直近の通訳・翻訳事情も取り上げられ、学ぶことの多い一冊だった。無論本書翻訳に不満なし。
4)「酔っぱらい」たちの日本近代
-1920年代から一世紀にわたる、労働と酒をめぐる近代日本飲酒社会史-
父はあまり強くはないものの、毎日飲んで帰ってくるほど酒好きだったが、あまり明るい酒ではなかったから、少年時代酒に嫌悪感を覚えるほどだった。大学に入学しコンパで口にしたものの、これも好んで飲むようなことはなく、それは就職後も続いた。ただ、バーの雰囲気は好きで、大都会(?)である和歌山市に、少し懐が豊かになる給料日後の週末遠征し、非日常を楽しんだ。そんな時摂るのは、アルコール度が低くのどごしがいいビール一本、あるいは口当たりの良いハイボールをグラスで二、三杯と言ったところ。結婚後家で晩酌をするようになってもそれは大きく違わない。ただ、40代から50代にかけての現役最多忙時は父と同様、ほぼ毎日飲んで帰宅、二日酔いの体験も何度かしている。引退後は毎晩350mlの缶ビールを飲み、昼間外出するとランチビールやランチワインの一杯を、旅に出れば地酒を1合程度楽しむ。これが私の全飲酒歴である。愛飲家ではないが、酒を飲む雰囲気は好きで、読み物もそんなシーンがあるとうれしくなる。吉田健一や内田百閒の随筆はその点で読むだけでほろ酔い気分になってしまう。本書もそんな動機で飲酒の世界に踏み込んでみた。いささか軽佻なタイトルながら、中身は立派な“日本飲酒社会史”、飲酒と労働環境変化を文献やデータで丹念にたどり分析した報告であった。
著者は1973年生れ、京都大学大学院文学研究科で文学博士号取得、現在山口大学准教授。専門は社会学。
ここで言う近代は、概ね1920年代から現代までのほぼ一世紀。着眼点は、産業の主体が農業から工業に転換し、さらにそれが生産現場からホワイトカラーに重心が移り、都会ではデスクワークが主流になっていく経緯と飲酒の関係にある。
先ず前史として、江戸末期から明治時代までの飲酒関連データを用いて、当時の酒の消費やそれによる酔っ払いの実態を探る。18世紀後半の江戸における酒消費量は1合/人/日、これは突出した量なのだが、全国平均も0.5合と決して少なくない。ただし、地方では毎日酒を飲む習慣はなく、神事や特定の時期(例えば、田植えや収穫)に集中して飲むスタイルだったらしい。著者はこれを各藩に残る節酒令や柳田国男の民俗学研究などから類推する。なお全国規模で見た場合、ここで言う酒は濁酒(コメを原料とするどぶろく)で、一般大衆は清酒をほとんど口にしていない。また、神事・祭事(このときはとことん飲む)はともかく、飲む時間帯は作業中(農作業、職人作業)の昼間が主体だった。こんな前史の中で面白いのは、1876年当時の東京府警視庁が保護した酔倒人の数が3350人/年、これは府人口の0.3%に相当する。そして100年後1978年のデータは3万5千109人、これも都人口比0.3%、と同じなのである。
さて工業化が進んでいくと、飲酒スタイルはどう変わっていくか。生産性への意識が高まり、職場からのアルコール排除が定着。飲酒の機会は退社後や休日に集中するようになる。すると休日明けの日(多くは月曜日)の出勤率が60%台まで低下するケースが生じ、労働倫理観を変えていく。つまり、深酒や深夜に及ぶ飲酒に罪悪感を覚えるようになり、飲酒スタイルに変化が表れる。例えば、終電乗客数が増加、終電前の歩行者移動速度が朝のラッシュ並みの速度になる。これらもきちんとデータを揃えて、解説するので、なかなか説得力がある。このような諸現象から、著者は飲酒が優れて労働従属的な性格を持つようになったと判ずる。
飲酒罪悪感が反転するのは戦争期、産業戦士の活力源、疲労回復剤と位置付けられ、酒の特別配給が行われる。ただし、その酒は純米酒では無く、合成アルコール混入が行われ、純米酒が再び生産されるようになるのは1990年代に入ってからである。
敗戦からの復興、経済成長。仕事と酒の関わりは、個人ベースでは「疲労回復」、仲間内では「ストレス発散」、組織としては「接待」、と幅が広がり機会も増える。1960年酒場の件数1万1850軒・売り上げ255億円が、1970年1万6127軒・売上げ1351億円へと急増、社用族の交際費は1960年1200億円、1970年2000億円、1980年3兆円と激増する。
主たる酒の種類にも変化が現われる。幕末・明治期は濁り酒、やがて清酒となり、戦時は合成酒、そして戦後はビール主流に転じてく。背景には戦時下米に関する統制が厳しかったのに対し、ビール用大麦の生産は稲の裏作あるいは畑の冬作として行われていたため、主食生産に影響が少なかったことで、規制が緩やかだったことが背景にある。
そして現代、明らかに酒離れの傾向が見て取れる。男性勤労者の非飲酒率は1984年12%が2023年には20%に増加。ノンアルコールの出荷量は2010年12万キロリットルが、2023年には34万キロリットルにまで達している(因みに清酒は39万キロリットル)。また東京都の人口当たり泥酔保護者数は1970~80年代0.2%が2023年には0.09%とほぼ半減している。つまり、都市勤労者にとってアルコールは以前ほど労働的な価値や意味を持たなくなりつつあるのだ。
新書ながら参考文献リストは20頁に及び、そこには諸官庁の公報、学会誌、社史、郷土史、民俗学文献、サラリーマン小説などが列記され、学術研究報告の一般向け啓蒙書としての性格がうかがえる仕上がり。軽い気持ちで手にした本だが、読後の充実感はきわめて高い一冊であった。
5)新書 世界現代史
-ウクライナ侵攻、中国の戦狼外交、MAGA、移民・難民排除の保守主義、すべてレコンキスタ(失権回復運動)なのだ-
レコンキスタ(Reconquista;国土回復運動)と言う言葉を知ったのは高校の世界史だった。イベリア半島を支配下に置いていたイスラム勢力を半島から駆逐する活動を意味し、8世紀以後1492年まで続いた長い戦いである。当時の高校生として生じた疑問は、なぜ文化・文明が進んだ西欧が、かくも長くイスラムの下にあったのか?であった。それの答えを実感するのは2015年スペイン旅行まで待つことになる。残された文化遺産(アルハンブラ宮殿など)を訪れ、その質の高さを目の当たりにして納得した。この旅でしばしばガイドから聞かされたのがレコンキスタである。本書は2022年3月(ウクライナ侵攻直後)~2025年4月(第二次トランプ政権発足初期)まで共同通信社から配信された、隔週連載国際インタヴュー「レコンキスタの時代」(80回)を基に、これを大幅加筆、書籍用に書き下ろしたものである。ここではレコンキスタを“失地回復”と訳しており、「種々の“失地回復”が同時並行的に進んでいるのが現代である」ことを伝えるのが要旨である。
著者は1963年生れ、大学卒業後共同通信社に入社、欧州・中東・米国などへの特派員を経験、現在同社編集委員兼論説委員。本取材では写真が載るインタヴュー相手だけで20数名。そこには元首相・外相・大使、政治家、国際問題シンクタンク研究員、大学教授、反体制活動家など、さまざまな指導者・権威者・論客(例えば、マハティール首相、イアン・ブレーマー、グレン・フクシマ)が並ぶ。ただし、ロシアと中国に関しては、体制側の人物は皆無である。
1991年ソ連が崩壊、翌1992年米政治学者フランシス・フクヤマ(日系3世)は「歴史の終わり」を著わし、世界は次第に米国・西欧型の民主主義に近づくと予見する。別の言い方をすれば“米国の一人勝ち”である。しかし、この独善・驕りが9.11同時多発テロ以降のテロ根絶に失敗(アフガニスタン、イラク)、米国の影響力が低下して“主なき荒野、Gゼロの世界が出現してくる。
米国の行き過ぎた自由主義は格差社会をもたらし、2011年には“我々は(貧しい)99%”のプラカードを掲げた若者たちがウォール街を占拠している。本書ではかなりの識者が2012年を潮流の潮目変化点と見る。極めつけは2013年オバマ大統領が発した「米国は世界の警察官ではない」の声明、その後ロシアはクリミア半島を占拠、中国による南シナ海岩礁の埋め立てが活発化したことを考えると、その罪は大きい。
相対的に政治力・経済力を低下させている米国の白人は、過度な理想主義を批判し“Make America Great Again(MAGA)”を叫ぶトランプ大統領を出現させ、KGBのスパイいとして東独崩壊を目の当たりにしたプーチン大統領は、それがトラウマとなり、ソ連復活を画策、ジョージアを抑え、ウクライナを我が物にしようとする。習近平主席は“百年国恥”を晴らし「中華民族の偉大な復興」を目指して、独裁体制確立に着々と手を打つ。加えて、BRICSに代表されるグローバルサウスも、長い北の先進国による世界支配に挑み、権力の再配分実現に注力する。一方で、欧州や米国に流れ込む移民・難民は伝統社会になじまない。リベラルな理想主義はこれに寛容だが、それも限界、伝統主義者が失われたよき時代への回帰を願う。いずれもレコンキスタ(失地回復、失権回復)であり、これらが同時並行して起こり、共振しているのが現代世界。そして、この混迷を加速しているのが世論を動かす情報の流れ。伝統的なメディアの影響力が低下し、ネット主体のSNSがそれに取って代わる。好みの情報ばかり集める“確証バイアス”、それが共鳴する“エコチェンバー現象”、工作者が流す巧妙なフェイクニュースがそれらだ。ブレグジットも第一次トランプ政権誕生も、SNSの果たした役割は無視できない。
ではこの先世界はどこへ向かうのか。三つの大国の他にも、地域を問わず伝統主義(あるいは復古主義)が蘇っている。インドのモディ首相、トルコのエルドアン大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、ハンガリーのオルバン首相らがそれらだ。伝統主義は独裁と親和性がある。大国中心に勢力圏が形成されていた19世紀のヨーロッパのような世界が再現される見通しが強い。小国の運命は大国に握られると言うことである。
小国日本は如何にすべきか。最大の問題は、アメリカが今後、常に日本側に寄り添ってくれるとの確信を持てないことにある。当然だが、識者がそれに答えることはなく、自身で見つけなければならないのである。
個々の国々の動向、特に米・露・中に関する分析は、既によく知られたことばかりだが、レコンキスタという観点で括ると、世界の現状が既知のものとは明らかに異なって見えてくる。英・独・仏も今や小国、しかし彼らにはNATOがありEUがある。日本の将来に関し不安感が一桁上がった。
6)機械ぎらい
-ハンバーガーの注文から、乗車券入手、スポーツ観戦、万博入場、病院予約まで、IT弱者が排除される情報化社会。問題の根源を探る-
子供の頃からの模型好きが嵩じて、機械工学科に進んだ。だから決して「機械ぎらい」ではない。しかし、大学の授業では旋盤や鋳物実習で簡単な機械部品は作ったものの、実用に供する機械を分解したり組み立てたりするチャンスはなかった。ただ、幸いなことに卒論研究では、自動車メーカーが国産化のために輸入し、散々使い回し、廃品となった英国製エンジンをもらい受け、エンジンそのものを再生させ、それを使った実験装置を作り上げた。この経験は、のちの自家用車運用・維持にずいぶん役立った。しかし、それも1970年年代までのことで、自動車に限らず、家電なども、分解修理を自分でやることが次第に難しくなっていった。そして、電子化とソフトウェアの現代、機能は複雑化、ほとんど修理不可能となり、製品のライフサイクルは年々短縮、頻繁な買い換えが必要となってきている。こちらが機械をきらいになる前に、機械からきらわれているような気にさえなってくる。「使いこなせないなら、持つな!」と。
導入部で語られるのは情報弱者の現状。スマフォや各種自動発注・予約システムを使いこなせない人々のことだ。飲食店における、専用タッチパネル、QRコード読み取りによる注文、駅の発券機などがその例として取り上げられる。分かりにくい説明で、初心者は操作に四苦八苦、単なる苦手意識だけでなく、自分のもたつきが後に続く人々の苛立ちを呼び、それが恐怖心にまで高まっていくのだ。究極は「時代遅れ」のレッテルである。その因は、機能の複雑さと操作がソフトウェア主体になっていることにある。つまりソフトウェアが他社との差別化を意識し、独自性を求めるところに根源にあり、操作のみならず、囲い込みのため修理への配慮も軽視される(出来なくする)。この具体例が、最大手のハンバーカーチェーンのセルフ発注操作で15ステップ以上にも及ぶことや、米国における家電修理技能者が1996年の20万人から2020年には4万人に減じたことで示される。自動車に代表される、従来の機械普及が標準化によるのと真逆の現象が最近の機械に起きているのだ。
次いで、この現象を“予約型社会”に絞り込んで追及していく。乗り物、美術館、スポーツ施設、テーマパーク、映画館、ホテル・飲食店、病院など、特にコロナ禍以降、予約前提のシステムが続続と導入され、システムを自在に操れる者とそうでない者との格差が拡大、病院などで緊急処置をうけられないケースも生じている。実はこれらシステムは、従来サービスを提供する側が行っていた作業を受ける側に転化したものとして問題視する。また、昨年開催された関西万博では行列解消をうたいながら、実態は行列に並ぶ権利を入手出来ただけで、1970年の大阪万博同様パビリオン前に長蛇の列は発生、それどころか予約システム入口で見えないディジタル行列が出来たことを例示して、予約型社会に警鐘を鳴らす。
以上は主に情報化社会批判の面が強い内容だが、これ以降は新しいテクノロジーが普及・定着するプロセスを、特定の機械あるいは部品について、新技術導入反対の活動を交えながら解説していく。部品では押しボタンの発明が電子・電気応用機器に果たした役割を取り上げ、多すぎるボタンによる混乱事例(炊飯器)、ボタンを減少にこだわるスティーブ・ジョブスの考え方、長押し操作考案によるその実現などが紹介される。
思わぬ事例は1章を設けて解説されるエレベーター開発発展史。著者はこれを「人類が生み出したテクノロジーのなかで、最も洗練され、成熟した装置」と高く評価をする。つまり、高層化による人間活動領域拡張を実現し、社会を変える原動力になったと見るのだ。吊り下げロープ切断によるエレベーター籠落下に対する恐怖が普及を阻むのだが、イライジャ・オーティスによる緊急停止装置の発明とデモンステレーション、光電管による位置決め停止装置などの導入により無人運転が可能となり、高層開発必須の道具として行き渡っていく。冷蔵庫(不自然に冷やされた野菜に対する嫌悪感)、鉄道(騒音、煤煙、景観破壊)なども一時期反対運動の嵐に襲われるが、今や社会生活に欠かせぬ機械として普及してくる。いずれも、革新者(イノベーター)や早期の愛好者(アーリーアダプター)の活動がその推進原動力ではなく、むしろ遅れてきた大多数(レイトマジョリティ)や最後まで利用をためらう層(ラガード)が決定権を握ってきたのだ。
ITツールが抱える問題点克服には「ユーザーインターフェース不全」にもっと目を向け、改善に努力すべしと提言して、結びとする。
昨年8月本欄で「修理する権利」を紹介した。この本も、比較対象として他の機械類も援用していたものの、IT分野に焦点を絞り込んだものだった。本書も“予約型社会”批判までは同様だが、新技術普及ではかなり対象が広がり、情報化社会に対する問題点の詰め(利用者視点の具体的改善策提言)を欠く。さらに最も話題性の高いAIにはまったく触れておらず、種々新知識は得たもののその点で不満が残った。
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