2020年3月31日火曜日

今月の本棚-140(2020年3月分)



<今月読んだ本>
1)旅の効用(ペール・アンディション);草思社
2)美意識の値段(山口桂);集英社(新書)
3)マトリ(瀬戸晴海);新潮社(新書)
4)イノベーションのジレンマ(クレイトン・クリステンセン);翔泳社
5)超限戦(喬良、王湘穂);KADOKAWA(新書)
6)工学部ヒラノ教授の徘徊老人日記(今野浩);青土社
7)客室乗務員の誕生(山口誠);岩波書店(新書)

<愚評昧説>
1)旅の効用
-旅の効用は多々ある。カギは現地の人との触れ合いだ。ツアーにそれはない-

1月末の運転免許証有効期限切れを契機にそれ返納、同時に12年間全国を巡った愛車も売却、それ以降クルマ無しの生活に入っている。日常生活に各段不自由は感じていないが、旅に対する思いは消えない。折から新コロナウィルスでしばらくはそれもお預け、自宅蟄居の間、次の旅スタイルを考えてみたい。そんな時目にしたのが本書である。
旅行記、紀行文、民俗話、冒険譚、乗り物に関する書物、旅に関する本を多数読んできたが、振り返ってみると外国人が書いたものは、歴史探訪や日本訪問記のようなものを除いてほとんど読んだ記憶がない。その点で本書は私にとって初体験とも言える内容だった。つまり欧州人の旅行観(と言うより哲学に近い)に初めて接するものだったのである。
著者は1962年生まれのスウェーデン人旅行家・ジャーナリスト。本書は2017年スウェーデンで刊行され欧州を中心に世界的にヒットした作品と訳者あとがきにある。だいたいスウェーデンに出かけたこともないし、格別関心を持ったこともなかった。しかし、本書を読んで著者の旅行観が母国(あるいは北欧)の日々の暮らしの中から生み出されことを知ると、同じ土壌の中で暮らしてきた我が国作者による旅行記に比べ、基盤の違いからくる“旅の効用”がより鮮明に浮き彫りになり、これからの旅が違ったものになりそうな気分になった。
著者が旅の概念を変えることになるきっかけは、14歳の夏家族でギリシャの小島に夏季休暇で出かけている時だった。そこでニュージーランドから来ていた青年と話を交わし、ここが旅の最終目的地ではなく、次の訪問場所も移動時期も決めていないと聞かされた時である。著者にとって旅とはA地点(だいたいは自宅)を発ちB地点(主に観光地)を訪れ、A地点に戻るものであったからだ。これを自ら実行するのは高校時代、友人とイタリア・スペイン・ポルトガルを旅し、当時はまだ欧州の後進地域であったこれらの国々での体験を通じ認識を一新される。つまり書物やメディアで伝えられる情報はほとんどがテロや紛争など暗い話題や上から目線のものばかりだが、現地へ来てみれば経済レベルや風俗習慣は違っても、本質は自国と変わらないばかりか、むしろある種のゆとりさえ感じられるのだ。こうして歳とともに“人の振り見て我が振り直せ”の心境が高まり見る視点も異なっていく。本書は14歳の気づきから50歳半ばまで続く著者の旅を18篇のエッセイにまとめたものである。
語られる国・地域は南アジア(特にインド)、東南アジア(インドネシアなど)、南欧(特にギリシャ、ポルトガル)、北アフリカ(モロッコなど)、また自身では訪れていないもののアフガニスタン・イラン・トルクメニスタン・カザフスタンなども取り上げられる。中国も訪れているようだが地名しか出てこない。日本は完全に対象外。現代の米国や西欧先進国にもほとんど触れていないことから、同様の位置付けなのかもしれない。
旅のスタイルは専ら質素なバックパッカー、基本的に単独行、暗いく寒い冬に海外に出て夏は母国で訪問記などを書く生活。
本書のポイントは“効用”。先に挙げた“人の振り見て我が振り直せ”に尽きるのだが。題材は様々だ。ツアーと個人旅行の違い(ツアーは現地の人との触れ合いが限定的、国内旅行と同じ)、ガイドとの語らいから学ぶことの多さ(コミュニケーションだけでなく暮らしぶり・生き方まで)、世相が反映するヒッチハイク事情(年々厳しくなってきている)、訪問国数よりリピートすることのメリット(ジグソーパズルを完成させるような喜び)、国境の意義や歴史を見る眼の変化(旅行記の歴史で辿る地域・国情の変わりよう)、遊牧民と農民の違い(を旅行者と現地人になぞる)、歩行することによる思考力の高まり、旅と環境問題(環境負荷の軽い鉄道が不便になってきている)、などなど。景色も名産品もグルメもほとんど話題にしない。確り見つめているのは人と社会。そして、このような旅を楽しめる根幹は「母国が幸せな状態にあることが前提」と締めくくる。
若干西欧人にありがちな“反物質主義”が臭わないわけではないが、“旅の哲学”的筆致に今まで読んできた旅行記には無い奥の深さと新鮮さを感じた。

2)美意識の値段
-クリスティーズ日本代表が説くオークションビジネスを通した美術鑑賞指南-

2007年ビジネスの世界を卒業し半年弱英国の大学でOR(オペレーションズ・リサーチ)の歴史を学んだ。教授のところへ出かけるのは一週間の内一日だったから、宿題(文献講読)はあるものの、昼間は結構時間があってよくTVを観た。そんな中に骨董品のオークション番組があり、毎週知られざる世界を楽しんだ。日本の“お宝鑑定団”のようなエンターテインメントでもなく、かといって名画・名美術品のオークション実況でもなく、ほとんどは一般家庭家伝(?)の家具・置物・食器類などを公民館のような所でセリにかけるのだが、それなりに売り手・買い手・仲介人は真剣で、事前・事後の聴き取りも含めて、オークションを通じて英国人の生き方を学ぶ適当な教材だった。本書はその世界の2大企業の一つクリスティーズ・ジャパンの代表を務める人のオークション事業に関わる話である(もう一つの企業はサザビー。いずれも英企業)。「あのときはほとんどガラクタに近いものだったが、一流品との違いはどこに?」と手に取った。
内容を端的にまとめると著者の“仕事自分史”と言ったところである。1963年生れ、大学では仏文科で学び就職は半外資系の広告会社、そこを経て1992年クリスティーズに入社している。転職の背景に父親が居り、この人は日本美術史の専門家で大学教授、著者の少年時代から後継者に育てることを目論んでおり、京都・奈良の博物館や古寺に連れ出し、日本美術に関する知識・鑑賞眼を鍛えていく。転職の動機は父がサバティカルでニューヨークに滞在する際「一緒に行くか?1年食わせてやる」と誘われ同行したことによる。この滞米中父の研究に随行、メトロポリタン美術館・ボストン美術館・シカゴ美術館などの倉庫にまで立ち入ってそこにある国宝級の我が国美術品を目にする。この経験がベースになりニューヨークのクリスティーズに研修社員として採用され、ロンドンでの研修を経てジャパン・オフィス勤務となる。職種は営業職とアシスタント・スペシャリス(日本・韓国美術)兼務であった。著者が第一線で仕事を始めたのは丁度バブル崩壊後の時期、個人や企業が所持する美術品を換金のため手放すものをスペシャリスト同道で査定するのが主要な業務、その後スペシャリストに昇格、NYオフィス日本・韓国部長、ジャパン・オフィス代表と昇進していく。
オークションビジネスのスタートは良い作品を見つけ出すところから始まる。チャンスは3DDeath(死)、Divorce(離婚)、Debt(負債))。つまり、著名人・資産家・収集家がこのような状況に陥った時がチャンスなのだ。常日頃情報収集を怠らず、Dが生じたらタイミングをみて直ちに行動を起こすのだ。次は鑑定と査定。鑑定は真贋かどうか、状態はどうかを調べ、査定は値付けを行う。ここで大切なのが「来歴」である。どんな人の手を経て今ここにあるのかによって価値が変わってくるのだ。歴史上の著名人が一時保持したとなるとそれだけで価格が何倍にもなることがある。
重要なのは価格査定。これには次の5種がある。①落札予想価格、②底値(この価格を超えたらオークション会社に売る権利が生ずる)、③保険額査定、④遺産査定、⑤適正市場価格(米国納税基準になる)がそれらで、ある幅を持って決められるものが多い。売買に最も重要なのは①と③、その算定因子は;①相場、②希少性、③状態、④来歴、である。
いよいよセリの舞台、スタートは底値より上、落札予想価格の下限より低いところに設定され徐々に上げていく。これは「お得感」を会場にもたらし、応札者が大勢参加することを狙った作戦である。いかに高く落とすかがオークショニストの力量、念押しの一言が記録的高値を呼ぶこともある。
応札参加の仕方は4種;①会場参加、②事前書面入札、③代理人による電話応札、④ライブ中継を見ながらのネット応札。
以上は美術品オークションビジネスの大まかな流れだが、本書はそれを骨子にしながら、著者の体験・知見を各々のステップで例示し解説するところにアートビジネスへの関心を惹くように書かれている。例えば、昨今人気の高い伊藤若冲の作品は、テキサス在住のコレクター、ジョー・ブライスが、有名になる前から収集してきた。これをその死後遺族の希望に沿い四散させずにある程度(190点)まとめて売却仲介を行って出光美術館に落とし、近く公開される予定であるとの話。あるいは17世紀に描かれた長谷川等仁作の屏風(二つ折が3組)や襖絵(24面)が幕末明石城から消失。長く行方不明だったものが、別々に所有されているのを発見(全部ではない)、合体してオークションにかけた例など、美術ミステリーのような話もあって、無味乾燥なビジネス解説とは一味違った内容に仕上がっている。さらに終盤、美術品鑑賞眼の磨き方、所有することの意義、日常生活への活用法などを説き、「アートはビジネスに有効」と言うような打算的美術ブームに警鐘を鳴らす、啓発的な意見も開陳、真の美術愛好家への入門書としての価値も認められる。

3)マトリ
-知られざる、非軍事活動で国家安全保障を担う麻薬取締官の世界-

マトリとは厚生労働省地方厚生局麻薬取締部職員(通称麻薬取締官)の略称。行政職だが司法警察権を持つので小型武器の携行が認められ、麻薬及び向精神薬取締法(麻向法)関連捜査において警察官に近い業務を行う。
麻薬犯罪に関するサスペンス小説は外国のものを多々読んできたし、映画も何本か観ている。小説(映画化もされた)ではトム・クランシーの「今そこに在る危機」、映画ではアカデミー賞5賞受賞の「フレンチコレクション」が印象に残る。「今そこに在る危機」ではコロンビアの麻薬カルテル撲滅のために、麻薬取締局(Drug Enforcement AdministrationDEA)・沿岸警備隊・FBICIA・陸軍特殊部隊まで動員され、携行ミサイルも使われるのだからほとんど戦争だ。フィクションはともかく麻薬犯罪取締は外国では国家安全保障レベルの重大案件、その組織も軍隊や警察に近い。では我が国の現状はどうなのだろう?初版発行から1カ月で第4刷、帯のいかにもその任に相応しい強面の著者写真にも惹きつけられて、本書を読むことになった。
戦前のことは不明だが、この組織の発足は終戦直後軍放出の覚醒剤(ヒロポン)が乱用されたことからこれを規制する法律が制定され、それを実施する機関として1946年製薬監理官の下に麻薬統制官制度が発足したところから始まる。従って、現制度でも医療用麻薬の管理もその範疇にある。冒頭述べた地方厚生局は本省の部局ではなく8地域にあり麻薬取締部はその下の組織となる。しかし、実質的には関東信越局の麻薬取締部(さいたま市)が全国を統括する機能を持ち、著者は1980年に任官、2018年ここの部長を最後に停年退官している。つまりその世界のトップまで登りつめた人である。全国の取締官の総数は約300名、その半数が薬剤師資格者(2割は女性)と言うユニークな組織である(著者も薬大卒)。因みに、本書には記されていないが、緊密な関係にある米国DEAは司法省に属し局長の上は副長官、人員総数は11千名、捜査官だけでも5千人を超す。ただしこの数は単純比較できない。我が国で麻薬犯罪に当たるのはマトリの他に、警察・税関・海上保安庁があり、本書の中でもこれら3機関との役割分担や協力関係が具体的に語られる(「フレンチコレクション」では主役のジーン・ハックマンはNY市警の刑事だったから事情は似ている)。
本書の内容は極めて広範だ。
国際麻薬マーケットの現状;全体規模は50兆円。日本は覚醒剤が突出して高い(太平洋・アジア地区で最大のマーケット)。かつては血で血を洗う抗争を繰り返していたシンジケートだが今では連携する方向にある。
我が国麻薬取締組織の歴史;覚醒剤から麻薬全体の取締に至る法律の改正や組織間調整、特に司法警察権を持てなかった時代の捜索活動や検挙の制約。
麻薬流通の変遷;暴力団、外国人組織(イラン人、アフリカ人)仲介から郵送やインターネット取引への移行。さらにダークネットと呼ばれる追跡困難な取引サイト。
ガサ入れ(捜索、検挙)事例;釜ヶ崎あいりん地区での張り込み、著者が九州地区部長だった時のオランダから輸入された道路工事用ローラーに隠された大量(108kg)の覚醒剤摘発は特に詳しい(写真入り)、脱法薬局の殲滅作戦。
次々と現れる新薬;合成麻薬、完全な違法ではない化粧品や医薬品(例えば香料の機能を持つモノ)、これらは危険ドラッグ(あるいは脱法麻薬)と呼ばれる。
製造方法や製造場所;国外が多い、覚醒剤は韓国が多かったが最近は中国や東南アジアが主生産地。増加傾向にある我が国大麻栽培。世界市場におけるヘロインの供給元はほぼアフガニスタンが独占。
中毒者の惨状;依存脱出の難しさ、中毒者による犯罪や事故あるいは家庭崩壊。
国際協力;各国取締機関との関係、その事例(道路ローラー事件;情報はオーストラリアから)。
300名は小さな警察署程度の陣容、それが全国8ヵ所に分散配置されるのだから自ずと捜査活動に限界がある。検挙者数、麻薬押収量は実態の1割程度(世界的にもこの程度)と見ており、即判定の難しい新麻薬の出現やネット・スマフォ利用の巧妙な取引は取り締まりをますます困難にしている。時に麻薬押収事件がメディアで大々的に報じられることはあるがマトリが主役扱いになることはない。国民の安寧を守るこの地味な組織を知っただけでも本書を読んだ甲斐があった。
毎年国家公務員個人あるいは組織が挙げた顕著な功績に対しそれを称える人事院総裁賞なるものがあり、著者は組織の代表として2度その栄に浴している(道路ローラー事件、脱法薬局殲滅作戦)。この授賞式には平成天皇・皇后両陛下がご臨席、労いのお言葉をくださる。「国民を危険なドラッグから守ってくれてありがとう。案じておりました。よくやってくれました。ありがとう」「危険で厳しい仕事だったでしょう。どうか麻薬取締官たちを労って欲しい」と謝意を述べられる終章は、こちらも思わず込みあげてくるものがあった。

4)イノベーションのジレンマ
-優良会社が新技術事業化に失敗する因は何か?技術経営の名著がそれを明らかにする-

1980年代初期、“Japan as No.1”の時代、外資系石油会社情報システム部門の課長職を務めている時、経営陣から部門の分社化検討を命じられた。この会社は1985年に発足、私も新会社に移り2003年代表取締役を退くまで20年弱部長職・経営者の一人として会社発展のために微力を尽くした。
一方親会社も第二次石油危機を契機に新規事業の模索を続けており、新燃料(太陽光電池など)・新材料(炭素繊維など)・バイオ(当時は診断薬中心)・情報技術(CPU素子に着目)の4分野に人材と資金をふんだんに投入していた。こちらの方はすべて本社持ちで収益など全く関係なく、担当者の士気は高く、既存の他部門も次の主力事業と期待して協力を惜しまない姿勢であった。
私が情報子会社を去るとき、新事業は雲散霧消し、我々は事業を拡大し、親会社の大リストラで他社資本になったものの、規模は小さいながら、化学装置産業特化のシステムインテグレータとして内外に存在感のある会社になっていた。つまり、革新的な事業は失敗し、既存業務の延長線で小さな挑戦を積み重ねてきた会社が生き残ったのである。本書の内容は自身が体験した企業経営そのものであった。
本書の米国上梓は1997年、2000年に増補改訂が出てその日本語訳が出版されたのは2001年、それから201811月まで訳本だけで42版を重ねている経営指南の名著である。現役時代学会活動を通じその概要を耳にする機会があり「読まなければ」と思いながら今日まで来てしまった。既に現役を去り10年以上経った今これを読むことになった動機は、1952年生まれの著者が本年1月末ガンで死亡したとの新聞記事にある(67歳)。多くの新聞が、単なる死亡通知でなく評伝を載せたほど特記すべきニュース、「読まなければ」が蘇り取り寄せた。
著者はブリガムヤング大で経営学を学んだ後オックスフォード大経済学部・ハーバード大ビジネススクール(HBS)で研鑽を続け修士号を取得、その後コンサルティング会社で主に製造業を担当、1992HBSの教授に就任する(専門は技術経営、教員の間に博士号取得)。この間友人とセラミック関係の会社を起業しその経営にも当たった、実務にも精通した経営学者である。
本書の骨子を手短にまとめると「順風満帆の優良会社が、優良会社であるがゆえに新規事業(本書では破壊的技術なる語を用いるが新製品、新市場、新製造法、新ビジネスプロセスを含む)開発に失敗する。その理由はどこにあるのか?失敗を避け、新事業を成功させる方策はあるのか?」と言うことになる。
先ず、優良会社であるがゆえに新事業開発に失敗する理由。決して順調な経営状況に安住して放漫経営に陥ったり、経営者が無能だったりするからではない。経営効率は最高で、経営者は最優秀、研究開発も最先端を走っている、だからこそ蹉跌が生ずるのだとする。株主は短期的投資効率に着目し、顧客は(同価格あるいはそれ以下で)持続的製品の更なる性能・品質改善を望む、研究陣はこれに応える新技術開発に注力する、優れた経営者はこれらの要望・状況を考慮して経営指標の最適化を図っている。これを裏から見れば、株主は利益が小さく確かでない投資を望まない、顧客にとって安価でも性能を落とした新製品はお呼びではない、研究開発部門は更なる性能向上に邁進する、経営判断においては主力既存ビジネスの評価手法によって新製品・技術の採否判定を下す。つまり既存の成功モデル(業務プロセス)が新事業進出の芽を封ずるようになっているのだ。ここに“ジレンマ”が生ずる。ソニーのトランジスタラジオは音質が悪かったが携帯に便利で大ヒットした。ラジオの主力メーカーRCAはそんなものに見向きもしなかった。ホンダのカブがレジャー用にヒットするとハーレー・ダヴィッドソンはOEMでイタリア製小型バイクを販売したが、ディーラーは売上減になると反対し市場から撤退した。IBMやヒューレット・パッカード、かつて“エクセレント・カンパニー”ともてはやされた会社の類似失敗事例が多々示される。
では既存優良企業の中で如何にして小さな新事業の芽を大きく育てていくべきなのか?この部分こそ本書の過半を占める重要部分だが。事例から導き出された成功要因を手短にまとめてみる。
1)破壊的技術を主な顧客とする(非主流)組織に開発・商品化組織を組み込む。
2)小さな機会や小さな勝利にも前向きになれる小さな組織に任せる。
3)失敗を早い段階でわずかな犠牲でとどめるよう計画を立てる。
4)主流組織の資源を一部利用するが、主流組織のプロセスや価値基準は利用しない。
5)商品化する際は、主流市場の持続的技術として売り出すのではなく、破壊的製品の特長が評価される新しい市場を見つけるか、開拓する。
以上の要件を経営に関与した情報システムサービス子会社経営に照射してみると;
小規模な別会社として発足(約80名)。独自人材採用を目論んだが、当初は毎年10人程度に抑え、徐々に増員、上限を親会社の10%程度(300人)にとどめる計画とした。また人事評価や給与は業界に合わせるよう新体系とした(親会社組合員には特別の配慮をしたが)。顧客は石油精製・石油化学業界をコアに据えたが、積極的に他の化学プロセス産業へ進出した。奇しくも本書と重なる部分が多いのに驚かされる。因みに、新規事業の消滅は大株主の意向による。
自己の経営経験も踏まえ、この成功要因は今でも通用すると考える。また製造業に限定されるものではなくあらゆる業種に応用可能である。事実、アマゾンの創設者ジェフ・ベゾスは本書を座右の書として、事業発展のバイブルとしていると伝えられる。
現役のビジネスパーソン諸氏、特に経営企画や製品開発担当者に是非読んでいただきたい。

5)超限戦
911を予見した中国軍軍事思想家の新戦争論。布石は確実に打たれている-

本書の購入は本年1月早々、まだ新コロナウィルスが武漢で猖獗を極めるはるか以前だったが、“中国人の著した新戦争論復刊”の宣伝文句につられて購入した。武漢封鎖が行われ、大量の薬液散布車が無人の市街地を並走するのを観て「一体こんな特殊車両を直ぐ、かくも大量に動員できるのは何故?」と思った。主題の“超限戦”は、戦略・戦術は無論、戦場、仮想敵・攻撃対象、使用兵器・技術、国際法・戦争法、倫理観など従来の常識・枠組みを超えた新たな戦争について論ずるところから名付けられている。先ず連想したのは「細菌戦」だが、それについてはほとんど触れていない。だが、だからこそ超極秘戦略兵器の位置付けにあるのではないかとも疑いたくなる。
本書の著者は二人、一人は喬良元中共軍(解放軍)空軍少将(原著出版時は国防大学教授)、もう一人は王湘穂元空軍大佐、二人は現役時代から親密な同僚であったと後記に記されている。原著脱稿は199812月、1999222日中国で出版されてベストセラーになり、米軍関係者の一部も強い関心を寄せ、翻訳出版の話もあったようである。日本語訳発行は200112月、ここに著者は“日本語版への序”を寄せており、その日付は2001926日となっている。年月日を列記したのは、本書で取り上げられる戦いが湾岸戦争(19911月~3月)から同時多発テロ事件(2001911日)はるか以前までであるにも拘らず、911の可能性に言及しており、事件後関係者の間でこの本が大きな話題を呼び、邦訳出版につながった経緯があるからである。出版直後に本書を読んだ人はその先見性に驚愕したであろうし、20年近く経て読んだ私の読後感も同じである。これからの戦争が正規軍同士の戦いでなくテロ戦争や地域紛争になると予測していた先駆者は既に何人もいたものの、アルカイーダ、ウサマ・ビン・ラディーンを実名で警戒すべき組織・人物と挙げている点には、その予見力の鋭さに脱帽せざるを得ない。
近代の戦争として取り上げられるのはヴェトナム戦争やソ連のアフガン侵攻あるいは数次の中東戦争もあるものの、詳細に分析されるのは湾岸戦争である。これが中国(中共軍)に与えた衝撃は驚天動地であったことが窺える。しかし、著者はこれを冷静に分析し、その弱点(要改善点)を探っていく。それは開戦の口実作り、世論操作から多国籍軍の指揮・運用、数々の最新兵器、具体的な個々の作戦まで広範におよび、従来とは異なる(超限的な)戦争遂行・作戦行動(例えば、統合軍運用やCNNによる実況中継)が展開されるようになると説く。
湾岸戦争を対称戦争として扱った後は焦点を非対称戦争に転じ、今後はこの種の戦争が主流になると断じて、正規戦の枠を超えた様々な戦いの可能性を逐一述べていく。ハイテックの盲点をローテックで突く戦い、民間人を巻き込む戦い、戦域・戦場を限定しないテロ活動、金融システム操作による経済混乱、経済援助戦、ハッカーなどに依るICT戦争、通商戦争、国際法規の主導権争い、国際世論操作(メディア戦争、外交戦)、文化戦、心理戦、宇宙開発先陣争い、などがそれらである。
こうなると正面兵器だけが兵器ではなく、戦場も多様だし、兵士ばかりで戦うわけでもない。宣戦布告も無ければ勝敗の結果も簡単には判別できない。戦争と言うものの考え方を一新することが必要と説く。こんな中で、一つの事例として何度も取り上げられるのが1997年に起こったアジア通貨危機、ジョージ・ソロスこそ最大の金融テロリストと糾弾する。あれが戦争ならば、コロナ騒動で休戦状態にあるものの、米中貿易戦争は大戦争と言うことになる。
著者が勝利の法則として力点を置くのが “組合せとその運用(順序)”である。兵器の組合せ、陸海空軍の使い方、統合軍・多国籍の編成、軍官民の役割分担と統括、兵器以外を用いた各種戦いとの組合せ。湾岸戦争では多国籍軍がイラク軍に圧勝するのだが、この組み合わせ視点からすると陸軍(特に攻撃ヘリ)過重と見做し、そこにパウエル統合参謀本部議長やシュワルツコップ司令官の限界があったとする。
当然だが米軍分析も開陳。その特徴は;技術至上主義、贅沢病(兵器によっては重量ベースで金の価格を超えるものもある!)、(世論を恐れる)人的被害最少主義、軍事拠点ピンポイント攻撃(敵国民間人の被害ミニマム;現実はそうなっていないが)、などを挙げている。しかし、最大の問題点は、軍事革命を軍事“技術”革命ととらえ、従来の枠組み内に依然とどまっているところにあるとする。ここには各種戦いの組合せが配慮されておらず、これからの非対象戦争に対応するには欠陥が多いと断ずる(ここで911を予見する話が出てくる)。見事な競争者分析である。
ある意味敵に手の内を見せる本書が何故出版を許されたのかを少し考えてみた。一つは全体を通して、正面兵器の優位性を湾岸戦争でクローズアップしながら、「それだけでは、これからの戦争に勝てない」ことを種々の角度から論じており、これは毛沢東の「遊撃戦論」に通じるところがある。出版時米中軍事力(特に技術力)に大差があったことからも、このような論が国と軍に有用だったとうかがえる。第二点は、“組合せ”を論ずる中で中国語語法の「偏正律」と言う文法を援用する。偏は修飾語、正は非修飾語、「赤いリンゴ」はリンゴが正(一般的主体)、赤いが偏(一般的なものを特定する因子)となる。ここで著者は、ただのリンゴを修飾する“赤い”にこそ意味があるとし、それを国民(一般的主体)と国家指導部(国民に存在意義を与えるもの)を喩えにしながら組合せ論を展開していく。これは当に中国共産党独裁肯定論である。「毛思想継承」「一党独裁肯定」が出版を許され、ベストセラーになったと推察するのは下種の勘繰りだろうか?
しばしば物議を醸しだすハッカー事件(因み、にハッカーは“黒客”と記す、音が同じ)、一帯一路政策、海外留学生・移民の増加、孔子学院のグローバル展開、アフリカや南太平洋諸国に対する経済援助外交、今回のコロナ騒動で中国傀儡ともとれるWHO事務局長の言動、いずれも出版20年後に実現した「超限戦」の具現化と見ることが出来る。
米各軍ドクトリンの変遷や軍事専門誌を丹念に追い、それらを援用した補足説明も理解を助ける。中国に対する種々の思いは一先ず置いて、この新戦争論を読んだことは、隣国の人間として、これからの対中関係を考える上で大いなる助けになった。

6)工学部ヒラノ教授の徘徊老人日記
-シリーズ終了宣言から帰還した老教授による身近な老人問題大全-

長年続いた本シリーズは、いささか特殊な世界(応用数学、経営工学、システム工学、金融工学、知財特許、文部行政、大学運営)が舞台であったが、そこに少しでも関わった者にとっては、生々しい内幕暴露、辛辣な人物評価の連続「ここまで書いていいのか!?(不和になった人も居たようだ)」の衝撃的内容、掛け値なしで楽しんだ。昨年1月シリーズ最後の(と思われた)「ラストメッセージ」が出て読み終えると「長い間ご苦労様でした」と労いの独り言をつぶやいた。そのシリーズが「シャーロック・ホームズの帰還」のように復活したのである。
ヒラノ教授と私は80歳を挟んで±1年違いだが、この歳まで来るとその差は誤差の範囲(頭脳活動は教授の方が上だろうが)。以前にも終活に触れてはいたが(「終活大作戦」)、今回は終わりが縮まってきている分だけ、それが更に具体的で、私自身は体験したり考えたりしていないことも多々書かれており、あれこれ自分の老い先を想定しながら読み進めることになった。
私との決定的な差は、教授が独居老人であることである。東日本大震災の春、教授の大学定年退職を待つように夫人は先立たれ、10年近くその状態で過ごしてきた一人暮らしの大ベテランなのである。伴侶に先立たれると急速に老いが進む例を近くで見聞している身として、早朝の散歩からスーパーでの買い物、余暇の過ごし方まで、教授の暮らしから学ぶことは多い。
教授は高校・大学時代ラグビーをやっており、そのツケがまわり足腰に故障が生じ、歩行には杖が必要な状態である。それでも体力を落とさないためには散歩(歩行数や速度のモニタリングをきっちり行っている)のみならず区が補助金を出す介護予防施設(スポーツジム)に通っている。この補助金を受けるのには保健所の審査がある(現在介護支援度2)のだが、その審査に如何にパスするか、体力がある規定以上になると“卒業”させられてしまうので如何にそこをかいくぐるか、そんな良からぬノウハウはなかなか目にすることは出来ない。
医師のかかり方に関する情報収集と選択も半端ではない。白内障手術(売れっ子医は両眼同日手術!まるで流れ作業)、入れ歯(インプラントの是非)、肺機能のチェック・処方(肺気腫と告げられセカンド・オピニオンを求め、ほぼ誤診であることを確認)、持病である腰痛治療(良くはならない)、頻尿・残尿対策、おまけに大腸憩室再発と言う時限爆弾を抱えている。診察・治療ばかりでなく概略の費用も示されるので、大いに参考になる。老人の性問題もありますよ!
究極は独居老人の孤独死対策。第一段階は現状の住まいでの死、早期発見のための訪問医機関の利用検討を綿密に行い、当面定期訪問は見送るが、そのクリニックをかかりつけ医にする(一つのカギは尊厳死を認めるか否か;教授はそれを希望するが、そう簡単ではない)。第二段階は一人暮らしが出来なくなった時の介護施設選び。候補案件が見つかり、下見までしてほぼ絞り込んでいるので極めて具体的な内容である。九つの条件(経営状況、費用など5件は必須)を作り探すのだが、良い物件は待ち行列が出来ている。やっと適当なところが見つかり、空き室が一つになったら知らせてもらい契約する段取りをしたところで対応策は終わる(しかし、何やら受け入れ先で問題が生じていることをほのめかしながら)。
以上一部紹介のように、今回はかなり老人の“今そこに在る問題”を、シリーズに共通するユーモラスでときにシニカルな口調で事例的に描いており、“老人問題の傾向と対策”演習に役立つ内容、高齢者に是非一読をお薦めする。

7)客室乗務員の誕生
-容姿端麗から身体強健へ。客室乗務員の80年をたどる-

四半世紀前、ある優良企業の中間管理層活性化プログラムの一環として同社広報誌の対談取材を受けたことがある。その後その事務局が時々対談者を集めて同窓会のような催しを開催、今でも続いている。実は今月も合宿予定があったのだが、コロナウィルス騒動で無期延期となっている。そのメンバーの中に、当時の親会社と密接に関係がある外資系石油会社で秘書室長や人事部長を務めていた女性が居た。何度か同窓会で話すうちに、同社に勤務する以前は国際線のスチュワーデスであることを知った。我々の世代、スチュワーデスと言えば容姿端麗・頭脳明晰の代名詞、だからこそ彼女もその後国際石油資本の部長職が務まっていたのだろう。しかし、1970年初めて海外出張した時、外国航空会社に搭乗するとその印象はかなり違い、仕事に対するプロ意識は申し分なくても、何かビジネスライクな雰囲気を拭えなかった。これは1980年代に入り頻繁に海外へ出かけ、特に米国の国内便に乗るとますます強まり、遂には我が国航空会社の客室乗務員もそれと変わらなくなってしまった。どうやらこの変化にはそれなりの背景があるらしい。岩波がこんな世界(週刊誌的テーマ)を取り上げるのは珍しいので、乗り物好きの好奇心も手伝っで本書を読むことになった。
内容は、我が国旅客航空運送事業とそこにおける客室乗務員の歴史である。ただ手本となる米国の事情はしばしば比較援用される。視点は役割(業務内容)・処遇(報酬はあまり詳しくなく、雇用・労働条件が主)・身分(社内、機内、同職種内)に注がれ、社会史あるいは労働史の一種と言える。
我が国客室乗務員の誕生は1931年(昭和6年)3月、これは米国に遅れること10カ月だった。航空会社は東京航空輸送社、航路は羽田―清水間、使用機は愛知航空機製の単発水上機、乗客第1号は逓信大臣小泉又次郎(小泉純一郎の祖父)。採用された“エアガール”は3名、応募者は141名だったから約50倍の競争率である。面接試験で10名に絞り身体検査(全員飛行機に載せてチェック)で7名が不合格、合格者は皆レベルの高い高等女学校卒だった。役割に、カクテル、コーヒー、軽食(サンドイッチ)の「飲食給仕」があり新聞が「エロ・ガール」などと揶揄したようだ。しかし、主務はこれよりも眼下の景色を説明することだった。その後国策会社の大日本航空が発足、東京―福岡―上海便などを飛ばすが、ほとんど海上で機窓案内はなく飲み物・軽食サービスが主になっていく。
世界最初に専従客室乗務員を配したのはダイムラー航空(英国航空の前身)、1922年のことで、それは男性でキャビンボーイと呼ばれていたが、やがて客船同様スチュワードとなる。米国の先陣は1930年営業を始めたボーイング・トランスポート社(のちのユナイテッド航空)のオークランド(カリフォルニア)-シカゴ間定期便、ここでは最初から女性で、スチュワードの女性名詞“スチュワーデス”が呼称として用いられる。特記すべきは、この中に操縦士資格と看護師資格を持った人が居たことである。当時の飛行機はしばしばトラブルに見舞われたので、看護師乗務は安全性のアピールに極めて効果的、爾後この資格はしばらく必須の要件となっていく(その他の資格要件;25歳以下、未婚、身長164cm以下、体重52kg以下、そして容姿端麗)。
戦争で中断した我が国旅客輸送が本格化するのは戦後独立を回復して日本航空(JAL)が発足してから。この時の呼称は依然としてエアガール、応募資格は学歴や身体条件、英会話力、容姿端麗の他「身元確実」とあり、ここから良家の子女が専ら採用され、“高嶺の花”としてのイメージが出来上がっていく。この後しばらく呼称はエアホステス(欧州系)、スチュワーデス(米国系)と変転するが、我が国ではスチュワーデスに落ち着く。
変化の兆しは航空輸送の先進国米国から起こる。戦後の驚異的な発展で大量採用が行われ、戦前の看護師資格などが不要になるばかりか、容姿端麗よりも身体強権になる。業務内容も限られた人数と客層の乗客を丁重に扱うよりは、数をこなすマニュアル化された仕事になっていく。そして組合が出来、そこから種々の労働条件や人権問題が提起され、その中で女性差別用語として“スチュワーデス”が取り上げられ1970年代半ば“フライト・アテンダント(FA)”に改められる(キャビン・クルー(CC)も使われる)。この流れで全日空(ANA)は1988年客室乗務員を“キャビン・アテンダント(CA)”と呼ぶようになり、JAL1996年その呼称を使い出す。なお、“パーサー”は客船の事務長から来ており、職名でなく職位である。
以上客室乗務員の呼称を中心に本書の一端を紹介したが。就業条件の変化(年齢制限、結婚制限、出産制限、の改定・撤廃;無論容姿端麗や身元確実は早くに外されている)、男性客室乗務員、外国人乗務員、派遣客室乗務員、教育訓練(訓練センターの創設;ここでのポイントは大量採用時代のマナー教育;もはや躾けの確りした良家の子女の職場ではないので)、専門予備校の存在、大型機(特にジャンボ機)採用による業務の変容、LCCの出現、これらの背景にあるJALANAの経営変遷、退職後の生き方(マナー教育がビジネスになる)、まで幅広い角度から我が国航空会社客室乗務員の姿を見せてくれる。これからの差別化因子は“おもてなし”とのこと。「高嶺の花は今は遠く」が読後感である。
著者は獨協大学外国語学部教授。専門は観光社会学、歴史社会学。

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2020年2月29日土曜日

今月の本棚-139(2020年2月分)



<今月読んだ本>
1)急降下爆撃(ハンス=ウルリヒ・ルーデル);キネマホビージャパン社
2)流言のメディア史(佐藤卓己);岩波書店(新書)
3)予測マシンの世紀(アジェイ・アグラワル他);早川書房
4)秘密資金の戦後政党史(名越健郎);新潮社(選書)
5)サムライ策敵機敵空母見ゆ!(安永弘);光人社(文庫)
6)<英国紳士>の生態学(新井潤美);講談社(学術文庫)

<愚評昧説>
1)急降下爆撃
-ドイツ軍人唯一の黄金柏葉ダイヤモンド剣付騎士十字章受賞者、戦車キラーの空戦記-

航空機によって敵の政治・経済・軍事の中枢を爆撃して機能を麻痺させ、戦争を早期に終わらせる。これが戦略爆撃思想であり、独立空軍創設の論拠である。しかし、“二階から目薬”の喩えそのもので、実効はなかなか上がらなかったのが現実、多数の一般市民も巻き込む無差別絨毯爆撃や原爆投下で辛うじて戦略爆撃論を糊塗したのが第2次世界大戦の爆撃機運用であった。しかし、戦術レベルではピンポイントで敵の軍事拠点や兵器を破壊する手段が無かったわけではない。急降下爆撃機がそれである。真珠湾攻撃で活躍した99式艦上爆撃機(愛知航空機)、ミッドウェー海戦で我が空母4隻を屠ったドウントレス(ダグラス)、それに本書で取り上げられるJu(ユンカース)-87スツーカ(Stuka;急降下爆撃機を表す一般名詞だが、Ju87を意味する固有名詞化した)などがそれらである。標的に向かって7085度、時には90度(垂直)で急降下、目標200~300m上空で投弾・ひき起こしを行うこの種の軍用機運用は戦闘機や爆撃機とは大きく異なり、搭乗員の選抜・育成には独特のものがある。ナチス空軍元帥ゲーリングは常日頃「急降下爆撃機乗りこそ最高の航空兵」と称え、そこに優秀な人材が集まるようにした。ドイツに依る電撃戦は戦車を中心とする装甲力が目立つが、Ju87を欠いてはあれだけの快進撃は不可能だった。本書は、ソ連戦艦・巡洋艦を沈め、単独で500台を超える戦車を血祭りにあげ、「ソ連人民最大の敵」として賞金がかけられたスツーカ乗りのエース、ドイツ軍人として唯一黄金柏葉剣ダイヤモンド付騎士十字章(彼のために新設された章とも言える)を受章したハンス=ウルリヒ・ルーデル大佐(最終)による戦記である。
ルーデルは1916年シュレージェン地方(現ポーランド、チェコ西部)で牧師の子として誕生、実科高校を卒業後士官養成の軍学校に入学、当初は歩兵として訓練を受け後に飛行科に転ずる。多くが戦闘機乗りを目指すが、上級士官候補生の時ゲーリングの謦咳に触れ急降下爆撃部隊入りする。しかし、ここで“変人(酒煙草をやらず、紅灯の街に仲間と繰り出すこともせず、専らスポーツに励む)”と見做され偵察部隊に出されてしまう。19399月のポーランド戦から19405月西方作戦終了時までは長距離偵察の任務に携わり、その後やっと急降下爆撃部隊に戻るがバトル・オブ・ブリテンでは転換訓練中、それに続くバルカン作戦でも一線に出る機会は与えられず、悶々とした日々を過ごす。チャンスがやってくるのは19416月の独ソ戦開戦。レニングラードの外港であるクロンシュタット軍港を母港とする戦艦マラートを中隊長僚機として攻撃、これを沈没させたことで上層部にその存在を認められる(騎士鉄十字章受章)。ここからモスクワ攻略、クリミヤ半島進出、スターリングラード攻防、クルスク戦車戦と一日平均10回出撃(最終的に2530回)、橋梁・操車場・舟艇・装甲列車・戦車・車両の破壊で目覚ましい戦績を重ねていく。この間何度も不時着、敵地からの必死の脱出行もある。また5回負傷し、19451月には右ひざ下を失うも不完全な義足で戦い続け、最後は統制力を失った本土防衛戦でも、前線の出撃要請に個別対応して飛ぶことをやめない。結局混乱の中米軍の捕虜となってルーデルの戦いは終わる。
内容は主に戦闘・戦場に関することだが、Ju87の技術的考察も実践面から行われる。初期の型は500kg(あるいは250kg×2)爆弾による急降下爆撃だが、これは戦車攻撃には効率が悪い(爆弾の数は少なく威力は大きすぎる)。そこで37mm機関砲を翼下に2基取り付けたものを開発する。これで戦車を後部から攻撃すると破壊数が一気に高まるのだが、飛行特性がまるで違い、機体・操縦士とも臨機応変に乗り分けることは出来ない。また鈍足のJu-87 では敵航空優勢下では損耗も増加、敗勢に転ずると急降下爆撃機よりは戦闘機の要素も兼ね備えた戦闘爆撃機でないと生き残れるチャンスがなくなってくる。急降下爆撃と言う戦術と専用機が消えていったのも納得できる時代の流れなのだ。著者が最後に乗っていたのはフォッケウルフ(Fw190戦闘爆撃機である。
これだけの勇士ゆえ、叙勲や昇進の際何度もヒトラーと会見する機会があり、時には単独面談もおこなわれる。本書の中でうかがえるのは、ヒトラーが一線で戦っている戦士に対してはきわめて謙虚に接している姿、裏を返せば真実を伝えない上級指揮官・参謀達への不信感である。このヒトラー観は読み方によってはヒトラー礼賛と受け取れる。本書(ドイツ版は1949年発刊)が1960年西ドイツ政府発布の「青少年有害図書頒布に関する法律」に抵触したのはそのあたりにあるのだろう。
本書には記されていないが、戦後ソ連は執拗に彼を“戦犯”として裁こうとするが、米英がそれを阻止、「強制収容所」には関わっていないとして無罪放免。ルーデルはアルゼンチンに渡り彼の地の航空工業に携わり、のちに西独に帰国1982年亡くなっている。

2)流言のメディア史
-何故ニュースの誤報・ねつ造が行われるのか?ネット情報があふれる中、受け手は如何に対処すべきか-

40歳位までメディア関係者に直接接する機会はなかった。しかし、工場の課長になり事故などの対応を通じて彼らを知ると少しずつ不信感が増していった。こちらの話したことが真逆に近い記事になることが起こったりするのだ。そんな時IT企業のセミナーで朝日の著名な科学記者出身で当時編集委員になっていたKSD氏と昼食で同席し取材内容と記事の関係について不満を述べたところ「誤りは正さなければいけないが、見解の相違は許してもらわないと・・・」とのコメントがあった。「“見解の相違”!なるほど都合の良い逃げ道だな~」とある意味感心させられ、それ以来メディア報道を自分なりにフィルターをかけて咀嚼するようになった。特に、自社ペースで騒ぎを大きくしたい特ダネには注意し、件の“慰安婦問題”は早くから朝日の報道を端から疑っていた。結果として“見解の相違”どころか完全な誤報であった(紙面では一応謝罪しているものの英語電子版では日本からアクセスできないようにしているなど心から反省などしていない)。
このようなニュースの誤報・改変・ねつ造は古今東西、言わばメディアの根源に在る資質であることを、メディア史を俯瞰して示し、記事内容の信憑性に幅のあるSNSやユーチューブに代表されるニューメディアをどのように捉え、如何に個々人が情報リテラシー向上に心掛けるべきかを提言するのが本書の内容である。ポイントは二つ、①流言(誤報)は如何に発生しどのように変質するか、②オールドメディアによるニューメディア批判は真っ当か。これらを歴史的な事例を題材に分析するのである。
最初に取り上げられるのは、19381030日(ハロウィンの夜)米国の放送番組がもととなった「火星人来襲パニック」、H.G.ウェルズ原作のラジオドラマ「宇宙戦争」を聴いた東部の市民がニュース報道と勘違いしたことから騒動が始まり、多くの人がパニックに襲われ、死者まで出たと報じられた事件である。有名な事件だったため、その後多くの研究が行われており、著者はそれらをつぶさに調べ、事実へ迫って行く。結論から言えばパニックなどほとんど起こっていなかったのだが、起こりそうな背景はいくつかはっきりしてくる。一つは、この番組(放送劇シリーズ)の人気が低く起死回生の一打を番組制作者・声優(オーソン・ウェルズ)が狙って実況放送に近いシナリオにしていたことがある(「これは事実ではありません」と言うタイミングまで考えて)。人気番組でないゆえにこの放送を始めから終わりまできちんと聴く人が少なかったことも(放送メディアの特性)、誤解のもととなっている。また、世相としてナチス勃興の恐怖感があり、直前にオーストリア併合が行われたことも外敵来襲を受け入れてしまう素地を作っていたとしている。さらに、新聞が事実確認をせず、噂話をそのまま記事にしたことから事態は拡大していった。その裏には放送に広告収入を奪われつつあった新聞業界の焦り・妬みも絡んでいたのだ。今ネットに広告を奪われつつあるオールドメディア(放送、新聞)が置かれた状況がそれに重なり、フェイクニュース流布の危険性を予見する。
我が国の古い事例としては192391日に起こった関東大震災直後の「朝鮮人虐殺事件」が取り上げられる。言論の自由を奪われ差別されていた朝鮮人の不満は日本人大衆にも常日頃感じ取られており、潜在的に彼らに対する警戒心を多くの人が持っていた。震災の混乱で信憑性の高い情報は欠如し、流言飛語が横行する。そんな環境下で「朝鮮人が井戸に毒を入れている」と言う話が拡散し、警察よりは自警団が早く動き、朝鮮人に対する暴行・殺人が行われることになる。ここには社会的に信頼されてきたメディアの存在は無く、ニュース源もそれによる行動も大衆の中から起こっている。つまり、メディアに扇動される以前に我々自身の中にフェイクニュースを作り上げ受け入れる素地があるわけである。ここからオールドメディアがニューメディアに置き換わることを礼賛する風潮に対して警告を発する。
一方で既得権を守りたいオールドメディアはニューメディアの到来を過度に警戒し、誹謗さえする。これを、“SNSが先に存在し活字文化が後からやってきた世界”を仮想して、以下のような小話をいくつも書き連ねて、オールドメディアの発する批判の矛盾を突く。
<書物は五感を鈍らせ、生活から活力を奪っている。色鮮やかで躍動感のあるディジタル映像の伝統に育まれた感性は、白黒だけの退屈な活字だけでは満足できない。脳全体をフル稼働させるディジタル文化に対して、読書中の言語処理で利用される脳領域はわずかであり、子どもたちは恐るべき“読書脳”になってしまう>
ニューメディア有害論のSNSと書物を入れ替えただけだが、至極真っ当な論と受け取れるのではなかろうか?つまり、ニューメディア有害論はメディアの世界では“万能薬”なのである。こうした議論の虚構性を見抜く眼識を養うためにメディア史観が必要なのだと。だからと言って、SNSが先進的で活字文化が遅れていると主張するわけではない。SNSを接続依存型コミュニケーション、活字文化を文脈依存型コミュニケーションの世界と分け、前者が情緒で動く情動社会に向かい民主主義の質的変化が生ずる可能性に言及する。
一見週刊誌的表題だが中身は濃い。“流言”の一言だけでも多角的に考察され、それを核にメディアの本質に迫ることが出来た。
著者は京都大学大学院教育学研究科教授。歴史学者でありメディア史、大衆文化論が専門。

3)予測マシンの世紀
-企業経営におけるAI活用事例、中身が薄い。主宰する経営大学院研究所のPR用?-

“経営決断にもっと数理を!”を発信する意図で本ブログを立ち上げたが、素材となる事例紹介(主に自身が関わったICTプロジェクト)を除くと、ほとんど関係がない記事を掲載する結果になっている。旅行記や読後感の方が圧倒的に受けているからである。それでも「雀百まで踊り忘れず」、最近(と言っても既に10年近く経過しているが)のICT最前線(特に、IoT・ビッグデータ・AI)にはどうしても眼が行き、本欄<今月の本棚>でも何冊も紹介してきた。決断と予測は不可分。新聞書評に“経済活動におけるAI活用の著書”とあったので、ブログの主旨とAIへの関心から読むことになった。
こういう書き方はあまりしないのだが、結論から言うと「たいした本ではない」(現役時代話題理解のために飛ばし読みした事例礼賛物と同種)。期待するところが大きかっただけに、厳しい断を下すことになった。とは言え経営者・管理者で最新ICT利用に関心が薄いながら話題のAIが経営にどう利用されているかをサラーッと学びたい人にとっては読みやすく入門書としてそれなりに役に立ちそうだ。
ここで取り上げられるAIは人間に代わる可能性を論じられる“汎用AI”ではなく、一部専門職の肩代わりや特定業務の意思決定を助ける“エキスパートシステム”と呼ばれるものである。銀行員の融資判定、クレジットカードの信用度、医療における臓器画像診断、顧客の嗜好性推論、患者の体質を考慮した投薬効果と副作用の可能性など既に実用段階に達している事例を援用しながら、経営や社会に対する影響を解説していく。
構成は、先ずAIの機械学習から入り、優れた専門家やビッグデータからAIが学び成長する過程を概説し、予測がどれだけ改善されて来ているかを説明する。次いで意思決定における予測の役割、決断・判断(結果として、見返り、効用、報酬、利益につながる)の質について論じ、そこでの問題点を洗い出す。これらを踏まえた上でAIが経営戦略に及ぼす大きさを訴え、最後にそれが社会にどのように関わってくるかを論述する。この展開で問題なのはいずれの段階でも同じ(ような)事例を引用点である。
私が特に不満に感じたのは、データ以上に学習アルゴリズムの重要性を強調しながら、そのアルゴリズムに関する解説が皆無に近いことにある(諸手法の紹介すらない)。多分これは著者ら(3人;数理専門家でない)がビジネススクールの教員だからだろう。
唯一評価できるのは各章の要旨を最後に個条書きでまとめていることである。これだけ読めば凡そ内容を理解できる。
読後にフッと感じたことに「一体全体この本は何のために掻かれたのだろう?」との疑問である(表向きはビジネスマン向け啓蒙書)。著者らはトロント大学経営大学院教授であるとともにその大学院に属する創造的破壊ラボ(CDL;委託研究・共同研究、起業家育成・支援など行う)の創設者であり運営者でもある。表向き以上にそのラボのPR材料の性格が強く臭うのである。

4)秘密資金の戦後政党史
-公開された米ソ外交文書が明かす各党への供与金。両国言語を解するジャーナリストの力作-

随筆の面白さを知ったのは、1964年朝日グラフで連載が始まった作曲家團伊玖磨の「パイプのけむり」を読んでからである。爾来朝日グラフが休刊となる200010月まで続いたそれが、単行本になると買い求め最終回「さようならパイプのけむり」まで全27巻を読み、育ちの良さからくる本物志向、要否・好悪の判断基準、自然との関わりなど、ここからいろんなことを学んだ。その一編に政治家について語ったものがあり、祖父である団琢磨が「彼らは乞食だ!」と言ったことが記されていた。政治がカネまみれであることは知っていたものの、“乞食 ”と言う表現にはいささかびっくりした。三井財閥の総帥であった琢磨の下にカネをせびりにきた政治家が、よほど卑しく見えたのだろう。本書はその政治家とカネをめぐる話、それも外国からの資金である。
著者は東京外大ロシア語科卒業後時事通信社に入社、モスクワ支局、ワシントン支局(いずれも支局長経験)に勤務後外信部長も務め、現在は拓殖大学教授。本書は博士論文として書かれたものを一般向けに書き改めたものである。
本書の骨子となる情報源は公開された米国公文書館資料およびソ連崩壊後主にエリツィン政権下で閲覧可能になった共産党書記局の外交関連文書である(プーチンになって閉鎖的になってきているらしい)。それぞれの文書内容は現役時代時事から新聞社に流されたり、著者が雑誌などに投稿したりして、一時話題になったものもあるが、長い期間を通し当時の全政党との関わりを一つにまとめたものは今回が初めてである。こうしてみると終戦直後から半世紀ほどの我が国政治とカネ、特に外国(米ソ、一時期これに中国が絡む)のそれとの関係が俯瞰でき、「こんなことになっていたのか!」と独立国にあるまじき状態に驚かされる。右も左もまるで国際乞食なのである(米ソ双方の文書に“せびる”と言う言葉が残っている)。現在中国マネーになびく後進国を揶揄する資格などないのだ。
先ず自民党(スタートは自由党)。占領政策の中で吉田政権にテコ入れが入る。この段階ではおねだりではなく、むしろ米国側が積極的に動いている。裏に存在するのはCIA関連組織である。やがて戦後復興がなってくると、安全保障絡みで日本側が支援を要請するようになる(特に選挙対策費として)。ここで名前が頻繁に出てくるのは岸・佐藤兄弟。この後になる池田政権も資金援助はあったものの幹事長の大平・三木が外国からの支援に表向き批判的だったので、外交文書上ほとんど話題になっていない。また少しでも“中立”の可能性をほのめかす首相あるいは首相候補には米国のカネは渡らない(石橋、三木など。ソ連と国交回復した鳩山)。
米国は占領開始時から社会民主主義的な政党の存在は許してきた。その流れから社会党から分かれた民社党にも一時米国の資金が渡っている。西尾末広が何度か駐日米大使(マッカーサー;元帥の甥)や館員(CIA?)と会っているが、非武装中立論者がメンバーに居たためそれほど深い関係は築けなかったようだ。
なお、CIAによる選挙支援工作は日本に限ったことではなく、西独のアデナウアー政権やイタリアの保守政党に対しても似たようなことが行われている。
米国の対日外交文書情報公開に最も注文をつけるのはCIAだが、日本の外務省も相当強硬で米国側が「内政干渉だ!」と憤っている様子も残されている。
本書が読み物として面白いのは何と言ってもソ連との関係である。戦前のコミンテルン(国際共産党)から戦後のコミンフォルム(国際共産主義運動)まで一貫して各国共産党を経済支援してきたことは広く認められている。日本共産党も戦前からこれらの活動に組み込まれていた。ソ連から各国へのカネの動きは中央委員会やKGBが統括しており、そこに残された資金要請書やKGBから中央委員会への報告書には野坂参三や袴田里見らの名前が散見できる。
これが大きく変わるのはフルシチョフがスターリン批判を行い中ソのイデオロギー対決が始まってからである。日本共産党が中国路線を選択したことで、ソ連は自陣への取り込み対象を社会党に切り替える。常に資金不足に悩まされていた社会党が渡りに船と乗っていくのだ。時期は1964年頃から、オリンピック開催を潮時に米国の自民党援助は打ち止めになるが、社会党とソ連の関係はここから深まって行くのである。ソ連の狙いは「日米離間」である。ソ連側のキーパーソンは党中央委員会国際部日本課長のコワレンコ。当時の社会党書記長成田知巳が対ソ貿易推進を要請する文書(1966年)などに宛先として名前が出てくる。社会党の息がかかった商社を友好商社として特別扱いを求める内容だが、この仕組みを利用して社会党へ政治資金が回るようにするのだ。これ以降ブレジネフ書記長下石橋委員長が同書記長に宛てた貿易関連文書など、ひたすらカネのためにソ連追従を行う社会党の姿が“これでもか”というほど示される。その中には、1972年選挙資金10万ドル援助を得た2週間後それまで四島一括返還を主張していたものが二島返還に変更した「北方領土問題に関する見解」を発表している。当に売国奴である。
著者は、このような状況を“我が国民主政治の発育不全”と総括し、マックス・ヴェーバーによる二種の政治家「政治のために生きる人」と「政治によって生きる人」のうちあまりにも後者が多いと慨嘆する。團琢磨の「乞食」がよく納得できた。
あとがきに、「本書の13は米露両国の公文書館などで入手した機密文書に基づく現代史の見直し」とある。双方の言葉を解し、その外交政策を我が国の戦後政治史に投射した点で、当にその通りの内容である。加えてこの調査過程で得た知見を著者独特の視点(例えば、米国の対日外交における社会党や共産党の見方、反対にソ連から見た日本の諸政党、米国による自民党主導部の人物評価、あるいは野坂参三の知られざる人物像;四重スパイ説;中・ソ・米・日)で考察してところにオリジナリティもある。ベースは昨年提出の博士学位申請論文とあるが、著者略歴に“博士”はない。是非取得してもらいたいものである。

5)サムライ策敵機敵空母見ゆ!
-地味な水上偵察機で艦隊の眼となり、数々の激戦を戦い抜いた下士官搭乗員からみた太平洋戦争-

私が工場勤務をしていた時代(1970年代後半)、まだあの戦争で戦った人たちが従業員の中に居た。ある晩そんな一人と宿直で一緒になり、戦場体験を聞くことになった。詳しい経歴は記憶にないが、旧制中学か実業学校から予科練に進み海軍の偵察機乗りになった人。任務は航法担当(全員一応操縦を学ぶが、卒業時専門が分かれる)。その時搭乗していた飛行機は零式3座水上偵察機(愛知航空機製)。フロート付きの機で大型艦(戦艦、巡洋艦)からカタパルトで発射され、7~8時間、洋上を哨戒・偵察するのだ。3座は前から操縦士・航法士・通信士兼銃手(写真撮影も任務)の順、偵察は全員で行う。民間機のように操縦士が一番上位ではなく、同期搭乗の場合は航法担当が機長となる。練習生時数学、天文学、気象学など多彩な分野に優れる成績をあげた航法担当が最も重責を担うと言うことのようだ。話で印象に残るのは洋上航法の難しさだ。「飛んでいると暗号で「われ機位を失えり」と言うような無線が入ってきたりするんですよ」と(艦から発する電波を検知する装置を具えているが電波封鎖があったりよく故障・機能低下もあった)。
著者は大正10年(1921年)生れ、太平洋戦争開戦2年前に予科練を卒業(昭和144月;1939年)、偵察機乗りとなり、零式3座水偵であの大戦を戦い抜き生き残ったベテラン戦士(平成29年没;2017年)、その戦記である。
卒業当時まだ零式3座水偵は存在しない。またいきなり軍艦に配属されるわけでもない。専門は航法ではなく操縦士(数学が苦手)。最初は鹿島、鎮海(韓国)と基地航空隊に錬成を兼ね勤務、当時主力だった複葉の94式水偵で、諸条件下での離水・着水・洋上回収、航法、偵察、緩降下爆撃、夜間飛行などの訓練を重ねていく。仮想敵は米艦隊だ。最初の艦隊配属は重巡羽黒(母港佐世保)。この時新型機として呉に受領に赴くのが零式三座水偵である。爾来終戦間近艦上偵察機彩雲に切り替わるまで、これが彼の相棒となる(損傷や事故で機は変わるが)。
開戦の年の3月重巡妙高に転属、開戦時この艦は連合艦隊第3艦隊に所属、比島作戦に投入され、艦隊周辺300浬の策敵と上陸部隊の上空哨戒を行う。この艦から終戦まで所属は重巡熊野、同筑摩と変わり階位も(最終特務少尉)昇進していくが、乗機と操縦士と言う役割は最後まで変わらない。参戦した戦いはスラバヤ沖海戦、珊瑚海海戦、ガダルカナル島争奪戦、最後の大きな戦いはレイテ沖海戦。これらへの参加がすべて所属艦から行われたわけではなく、たびたび戦場に近い水上機基地航空隊に長期分遣されている。それもありレイテ沖海戦では筑摩は撃沈されたものの著者ら飛行隊員は難を逃れている。
最前線で下級兵士(下士官)として最後まで戦った人だけに細部が臨場感をもって伝わってくる。特に水偵と言う特殊な軍用機運用(カタパルト発艦と洋上着水の難しさは陸上機の比ではない)のそれはあまり知られていないことだらけ、乗組員3人の選別・組合せ・人間関係も興味深い。第2次世界大戦以降消滅した機種だけに、ある意味歴史的価値さえ感じられる。
読んでいて痛みを感じたのは戦闘よりも軍隊組織における格差問題。予科練、予備学生、海軍兵学校、出身母体間にある種々の差別である。一人あるいは2~3人乗りの軍用機の運用技量は一目瞭然、経験豊富なものがより成果を上げるのだが、それが入れられず戦いを失うケースも起こってくる。また、ベテラン搭乗員が不足しているにも関わらず、まだ30歳代の少佐・中佐が飛行を全く行わず指揮だけ執ることも戦意に大きく影響している(因みに米海軍はこのクラスの搭乗員が多かった)。責任はともかく、最も酷使されたのは経験豊かな下士官。レイテでは血尿、最後は初期の肺結核症状が出ても飛ばざるを得ない。“専門家をそれなりに扱う体制がない(ゼネラリスト優位)”、いまだに残る日本社会全体の問題点でもある。

6)<英国紳士>の生態学
-文学・芸術から読み取る英国階級制度におけるロウアー・ミドルの内実-

68歳でビジネスマン人生を終え、長年の夢だったOROperations Research;軍事作戦に適用された応用数学の一種)歴史研究のため渡英した。それに先立ちその分野の第一人者(経営学部教授)に「師事したい」旨メールしたところ大学から願書が送られてきた。概ね問題なく記載できたのだが“Name of Address”がよく分からないので記載要領を子細に当たってみると、SirLady)、ProfessorDoctorDr)、MisterMr)のいずれの敬称を使うべきかを問うものであった。英国留学経験者から彼の国における階級制度のややこしさは聞いていたものの、いきなりそれに近い世界を突き付けられ、穏やかならざる心境になりながら最下層のMrと書き込んだ。本書は近現代における階級問題を主に階級制度研究や文学作品を基に、日本人に理解できるよう解説したものである。
著者がこのような本を書くことになったのはその経歴と深くかかわるので、その略歴から紹介しよう。生年は1961年。父親の仕事の関係で香港・オランダ・英国・日本で教育を受けている。特に本書と深くかかわるのは英国における中高教育。両親はオランダに居住しながら著者は13歳の誕生日前に単身英国に赴き、ウェールズに近い、既にその当時英国でも珍しくなってきていた古風な「お嬢さん学校」に入学、寄宿舎生活を始める。ここで礼儀作法、テ-ブルマナーをはじめ服装・髪形、話し方(上流社会用語を含む)等を厳しく躾けられる。やがて両親も英国に移るとロンドンクロイドン地区に在る別の私立学校に転校、ここでは通学生となる。さらに自宅の引っ越しでロンドン市内の私立女子校に移る。この3校(いずれも日本で言う中高一貫校)に学んだ体験から、最初と最後は比較的教育内容に共通性があり、中間の学校がそれらと顕著に違うことがら、前2校がアッパー・ミドルクラス向け、中の学校がロウアー・ミドルクラス対象であることに気づく。その体験を生かすべく大学(国際基督教大学)では英国階級制度に焦点を合わせ修士課程まで英文学を学び、さらに東大大学院でその研究を深めて学術博士号を取得、いくつかの私大教官を務めたのち、現在は東大大学院人文社会系研究科英文学科教授となっている。
本書でクローズアップされる階級はロウアー・ミドル。私がそれまで聞かされていたクラス分けは;アッパー、アッパー・ミドル、ミドル・ミドル、ロウアー・ミドル。ワーキングである。本書の中でも時々このクラス分けが出てくるが、読んでいると、アッパーとアッパー・ミドルがほぼ同じ範疇、ミドル・ミドルとロウアー・ミドルはロウアー・ミドルとして括られ、その下にワーキングが来る、3階級制にとれる。つまりビジネスマンや自営業の大半はロウアー・ミドルとして扱われている(サッチャーやブレアさえこのクラス。我が国上場会社の役員でもオーナーでなければ概ねこのクラスと言う感じである)。
本書の内容は、ロウアー・ミドルを中心に据え上下のクラスとの違いが通奏低音のように語られるが、ポイントはアッパー(アッパーとアッパー・ミドルを含む)に近づこうとするロウアー・ミドルの外見だけの軽薄さ・虚栄に対するアッパー(時にはワーキングからの)の嘲笑・憐憫、ロウアー自身のそのような言動・生活に対する自嘲あるいはアッパーに対する恨み・つらみを、文学作品やノンフィクションなどを援用し、どんな壁があり、その壁は時間とともにどのように変容していったか辿るものである。
取り上げられる題材は、職業・肩書、教育・学校、アクセント、ファッション、居住地、家、食べ物、芸術・文学への関心と嗜好、休暇の過ごし方と場所と多彩。「何とか外見だけでもアッパー風に」の具体例がいくつも紹介され、時には身につまされる。日本人によく見られる一点豪華主義、ブランド志向ほどアッパーから(時にはワーキングクラスからも)揶揄され皮肉られる対象だからだ。例えば、ほとんどの都会人が住むちまちました(あるいは小洒落た)郊外の戸建て住宅やブランド物の外車、いかにもそれらしい地名や建物の名称などがそれらだ。
英文学の専門家、ときに英語と日本語の違いを話題にするのも面白い。上例の“郊外”。同じような山林・田畑を開発した新興住宅地でも、ある人は、謙遜して「私は通勤に時間のかかる田舎(Country)に住んでいます」と言い、もう一人は誇らし気に「私は環境が良い郊外(Suburbs)に住んでいます」と答える。英国人の受け取り方は“田舎住まい”をアッパー人種(Gentleman)と解し、“郊外居住者(Suburban)”は間違いなくロウアーなのである。オックスフォード英語辞典のSuburbanの項には「郊外の住民の特徴と言える、劣ったマナー、狭い視野を持つこと」と記されている(因みに米語ではこのような解釈は無い)。
英国人との会話、英文学は日本人のみならず外国人にとって、この階級に関する知見を確り身に付けないと、発言者・著者の意とするところ(ユーモア、皮肉など)が正確に解せないことが多々あるようだ。当然だが、英国人自身がこの階級意識に感じやすく、それに関する著書は多い(本書に数多く引用されている。例えば、Upper)用語とNotU用語比較集)のでそこから学ぶことは比較的容易、ノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロは一度も本物の執事に会うことなく「日の名残り」(執事がアッパーと誤解される場面がある)を書いている。これから英国と関わる人には“英国社会入門”の書として本書をお薦めしたい。

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