OR学会誌に「ORを築いた人々」という連載がある。わが国のOR発展に貢献した先輩達の物語である。関係者(主にお弟子さん)が書くので、些か出来すぎ・気の使い過ぎがチョット鼻につくが、今回(Vol.54 No.5 連載第17回)は興味深い発言が紹介されていた。東芝のOR普及に功のあった原野さんと言う方で、現在91歳、今年の春の年会にも出席されるような元気な方である。
わが国にORが紹介された黎明期、最新の経営科学的手法ゆえに、適当な教育資料も無く、専ら米国の書物や文献に頼る日々だったが、そんな環境下で気付いたことは「OR担当は、数学的分析はしているが、参謀であり決定をしているわけではない」「分析はするが、決定はしてはいけない」と言うことである。その理由は「決定因子には、ORの分析には含まれていない要因があるので、意思決定者はそれを考慮した総合的な判断を要求されている」つまり「ORのベースは数学であり数学的判断をするが、(最終判断には)社会学も人間のことも、こころとか、心理とか、そんないろんなことが要る」からだと言う。さすが長く実務の世界でご苦労された方の含蓄のある発言だと思う。
連載のこの部分を読んだ時、はたと思い浮かんだことが二つある。一つはカナダの経営学者H.ミンツバーグがその著書「MBAが会社を滅ぼす(原題;Managers Not MBAs)」の中で、実務経験の無い若い学生に方法論を伝授していきなり経営者に仕立てようとする、マネージメント・スクールの教育システム批判である。“マネジャーに必要なのは方法論以上に、経験やそれによって培われた感性だ”と何度も強調していること。もう一つは一昨年の滞英研究の際読んだ、戦後発刊された英空軍OR公史「The Origins and Development of Operational Research in the Royal Air Force」の最終章で、その時の空軍参謀長ジョン・スレッサー(大戦中は沿岸防衛軍団長)が寄せたOR Section(ORS)の活動を讃える言葉の中に現れる「ORは戦時のみならず平時においても、近代空軍に欠かせぬ基盤である」としつつも「計算尺(slide rule)戦略が実務を通じて醸成される戦略思考に代わるものではない」というくだりである。
この三者に共通することは、指導者・管理者の決断は論理(数理)・経験・感性・人間関係など諸要素のバランスの中で下すべきだということであろう。
もう一つ原野さんとシュレッサーの発言に共通することに、意思決定者(指揮官)とそのスタッフ(参謀)という視点がある。軍事組織においてはその役割分担は明確に定義されており、決断者は指揮官、その方策を検討・提示するのが参謀である。旧日本軍(特に陸軍)ではこの役割分担が曖昧で、参謀が指揮官のような役割を演じたり(ノモンハン、ガダルカナル)、逆に指揮官が実質的に作戦策定も行い参謀は副官のような地位に甘んじなければならないようなケースも生じている(インパール)。民間企業は軍事組織ほどこの点が明確でないので、なおさらことに臨んでのそれぞれの役割や責任が不明確になりがちである(形式的には判子で決まるが)。
実はこの問題は英国でORが普及していく段階でもしばしば問題になっている。OR活動の起源ともいえるレーダー開発と防空システムの構築時、それに関わる防空科学委員会のメンバーは、ティザード、ブラケット、ワトソン・ワットなど高名な科学者達で、委員会は空軍省直轄だった。レーダーが最新技術ということもあり、その実用化に実戦部隊はこれら科学者達に全面的に指導を受けざるを得ない立場にあった。レーダーの信頼性を含む技術的課題と戦闘機軍団のかかえる戦略・戦術課題を科学者と軍人が情報を共有し、協力しながら解決していった。最後の断は軍人が下すものの、そこに上下関係は無かった。科学者が巡回して来ることによって確実にシステムの信頼性・精度は改善されていった。第一線は何処でも彼らの訪問を大歓迎したのである。
この成功が種々の軍種、兵種に伝わり、方々からお声がかかるようになる。ORグループ(あるいはセクション;ORS)と呼ばれる組織が、陸軍の対空射撃部隊、海軍の船団護衛部隊や対潜哨戒部隊とこれに協力する空軍の沿岸防衛軍団、戦略爆撃を主務とする爆撃機軍団、海外派遣軍(地中海・中東軍や東南アジア軍)などに設けられていく。それは組織の最高レベルに止まらず、下位の組織にも波及する。当然要員は社会的地位や名のある者ばかりでなくなり、若い研究者や技術者が多数を占めざるを得なくなる。どんな資格・地位で処遇するか?どんな情報まで与えるか?ORが直接関わらない作戦会議に参加させるか?これらは司令官・指揮官の考え一つで変わっていき、その結果ORの貢献度や評価が変わってくるのである。
滞英研究中触れた著書の一つに「The Effect of Science on the Second World War」があり、その一章(第6章)に“Birth of a New Science : Operational Research”がある。この中で当時爆撃機軍団ORSの若手メンバー、後に米国に渡り理論物理学・宇宙物理学で名を成すフリーマン・ダイソンが往時を振り返り「当時の爆撃機軍団ではORSの平服組は軍団長の意に副うように答えを出すことが原則だった。この組織はあまりに作戦の基本に挑戦する決断力を欠いていた。(中略)軍団長は人間的には愛すべき人だったし、責任感も強かったが、前科学的軍人であった」と語っている。軍団長は後に元帥に叙せられるアーサー・ハリスである。ORの活用に関しては前出の空軍公史でも爆撃機軍団は他軍団に比較して“不十分だった”とされているが(ハリスはこの公史の中でORに最大の賛辞を与えている!)、その理由は戦略爆撃が敵地内の作戦であるためデータ・情報(事前・事後)の量・精度に制約が多いことを上げている。爆撃機軍団ORSメンバーの中にタイソンと同様の不満を語る記述が他の著書や文献にも散見されが、特に目に付くのが“軍事情報開示の制約”である。作戦課題の背景となる情報が十分伝わらず、苛立つ姿がそこにある。この軍団長とORSの関係こそOR適用限界の主因ではなかろうか。
OR担当者は確かにスタッフで最終決断者ではない。しかし、決断課題の背景や関連情報を共有化する環境が、その効力を最大限に発揮する場を作り上げてゆくことになる。わが国企業組織にこのような環境を如何に醸成できるか?これが私の研究課題である。
2009年5月12日火曜日
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