ほど無くバスは終点の湯の峰温泉に到着した。木々が覆いかぶさるような狭い谷合、始めてみる鄙びた湯治場がそこにあった。「あづまや」はその地では立派な宿だった。記憶に残っているのは見事な木作りの風呂場である。床・天井そして当然浴槽も木で出来ている。10人は裕に入れる大きさである。この風呂に入り、汗を流したあと蝉時雨の中で飲んだビールの味は、貧乏学生にとって最高の贅沢であった。
翌朝も気持ちの良い朝だった。本来なら瀞八丁へ向かう前に熊野本宮を参るべきだったのであろうが、そんなことは何も知らなかった。9時頃宿を出て、バスに乗り瀞への船着場に行く。川原には既にプロペラ船(川底が極端に浅くなる所があるので、船底には何も装備できない。船尾に大きなプロペラがある)が待っており、我々が乗ると間もなく上流に向かい出発した。しばらくすると両岸見上げるような断崖になる。本流より川幅が狭いので迫力満点だ!しかし当時のディーゼルエンジンで駆動するプロペラが何とも騒々しい。景色に感動しつつこの音に悩まされながら2時間位上るとそこが終点、下りはエンジンを停めることもあるので少しはましになる。その頃にはあれほど感動した風景にも飽きて、皆午睡の時間であった。船着場に戻り、再びバスに乗って新宮に戻る。実は此処に熊野三社の残り、速玉大社(本宮に対してこれが新宮の由来である)が在ることなど全く知らなかった。今度の48年後の旅は、きちんとこの三社を廻ることが大事な目的であった(和歌山県出身で東燃同期のMY君が今

新宮駅前に日の高い夕方着いて、急行券を買った。乗る急行は「那智」である。夜行列車だから寝台車もあったように記憶するが、貧乏学生は2等車(と言うのが有った)の自由席である。始発だから問題なく海側の窓側に席を取れた。6時頃の発車だったから、しばらくは明るい中を、熊野灘を右に見ながら汽車は進む。奇岩が連なる鬼が城見えた。48年前のMNとの旅の記憶はここまでである。
たまたま保存してあった乗車券(初島→新宮→関東→松戸(ここに実家があった))を見ると、学割で895円。急行券は東京まで300円である。現在は同じ路線で計算すると、乗車券は10,990円である。学割は半額だから当時の料金を2倍すると1790円。現在の料金は5倍強である(初任給は10倍位ではなかろうか?)。思ったほど鉄道料金は上がっていない(ただ急行・特急に関しては、今は在来線(紀勢線;名古屋まで)の急行券、新幹線の特急券(名古屋から東京)を加えると5倍では効かないからこの補正は必要)。しかし時間は大幅に縮んでいるこれをどう評価すべきか?(乗車券、急行券は画像になっています。ダブルクリックすると拡大します。途中下車地の判子も捺されています)。
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