2009年6月30日火曜日

センチメンタル・ロング・ドライブ-48年と1400kmの旅-(7)

7.貴婦人と巡った紀伊半島-1 このコンテッサでは、年末2回の帰省(初島←→松戸)、昭和42年連休の山陰・山陽・四国を巡るグランドツーリング、淡路島一周、本籍のある兵庫県竜野への旅など思い出深い旅をともにしたが、何と言っても紀伊半島の道がホームロードであった。
 今も昔も紀伊半島主要道路のルートはそれほど変わっていない。先ず海岸沿いを走る42号線(死に号線と言った)、紀ノ川沿いに和歌山から五条・天理を経て奈良に達する24号線(大和街道)、新宮から熊野川沿いに十津川を経て五条に至る168号線(十津川街道)、この168号線と途中で分かれて吉野に至る169号線(東熊野街道)は、途中で分岐して半島深奥部の大台ケ原に向かう。これらの道のほとんどをコンテッサで走破している。この他にも梅で名高い南部(みなべ)から半島内部に向かい、竜神温泉から和歌山県最高峰の護摩壇山(1372m)を経て、高野山に至るスカイラインや紀伊田辺から熊野本宮に至る遍路、311号線(熊野古道;中辺路)も走っている。
 これらの道にはそれぞれ特色がある。海を巡る42号線は海岸美、24号線は奈良や高野山に結ぶので宗教と歴史、半島を南北に結ぶ168号・169号線は深山幽谷、田辺の港と本宮を結ぶ311号線は巡礼の道として僻地の中に歴史を残す。
 就職した当時の42号線は、市街地は一応舗装されていたものの、一歩そこを離れると未舗装の砂利道がほとんどで、特に醤油で有名な湯浅からアメリカ村のある日の岬や娘道成寺で知られた御坊(ごぼう)までは由良の峠を挟んで難所続きだった。峠道の何ヶ所では大型車両は片側交通ですれ違っていた。しかし、間もなく水越隧道・由良隧道が出来て、前後の道路も整備され、自転車で山越えが出来るほど走り易い道になった。シーズンを除けは空いた道を、一人で気侭なドライブを楽しみながら、白浜温泉の少し先くらいまではよく出かけてものである。
 自動車購入を知らせた便りに怒りの返事(分不相応だと;それほど自動車は贅沢品と見られていた)を送ってきた父を、定年退官(55歳)を前に南紀に招待し、鉄路で名古屋から紀伊勝浦経由で来た両親を白浜でピックアップして走り、すっかり機嫌を直してもらったのも42号線にまつわる懐かしい思い出である。 

 昭和41年(1966)の職場(機械技術課)レクリエーションは、山深い秘湯、竜神温泉であった。ここは「大菩薩峠」の主人公“机竜之介洗眼の滝”で有名な所である。南部からバスで温泉まで1時間半くらいであろうか?嘗て紀州の殿様が逗留した家が“上御殿”“下御殿”と言う旅館になっている。皆はバスで出かけたが、私は愛車で未舗装の山道を走った。翌朝は同じ道を戻っていく職場仲間と別れ、ドラム缶から手回しポンプでガソリンを補給、有料林道(村外れに木製の遮断機が下りており、近くの農家のおばさんに料金を払ってそれを上げてもらう)で護摩壇山を経由して高野山へ出た。落石がいたる所にあり、道路に前日降った雨水が滝のように流れ落ちる道を行くスリリングなドライブを楽しんだものである。

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