2009年11月14日土曜日

今月の本棚-14(10月)

1)零式艦上戦闘機(清水政彦);新潮社
2)エコノミストを格付けする(東谷暁);文芸春秋社(新書)
3)カティンの森(アンジェイ・ムラルチク);集英社(文庫)

<愚評昧説>
1.零式艦上戦闘機

 零式(れいしき)艦上戦闘機とは“ゼロ戦”のことである。戦艦大和と共にわが国を代表する太平洋戦争中の兵器だ。ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館の第二次世界大戦コーナーには、各国の代表的な戦闘機;ムスタング(米)、スピットファイアー(英)、メッサーシュミット109(独)と伴にゼロ戦が展示されていることからも、その評価の高さが判る。
 この飛行機については、設計者(堀越次郎;三菱重工)、運用者(坂井三郎など;海軍)、航空学者(佐貫又男、加藤寛一郎;東大)、作家・ジャーナリスト(吉村昭、柳田邦男)を始め多くの著者によるフィクション、ノンフィクションが書かれ、既に書きつくされた感がある。評者もこれらのほとんどを所有し読んでいるが、“「零戦神話」をことごとく覆す!”との宣伝文句に惹かれて読むことになった。
 「零戦神話」には、長所としてその軽妙な空戦性能(操縦性)、長い航続距離、20ミリ機関砲の威力などが上げられるが、これらは時として短所を生み出す要素ともなる。軽量を徹底するための防御力の脆弱さは負の神話の代表的なものである。この他によく語られるのは機載無線電話が使い物にならず、戦闘時の編隊行動に劣っていたこと、エンジンの能力アップにつながる高性能ガソリンの開発が出来ず、本来の性能が十分発揮できなかったことなどがあげられている。しかし、無線電話やガソリンの問題はゼロ戦に限ったことではなく、当時の日本の技術力全体の問題と言っていい。
 本書はこの神話を、開発とその背景、生産、運用(戦術・戦闘)と進めながら、そのライバルたちと比較し質していく。評者の個人的な興味もあるが、運用特に有名な会戦(真珠湾、ミッドウェイやマリアナ沖など)の描写はさして目新しい感じがしなかったが、開発・生産・技術に関しては、未知の興味深い分析が多々あり、看板に偽りは無かった。
 例えば、生産技術に関する三菱と中島の違い(主契約者は三菱だが生産機数は中島のほうが多い;中島は生産効率を上げるため不要な軽量化工作を端折ったりしている)、可変プロペラピッチ技術の後進性(自動車で言えばギヤーとタイヤ;ここに紙数をかなり割いている)、20ミリ機関砲の実効(弾数が少なく、照準器の性能と相俟って必ずしも決定力にならなかった)など学んだ点である。また、運用に関して、防御の脆弱性は零戦に限ったことではなく、同時代の他国の戦闘機(例えば米海軍のワイルドキャット)も同程度だったが戦訓(実戦からのフィードバック)が早かったことで差が出たことなども本書で知った。
 筆者は技術や軍事の専門家ではないし、物書きを生業とする人でもない。経済学部を卒業した若い(30歳)市井の弁護士である。趣味が高じてここまできたのであろうが、頼もしい軍事ノンフィクションライターのこれからを期待したい。

2.エコノミストを格付けする
 2003年に出版され筆者を広く知らしめた「エコノミストは信用できるか」の続編である。昨年のリーマンショックとそれに続く金融危機に対して著名な経済学者、エコノミスト達の見通しはどうであったか、日ごろの論理・論旨はどう変わって行ったか、を公開出版物(ウェブを含む)から調査分析、評価したものである。
 取り上げられた人物は、ノーベル経済学賞のクルーグマン、FBRのバーナンキから、懺悔録を出版した中谷巌、小泉内閣で閣僚を務めた竹中平蔵、野口悠紀雄、リチャート・クー、白川日銀総裁など40人である。多くのエコノミストが金融危機の予兆を見落としたばかりか、こじつけやら言い訳をしつつ簡単に誤りを認めなかったり、はては開き直りや豹変をすることに躊躇しない厚かましさを、バックデーターを明示しながら炙り出す。中谷の懺悔はそのこと自体が次の売り込み材料ではないかと見る辺りなかなか手厳しい(私も始めからそんな気がしていた)。
 比較的高い評価を受けたのは、リベラルな経済学者でノーベル賞受賞者のスティグリッツ、野村総研のクー、榊原英資など、悪い方は田中直樹、グリーンスパン、竹中平蔵らの名前が並ぶ。
 この本の見所はこの格付けそのものよりも(面白いが)、そこに至る近年の経済環境の変化(ITバブルやサブプライム問題など)とそれぞれの経済理論(主張)の一貫性・整合性、さらに政策推進者はその政策提言と行動に着目しているところにある。その点で経済学になじみの無いものにとって、身近な問題を材料にする入門書的な役割を果たすものとも言える。
 この人(ユニークな経済ジャーナリスト)とこの様な本の存在が、いいかげんで姦しいタレントもどきの経済学者、エコノミストを篩いにかけ、我々の前から駆除することにつながってほしい。

3.カティンの森 「カティンの森」事件は、ソヴィエトが崩壊するまでミステリーに包まれた、第二次世界大戦中の悲劇である。独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づきポーランドは敗戦後独ソ両国に分割され、ソ連に捕らえられたポーランド人将校15000名は三ヶ所の収容所に抑留され、その大部分が処刑され埋められた。その一つがロシア西部の要衝、スモレンスク郊外のカティンの森である。
 この地は独ソ戦でドイツに占領されていたことから、ソ連側は虐殺の執行者をナチスドイツであると主張してきたが、ドイツはそれを否定していた。冷戦後それがソ連の所業と分かったことで、当時(1990年)のロシア大統領、ゴルバチョフがポーランドに謝罪した。
 この本がフィクションであることは知っていたが、てっきり小説仕立てのノンフィクション物と早合点、冷戦後明らかになった資料に基づく、ソ連の当時の事情を知ることが出来る事を期待し、中身をよく確かめずに買ってしまった。それは全く見当違いであった。
 内容はカティンの森に埋められた一人のポーランド将校の母・妻・娘の彼を巡る回顧談と言っていい。四分の一くらい読んだところからは飛ばし読みで、何か興味深い情報が無いかと探ったが、あの事件についての新情報は皆無であった。小説としても引き込まれるものは何も無かった。あのアンジェイ・ワイダが監督した映画が近く公開されるようだが見る気もしない。従ってこの本を読んだとは厳密には言えない。
(写真はダブルクリックすると拡大できます

0 件のコメント: