少し調べてみると、「熊野参詣道」が国の史跡として指定されたのは2000年、「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの世界遺産に登録されたのは2004年。地元では道路整備が進む中で“古道”と呼んでいたのかも知れないが、広く知られるようになるのはつい最近のことなのだ。
道が世界遺産になることは極めて珍しく、スペイン北西端のキリスト教聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに至る巡礼の道とここくらいである。
今回のドライブ行に際して購入した南紀ガイドブックを見て、この古道を徒歩で巡る種々のプランがあることを知った。ほとんど山歩きに近いものから、路線バスを利用するもの、自家用車を回送してもらう案まで目的・脚力・時間など希望と状況に合わせて選択できることが分かった。この日の走行予定は白浜まで約110km。山道を考慮しても走るだけなら3時間程度である。朝8時過ぎに出発すれば3時間ほど古道を歩いても3時頃には白浜に辿り着ける。道中で一番大きな集落は中辺路町の近露王子周辺だったのでここに車を停めて、古道の一部を歩いてみる計画にした訳である。
時刻はほぼ9時半。この時は朝からの小雨も上がっていたが依然曇天。雨具やセーターをナップザックに詰め、例の農協経営のスーパーで飲み物などを購入、集落の外れにある小学校の脇を通って古道入口に向かった。小学校から古道への途上には何軒か民家があったがほとんど無人の廃屋だ。
古道の取掛かりには立派な看板があった。熊野本宮に向かう次の王子(休憩所のこと)は2.6km先の比曾原(ひそはら)王子である。この看板から急に暗い森が始まる。森中の道は上りで足元は残念ながらガイドブックにあるような石畳ではなく、丸太製の階段が設けられた、針葉樹の落ち葉に覆われた土道である。人の気配は全く無いが、どこかで犬が何頭か吼えている。人家の無いこんな所で野犬でもいるのだろうか?あまり気持ちのいいスタートではなかった。
襤褸の法衣を纏った高野聖が、ヌッと現れてもおかしくないようなこの暗い道を20分くらい上り進むと、二、三頭の犬の鳴き声が更に近くなってくる。一頭の泣き声は吼えると言うよりは悲鳴のような泣き方である。やがて前方の木立の合間に何やら建物のようなものが見えてくる。犬たちの泣き声はどうやらそこが発信源らしい。一頭の薄汚れた白い犬が目に入る。獰猛な野犬だったらどうするか?不安がよぎる。しかし、こちらに向かってくる気配は無く、しきりに建物の下部に向かって悲鳴に似た声を上げながら、その周囲を徘徊しているだけである。建物と見たのは、鉄柵とベニアの廃材で出来た、中は窺うとの出来ない大きな檻で、何頭かの犬が収容されているようだ。外にいる一頭はその仲間なのだろう。それにしても何故こんな所にこんなものが在るのか?とても世界遺産と認められるような環境では無い(帰宅後調べて、熊野古道は全部が世界遺産ではないことを知った)。
それは次に現れたコンクリート簡易舗装の狭い道で確実になる。森の切れ目でこの道に出ると上から軽トラックがやってきた。生活道路なのだろう、まるで旅の風情を欠くものであった。上り詰めるとこの道は更に幅広い道に合流し、そこには道標が立てられ傍らにはベンチが置かれ、周辺に数件の家が在る。人は見かけないが下で見た廃屋ではなく、現役の棲家であることは間違いない。こんな所でどんな生活があるんだろうか?他人事ながら心配になる。
少し下り坂のこの居住地区内の道を進むと、車2台がすれ違えるほど立派な道路に出た。幸い車の往来は無いものの“古道”のイメージは全く消え失せてしまった。比曾原王子の案内板はその少し先の道端にあり、その裏手数メートルの藪の中に江戸時代に建てられた小さな碑が在った。
同じ道を戻り、近露公園に隣接する近露王子跡に行ってみた。ここには神社が在り、その一隅に王子を示す碑が残っている。今上天皇陛下が皇太子時代行幸された際、ここでお休みになったとあったので、われわれも一休みすることにした。
全行程約5km強、2時間少々の古道歩きはこうして終わった。
(写真はダブルクリックすると拡大します)
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