艶のある黒い肌、中背で痩せぎす、大きな目が印象的だ。雰囲気がアフリカ系アメリカ人とは異なる。姓はAhmadだが皆パシャ(Pasha)と呼んでいる。名刺にもメールIDにもPashaが使われている。しかし、どうもこれは本名ではなくニックネームではないかと今でも思っている。それは彼が一時期トルコで働いていたことがあるからだ。かの地では、近代化の父、ケマル・パシャのように高位・高官の尊称としてパシャが使われる(パシャの本来の位置は姓の後だが、彼はミドルネームとしている)。訳せば“閣下”と言うところであろう。彼の立ち振る舞いがそれを髣髴させるので、そんな愛称が付けられ、本人も気に入って今に至っているに違いない。
パシャと初めて会ったのは2002年サンフランシスコで開催されたOSIソフトウェアのユーザー会である。この時、ユーザー会とは別に販売パートナーを対象としたDistributors Meetingがメンバーを限って開かれ、彼がこれからの販売戦略についてプレゼンテーションを行った。いつもはシステム寄りの戦略を聞かされることが多いのだが、この初対面の男はユーザー智見に基づいた販売戦略を披瀝した。ユーザー出身である私にとって大変印象深い話にすっかり魅了された。休憩時間、少人数の会議ゆえ直ぐに彼と話す機会がやってきた。どうやら事前に参加メンバーの情報を集めていたようで、こちらが自己紹介すると「SPINのMadonoさん?日本でのパイのビジネスの話はパットから聞いているよ。上手くいっているようだね」とレスポンスが返ってきた。気分の良い出会いであった。
彼はパキスタンの出身。高校卒業後アメリカに渡りMITで制御工学を専攻、スタンダード石油インディアナの流れを汲むAMOCOに就職。そこが英系のBPに吸収され、OSIに参加するまでAMOCOの技術センターや英国、トルコでの勤務も経験した国際人だった。その時の経験を生かして、これからOSIの産業別戦略策定・推進を担うのだという。会議で話を聞いていてピントが合ったのはこう言う背景が在ったからなのだ。
このユーザー会議期間中、彼とは何度も話す機会を持った。そんなある時、SPINが今は横河資本の下にあることを知ると「AMOCO時代横河が訪ねてきて何人か知り合い出来たよ」と役員経験者のOKDさんやTMTさんの名前が出てきた。ご両人とも私も懇意にしている方々である。親しい共通の友人・知人ほど強い接着剤はない。これでパシャとは一気に旧知の友人のようになってしまった。
その年8月日本のユーザーを対象にしたOSI技術セミナーを開催するに当たり、彼にプレゼンテーションを依頼したところ快く受けてくれ、セミナー成功の決め手となった。これを機会にOSI起業者でCEOのパット以外に気脈を通じる心強い仲間が出来たことを喜んだ。(つづく)
2010年5月22日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿