2010年6月3日木曜日

遠い国・近い人-5(黒い戦略家-2;パキスタン)

 二度目の来日は2004年11月。SPINは横河グループの他の情報サービス会社と統合され横河情報システム(YIC)に変わり、私は横河本社の海外営業コンサルタントに転じていた。彼も戦略策定担当から東南アジア地区の販売統括という新しいポジションに就いており、今回の来日目的は新しい役割の趣旨説明にあった。米国を発つ前にメールでYIC滞在中是非会いたいと言って来た。こちらも海外情報が欲しかったので、はじめは私の家へ招待する案を試みたが、彼に時間の余裕が無く、新宿のインド料理店で会食した。
 当時私はロシアの製油所に、ITによる近代化提案を行う仕事に従事していたが、そこでは横河の中核商品;計測制御システムに加えて、他社製品の提案やそれらと自社製品の統合サービスが必要だった。いわゆるソリューションビジネスである。しかし、石油・石油化学向けソリューション・ビジネスの実態は各社各様で、業界の全体像がなかなかつかめなかった。彼に会って助言が欲しかったのは、このソリューションビジネス実態調査に関することだった。彼のアドヴァイスは、一つのアイディアとして「短い時間で効率よく集めるのには来春早々フロリダで開かれるARC社セミナーに参加すると良い」 とのことだった。ARCは世界唯一の、製造業における計測・制御・情報ビジネスに関する調査専門会社である。またこの会議に参加するならば、その後彼のオフィスに寄って彼の仕事仲間も含めて更なる情報交換をしようと言ってくれた。
 ARC会議への参加と知人を何人か訪ねる調査旅行は承認され、1月末成田を発った。旅程を調整する過程で、彼のオフィスのあるクリーブランでの宿泊を相談したところ、是非自宅へ泊まってくれという。こうして初めてイスラムの家庭を訪問し、そこに宿泊すると言う得難い経験をすることになったのである。
 暖かいオーランドで開かれたARC会議の後、クリーブランドに向かった。寒さが厳しい午後遅く着くとパシャが待っていてくれた。空港から市内を抜けて1時間弱、針葉樹に囲まれた典型的なアメリカ人の中産階級が住む住宅地の中に彼の家は在った。ここが彼の自宅でありSOHO(Satellite Office Home Office)である。
 家に入ると玄関先で彼が靴を脱いだ。日本と同じ方式である。私も彼に倣った。彼は私にはスリッパを勧めてくれた。やがて現れた夫人と二人のお嬢さん(中学生、小学生)も靴下である。挨拶もそこそこに玄関先でこの靴脱ぎが話題になり、同じ様式を持つアジア人同士として、初対面のぎこちなさが一気に解消した。
 案内された寝室は本来長女の部屋だが、彼女は大学の医学部で学んでおり、下宿生活をしているので今は空き部屋なのだという。若い女性の部屋らしく内装や家具が可愛らしい。バスルームは他の子供部屋と共通だが今日は私専用にしてくれている。
 やがて夕食。広いリヴィングに隣接するダイニングキッチンも広々としている。庭を背にした主賓席に座らされる。料理は当然カレー料理。種類は二種、鶏肉と野菜だ。それにナン、ライス、サラダ、ヨーグルトなどが並ぶ。「済まないが我が家ではアルコールは飲まない。それは後で用意するから」とパシャが言う。「(あとで?どういうことなんだろう?)」「いやいや 水で結構」「カレーはどちらにする?」「ではチキンを」。 深皿にチキンカレーが供され、スプーンで一杯、フォークでよく煮込まれた鶏肉をほぐして一口。その間家族はひたすら私を注視してる。「どうだ?口に合うかな?」「エッ!もちろん!こんな美味しいカレーは初めてだ!(それまで米国食続きだったのでこれはお世辞ではなかった)」この一言で全員笑顔。夫人が「あー良かった!日本人のお客は初めてなので心配だったの」と本音を吐露した。人種・宗教に拘わらず何処の国の主婦も接客の気苦労は同じなのだ。座が和んでくると「こちらも食べてみて」とヴェジタリアン・カレーを勧められる。少しさっぱりした味でチキンの後で味わうとホッとする。アメリカの家庭で何度か食事をしたが、他ではいつも夫婦と私の3人だけだったので(外で子供家族が加わることはあったが)、ことのほか賑やかで楽しい時間を過ごすことが出来た。(つづく)

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