
ブルハンさんは出発前のブリーフィングで、今日の予定を説明してくれてから、「何か希望はありませんか?」と聞いてきた。「時間に余裕があれば、イスタンブール郊外の市民が住んでいる所を見てみたいんだが…」と言うと、一瞬怪訝な表情をしてから「それでは昼食までの時間、海峡を更に北に進み、黒海が見える所まで行きましょう。その辺には漁村もあります。昼食後は要塞近くの第二ボスポラス大橋を渡り、対岸のアナトリア(小アジア)へ出て、歌で世界的に知られた、ウシュクダルの町を通り、夏宮を見て、市中に直結する第一大橋を通って町へ戻ることにします」とこちらの希望を入れてくれた。
早朝のドルマバフチェ宮殿は清清しい雰囲気の中に在った。19世紀に出来た比較的新しい宮殿だが、この国の近代化に欠かせない場所である。ここでその推進の中心人物であったケマル・パシャ(ケマル・アタチュルク)が生涯を終えた場所なのだ。小学生が団体で見学に来ており、私に「コンニチハ」と語りかけてくれた。親日的な国なのである。
オスマントルコの歴史から見れば、暮明ともいえる時代に建てられたのだが、豪華絢爛を極めた建物の内外に圧倒される。金銀がふんだんに使われているのも然ることながら、大ホールの絨緞は一枚物、多数の織姫たちが長時間かけて織り上げたもので、現代では製作不能だと言う。昔日の彼の国の栄華を充分実感できる素晴らしい宮殿であった。

私の意を汲んで車は更に北上する。後方に第二大橋が見える辺りまではレストランなども在ったが、やがて道の舗装が粗くなり、家々の造りも低層でレンガ造りの粗末なものに変わってくる。30分くらい走った所で急に広々した海原に達した。黒海である。零細な漁村で子供たちが舟の上で遊んでいた。嬉しいことに表情は明るい。
昼食後、第二大橋を渡ってアジア側に入る。こちら側も海峡を望む土地は一等地で、立派な家々がゆったりした敷地に建っている。しかし内陸に進むに従って、急速に道路の両側に未完成とも思えるバラックが増え、埃っぽい感じがしてくる。ブルハンさんはここでイスタンブールの都市問題について語り始めた。「ここに在る建物は全て不法に建てられたものです。住民は国の東に住んでいた零細農民たちで、地方では食べていけないためイスタンブールにやってきたのです。しかし海峡の西側は広い空き地がないため、ここで流れが押し止められているのです」「不法ゆえ水道・電気も無く、不衛生で危険な場所になっています」「これが、イスタンブールが抱える最大の社会問題です」
このあと第一大橋直下、海峡に面する夏宮とも呼ばれるベイレルベイ宮殿を見学した。ドルマバフチェ宮殿に比べれば至って小規模だが、様式は同じで、庭園が素晴らしかった。大帝国であった往時の豊かさと現代の貧しさが並存する姿は、この国が国際社会で苦悶する様子を象徴しているとも言える。
ホテルに戻りツアーの精算をした。この人のお陰で短い滞在を目一杯楽しんだとの思いから、幾ばくかのチップをドルで渡そうとしたが、どうしても受け取らなかった(あとでよく考えてみると、個人ガイド費の中に含まれていたのではないかと思う)。「代わりにひとつお願いがあります。北星堂(だったと思うが)と言う出版社から発刊されているローマ字版の英和・和英辞書があります。それを贈っていただければ大変嬉しいのですが…」 帰国してそれを探し、送り届けた。(トルコ完)
(写真はダブルクリックすると拡大します)
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