<今月読んだ本(10月)>1)鉄道と日本軍(竹内正浩);筑摩書房(新書)
2)クラウド化する世界(ニコラス・G・カー);翔泳社
3)パリの異邦人(鹿島茂);中央公論新社
4)昭和45年11月25日(中川右介);幻冬舎(新書)
5)はやぶさの大冒険(山根一眞);マガジンハウス
6)理科系冷遇社会(林幸秀);中央公論新社(新書)
<愚評昧説>
1)鉄道と日本軍
題名から想像すると、大東亜戦争(第二次世界大戦)における日本軍の作戦と関係しそうだが、全く違う。戦争として取り上げられるのは日清・日露戦争までである。それも戦闘行動を中心にしたものではない。あくまでも主題は“鉄道”であり、わが国の鉄道の黎明期、いかに当時の軍部がそれと深く関わり、今日の形(私鉄・新幹線を含む)に至ったかを述べたものである。
先ず両京(京都・東京)を結ぶ幹線計画(当面は新橋・横浜間)に兵部省が反対する。それには出発点となる浜離宮周辺を海軍根拠地として整備する計画を持っていたからだ。土地の奪い合いとそこに駅が出来たときの外国人とのトラブル(外国軍隊の干渉)を懸念してのことである。太政官を請われた西郷隆盛も膨大は費用を要する鉄道建設よりも、軍備の充実を優先すべきとの意見書を提出している。
その西郷を旗頭とする西南の役が起こったのは、阪神間の鉄道開業式の日であった。この戦役で軍事システムとしての鉄道が初めて使われる。近衛連隊を始めと在関東の陸兵が、新橋から横浜に輸送され、その先は海路で九州に向かっている。
軍隊輸送に役立つことを認めた軍部は、それからの鉄道建設に強い関心を示し、計画に口を出してくるようになる。当時の国防政策は海外遠征など全く考えて居らず、専守防衛である。その拠点は鎮台(要塞)を中心とするものであったが、特に明治21年これを機動力重視の師団編成に改めたことで、鉄道の重要性がクローズアップしてくる。また鎮守府と呼ばれた海軍根拠地への輸送力アップも必要となり、これら軍事基地周辺の鉄道整備が急速に進められていく。
当時は砲艦外交という言葉があるように、軍艦の砲力が勝負を決する力を持っていた。従って海岸沿いに鉄道を敷くことは国防上好ましくないとの考えが強く、軍の意見を入れて当初の両京を結ぶルートの名古屋・東京間は中山道案に決まっていたのだが、総工費・トンネル工事難易度・勾配などで東海道案が逆転している。また輸送力を高めるため標準軌・複線を推したのも陸軍である。これは参謀本部と鉄道局の激しい対立の後狭軌に決まるが、昭和になると弾丸列車構想として蘇り、その後の新幹線、さらにはリニア新幹線構想につながっていく。
日清戦争勃発時、路線は青森から広島(宇品)までつながり、大本営は国内最前線ともいえる広島に設置される。全国から陸兵がここに移送され、朝鮮半島に送られていく。その後この宇品は大東亜戦争でも陸軍最大の遠征出立地になっている。
こうして日露戦争時の国内輸送や朝鮮半島での鉄道敷設、ロシアのシベリア鉄道建設秘話などを紹介しながら、わが国鉄道発達の過程と軍との関係を明らかにしていく。
鉄道ファン(と言っても“鉄チャン”というほどのマニアではないが)として初めて触れる話題も多く楽しく読んだ。鉄道史としてもユニークで価値のあるものである。
2)クラウド化する世界
クラウド・コンピューティングとは、自社(あるいは個人)で端末と通信回線以外の設備を持たず、どこに在るのか判らないセンターのコンピュータを利用して、業務・仕事を処理する利用形態を言う。アプリケーションソフト(個人の場合、ワープロ機能や表計算機能など)も端末には組み込まず、センターのものを利用する。これを図に描くとき、自社内のシステムはネットワークや端末を実線シンボルで表すが、センター機能は雲(クラウド)形で表すことからその名が来ている。
自社にコンピュータを持たず(持てず)、コンピュータ・センターのものを利用する考え方は、1960年代から在った。東燃でもLP導入期にはIBMのセンターを利用していた。この場合は工場モデルやデータを持ってセンターに出かけ、そこで時間借りをするやり方であった。しばらくするとそれが自社の入出力装置と通信回線でつながり、社内から居ながらにして利用できるようになっていく。ただ入出力処理やモデルの様式はあくまでもユーザー自身が設計・開発し保守を行う必要があった。これではセンター利用に制限があるので、経理や購買、在庫管理などを定型フォームで提供するサービスを電電公社(当時)が始めたのが1970年代である。
しかし、汎用機の急速な性能アップとコストパフォーマンスの改善、さらにはそれに続くPCをはじめとするダウンサイジングの普及で、制約の多いセンター利用よりも自社システムを持つことが主流になり、センター共同利用は思ったほど広がらなかった。
クラウド・コンピューティングと言う考え方が出現した時、専門家ですら「センター利用は昔からあったのに」と語っていたし私も同じように思った。ITジャーナリズムですらこのシステムの特徴を解かりやすく説明できていなかったと言っていい。
この本はそんなモヤモヤを解消してくれる優れたクラウド解説書である。従来のセンター・システムとの決定的な違いは、通信速度とインターネット環境普及にある。いまや国内のみならず世界を跨ぐ光ケーブルのもたらす通信速度は遠隔地にあっても距離や時間を感じさせないほど早くなっている。また、アプリケーションの入口(マン・マシーンインターフェース)をWeb画面で作ることにより、インターネット利用可能な環境では特別な操作なしでアクセスできるのだ。
このような話を、電力システムの歴史と重ねながら語っていくところに、筆者のIT・経営ジャーナリストとしての薀蓄が傾けられ、専門家でないものに理解し易いものにしている。
エジソンが発電機を発明し商売を始めた時、それは各利用先(主として工場)に設置されていた。そうすることで沢山の発電機が売れるのでエジソンの会社(GE)は利益を上げることが出来た。技術的な理由もあった。電気は直流だったので遠距離送電は著しいロスを生じたのである。しかし、各工場はこの発電機を利用・保守するための担当者を必要とした。この例えが自社ITシステムを持つ話に重なる。
エジソンの下で営業や管理業務を行っていた英国生まれの若者が居た。彼はやがて交流システム送電のメリットを知り、交流発電機による大規模な発電所を建設しユーザーには発電機を不要とする電力供給システム構築に邁進する。料金は電力メーターで計ればいい。エジソンはメディアを利用して交流が危険であると妨害活動を行うが・・・。発電所はセンターに、交流はインターネットに置き換わり、クラウド・コンピューティングの優位が説得力をもって語られていく。
この本は二章建てになっており、第一章は上記のクラウド・コンピューティングを、メリットを中心に解かりやすく解説していく。しかし、第二章では初めにインターネットの歴史が語られ、次いで急速にそれに依存するネットワーク社会の問題点(特にオールドメディア;新聞・出版・広告・TVなど:また電力不足の恐れ:思考プロセスの変化;深く考えなくなるのではないか?)やクラウド実現後のユーザーにおける情報システム構築・管理に関する留意事項など比較的ネガティヴな話題を取り上げて、良いこと尽くめではないIT利用の将来に問題提起を行っている。きわめてバランスの良い構成は、IT業界の提灯記事の多いこの分野の本として出色のものである。
購入動機は、著者の最新作The Shallows(邦訳タイトル「ネット バカ」)を調べている時に知り、ついでに買ったものだが、2008年原著出版ながら現在のIT環境を理解するのに役立つ好著であった。
3)パリの異邦人
このところチョッとフランスに興味がある(先々月の「シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々」も同趣旨)。それで衝動買いした本である。
語られるのはパリに戦前滞在した有名外国人8人;米国人3人、英国人2人、あとはオーストリア、ドイツ、キューバ出身である。皆作家。知っている名前は、リルケ、ヘミングウェイ、ジョージ・オーウェル、ヘンリー・ミラーの4人だけであとの4人は、この本で初めて知った。
それぞれの代表作品の中で、彼等がパリあるいはフランスについて語るくだりをピックアップし。その語りの背景や当時の交友関係などからパリにおける彼等の生活振りを著者が類推したり解説したりする様式で一話がまとめられている。
著者が一冊の本としてこれをまとめた狙いは、これら外国人作家がパリに居たゆえに大成したと言うことを述べるところにある。“触媒都市”としてのパリの存在意義である。パリ自身は何も変化しないのに、人間を大きく変化させる魔力を持つ街がパリなのだと。
わが国の芸術家(特に画家)にも滞仏で開花した人が少なくない。パリとはその意味でロンドンやニューヨークとは全く異なる不思議な力を持つ街であることが想像できる。
チョッと面白かったのは、米国人が同じ場所、同じ店(例えばシェイクスピア&カンパニー書店)にたむろしていることをそれぞれの話を突き合わせて知ったことである。外国へ行くとどんな人種も同じような行動をとるものなのだ。
4)昭和45年11月25日 タイトルは三島由紀夫が割腹自殺した日である。来る25日であの衝撃的事件から40年になる。この日は本社で海外出張発表会を行うために、往路か復路かは記憶が定かではないが、川崎工場と本社間を結ぶ定期便(川崎工場の社有車)の中でこのニュースを聴いた。「まさか!」そして「何故そんなことを!?」と言うのがその時の思いであった。
既に作家としての名声は確立し、しばしば奇行で世間の注目も集めていた三島。この事件の主体となる「楯の会」も、青白き知識人とは異なる生き方を誇示する、彼独特のパフォーマンスの一つとして広く知られていたが、こんなことに結びつくものとは思ってもいなかった。この日市ヶ谷の自衛隊バルコニーからアジ演説をする彼は、楯の会の制服をまとい、行動を共にする森田必勝はこの会のリーダーである。
この前月、大阪万博は史上最大規模の観客を集め成功裏に終わっている。石油危機到来前、為替レートは固定で1ドル360円、輸出好調の日本経済は当に日の出の勢い。社会も企業も個人も、奇跡を現実のものしていた。「経済だけに夢中になり、国のあるべき姿を蔑ろにしている。自衛隊員よ、世直しのために立て!」これが三島の主張であった。しかし、誰もがこれを“狂気の沙汰”と思った。
この本は、あの日の事件について著名人;政治家、ジャーナリスト、文化人、経済人、高級官僚、三島の親族・知人友人、著者(当時10歳)周辺の人々がどのように受け取り、発言してきたかを丹念に集め整理したものである(個人名がこれほど多い本は珍しい)。だから事件直前後の発言もあれば、数年~数十年後当時を回想して書かれたものもあるので、時制の一致はない。多くの証言を集めることに依り、三島がそこに至った心境を見えるようにしようとの試みで書かれている。
私見だが、今振り返ってみれば、彼の危機感はかなり正しかったように思えてくる(自衛隊にクーデターを促したことに共感はしないが)。普天間も尖閣諸島も(場合によって北方四島も)今ほど情けない形にはなっていなかったのではなかろうかと。天才は常人の何十歩も先を歩いていたとみたい。
5)はやぶさの大冒険
今年も余すところ2ヶ月を切った。明るい話題のほとんどない本年、最大のグッド・ニュースは、2003年5月に打ち上げられ、60億km彼方の小惑星「イトカワ」に着陸、そこからの満身創痍になりながらの「はやぶさ」地球帰還ではなかろうか。持ち帰ったものが果たして「イトカワ」の一部かどうかは調査中だが、7年におよぶ航海(?)だけでもノーベル賞受賞と甲乙つけがたい快挙と言える。
わが国の宇宙開発には二つの流れがある。一つは旧文部省の管轄に属するもので、大学人中心に宇宙科学研究を主に進められてきたもの(東大生産技術研究所(現先端科学技術研究センター)→国立宇宙科学研究所)。もう一つは旧科学技術庁内から発した実用人工衛星(通信、放送、気象観測など)打ち上げやNASAと一体になり宇宙研究を行う組織である(宇宙開発推進本部→宇宙開発事業団)。現在はJAXA(独立行政法人宇宙航空研究開発機構)に統一されているが、「はやぶさ」は前者に属する研究衛星で、打ち上げ基地は種子島ではなく、鹿児島県の大隈半島内之浦、管制センターは相模原に在る。JAXAの誕生は2003年10月だから、「はやぶさ」は文部省時代に打ち上げられ、帰還は独立法人になってからと言うことになる。
大学の宇宙科学研究は、実用衛星打ち上げや宇宙ステーションでの研究とはかなり性格が異なるので、打ち上げロケットも衛星も別々に開発されてきた。科学研究用ロケットは、小型だが歴史的には遥かに古く、独自性をもったものである(実用衛星打ち上げロケット開発はかなり米国に介入され、依存させられている)。今回話題になったイオン・エンジンもそんな歴史的背景から生み出されたものである。自ら作り上げた衛星だけに、困難を切り抜けるアイディアが次々と発し、それが問題解決に生かされたと言ってもいい。
本書は科学ジャーナリストの山根一眞が打ち上げ前から取材を開始し、帰還をオーストラリアの砂漠で迎えるまでを記したものだが、当初はこれほど時間がかかると思わなかったろう。しかし、途中で手を抜くことなくトラブルに直面する度に掘り下げた取材・調査を続けているので、臨場感抜群である。
図や写真の多いことも本書を読みやすいものにしているが、あとがきを見ると読者の対象を中学生辺りまで想定しているようだ。とにかく素人に解かりやすく書かれていることに感心した。科学ノンフィクションの手本と言っていい。
6)理科系冷遇社会
この類の本を何冊か読んでいるので、「また生涯賃金や出世の比較か」と思って手に取ったが(それも皆無ではないが)、主題は“わが国科学・技術施策”に関する現状と将来を論じているものであった。読後感は「科学・技術立国危うし」である。「はやぶさ」の後だっただけにその揺り戻しは大地震クラスである。
著者は大学で原子力工学を専攻した科学技術庁(入庁時)の技術官僚である。文部科学省に改編された後、科学技術・学術政策局長(文部科学審議官→JAXA副理事長→東大先端科学技術研究センター教授)を務めているので、技術官僚としては位を窮めた人と言える。従って個人的な泣き言など一切ない。
初等教育における理科離れとそれに伴う理工学部系進学者の減少、ポスドクの惨状、大学の旧態然たる状況(既得権固守)、ハイテク研究とビジネスの落差(直ぐにキャッチアップされ、追い越されてしまう)、論文や特許の数、国家ビッグプロジェクトの資金難、国際化の遅れなど、あらゆる点でわが国の国際競争力が低下していっていることを、客観的データを連ねて訴えていく。欧州はEUでまとまる方向で米国優位に対抗し、中国は目覚しい経済成長と比例するように競争力を高めてきている。韓国は選択と集中を徹底して得意分野を絞り込んでイニシアティヴを取る戦略だ。
そこには、人間しかこれと言った資源のないわが国、科学技術戦争に勝ち抜くしか将来はない!従来のやり方・考え方を大胆に変えていくしかない!という著者の主張が込められている。
しかし読んでいて「それは本来あなたの仕事ではなかったのか?」という素朴な疑問が浮かんできた。あとがきを読んで、その点は著者も自覚したようで「自分に唾するようだ」と書きながら、「それでもこの窮状を国民に少しでも知ってもらいたい」との思いで本書を書いたとしている。「蓮舫さん二番目ではダメなのです」
2010年11月1日月曜日
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