2010年12月1日水曜日

決断科学ノート-52(ドイツ軍と数理-1;数理か占星術か)

 師事したランカスター大学カービー教授によれば、英米で軍事作戦の策定・実施に威力を発揮したOR(オペレーションズ・リサーチ;応用数学の一種)のような数理利用は、日・独・ソにはその形跡が無いと言う。そして、その最大の原因は権力とその意思決定構造(つまり独裁)にあのではなかと推察している。その上で「英米はORで戦い、ヒトラーは占星術で作戦を決した」と著書で揶揄している。彼の研究(英国のOR史と戦後の米国との適用比較)は、英米以外も取り上げ深く調査するものではなかったので、このような整理がされたのも頷ける(わが国の意思決定構造がヒトラーやスターリン治下の独ソと異なることは説明したが)。
 先の大戦における日本のOR利用に関しては、元防大教授の飯田耕司先生がまとめておられるが、これはいずれ別途本ノートで取り上げたい(戦略物資調達・配分から戦争の趨勢を予測)。ソ連については、横河在籍時代頻繁にロシアに出かけていた頃、セールスエンジニアにモスクワ大学工学部(原子力)出身のスタッフがおり、夫人も同大学の応用数学修士課程まで在籍したというので、「戦時のソ連におけるOR利用に関して、何か手がかりになるものは無いか聞いて欲しい」と頼んだが、期待するような答えは得られなかった。
 19世紀のドイツは世界で最も科学・技術の進んだ国であった。優れた数学者もそれ以前から多く輩出している。プロシャを中核とする大ドイツ帝国誕生のきっかけとなる普墺戦争・普仏戦争では鉄道が重要な役割を果たし、そこでの列車ダイヤ編成が速やかな兵力集中を可能にして戦争に勝利している。これなど、ある種の数理応用と言っていい。第一次世界大戦でも、航空機・潜水艦・戦車・通信など、後に戦略兵器に発展する近代兵器開発・利用で第一級のレベルにあった。その科学戦・総力戦に破れ、厳しい制約の下に留め置かれた国防軍は、再興を更なる科学・技術利用に求め、それを縦横に駆使できるプロフェッショナル思考を強めていく(英国のアマチュアリズム尊重と対照的)。スペイン市民戦争はその実験場となり、ナチスの巧みな宣伝もあって空軍力は世界を震撼させる。
 しかし、科学・技術戦への取り組みに関し、後の問題の芽が見え隠れもする。高性能にこだわるあまり、生産性や保守性が等閑にされるような点。また、戦術や戦略が兵器の後追いになったり、陸軍中心思想から脱却できなかったようなところにもみられる。ここから数より質、ソフトよりハード、そして遠くよりは近く(時間的にも距離的にも)と言う特質が浮かび上がってくる(例外として、潜水艦隊とロケット兵器があるのだが)。これらをナチス支配体制と結び付けて整理してしまうのは判りやすいが、果たしてそれでいいのだろうか?別のファクターがあるのではないか?これが私のドイツ軍と数理応用に関する基本的な疑問点である。
 兵器開発は工学が基になる、その理論体系は数理によって構築される。従ってこの面でのドイツの力は当に最先端にあったといえる(戦後の米ソ軍事技術がどれだけ彼等の研究開発に依存したことか!)。ハードとの関わりが少ない分野でも、暗号技術や気象観測などでは数理応用に連合国側に遜色ない。大規模作戦研究では兵棋演習(戦争しミューレーション)を、当然数理を用いて行っている。資材・兵器需給計画然りである。にも関わらず日常の作戦策定・実施ではOR的発想が全く見当たらない。何故か?
 ぼんやり見えてきたのは、“システム思考(あるいは統合的思考)が希薄なこと”である(狭い範囲のシステム思考はあり、課題とシステムがマッチした時には見事に成功する:西方電撃戦、独ソ戦の初期;いずれも陸軍内の装甲軍、あるいは初期の潜水艦戦争;海軍の中でも独立した艦隊:大きなシステムで捉えられないのは日本も同じ:この点では英米と差がある)。専門分野を跨ぐ人材交流、組織間(各軍、軍民)協力、異なる兵器体系の協調運用などに制約があり、柔軟な組合せから新たな発想が生まれる機会が少ないことである。言い換えれば部分最適化に留まる傾向が強いのである。これはもしかすると、権力構造に加えて、国民性・民族性(それぞれの専門分野への強いこだわり;例えば、マイスター制度)なのではないかという気もしてくる。
(次回予定;電撃戦と兵站)

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