11日に大震災が起こった。それ以降月末に至るまで、地震直後に届き直ぐ紐解いた「工学部ヒラノ教授」を除いて、一冊も読んでいない。こんなに読書量の減った日々も珍しい。
<今月読んだ本>
3)帝国の落日
ハートカバーで上下二冊、ページ数800強の大作である。しかもそれは“パックスブリタニカ”3部作(前二作;大英帝国最盛期の群像、ヘーヴンズ・コマンド)の最終編に過ぎないのだからそのヴォリュームに圧倒される。本編で取り上げられるのは、ピークといわれたヴィクトリア女王の死後から第二次世界大戦後、インド独立で帝国が消えるまでを扱っている。
OR発展の歴史を理解ためには、その背景となる20世紀初頭から戦後までの英国政治環境の変化を知ることが不可欠である。そのために本書を購読した。
これを読むと(地続きでなく、他民族を含む)大帝国を維持することが如何に大変かが分かる。七つの海を支配するための海軍力とその根拠地はそこからの収入以上に支出を伴う。歴史的・文化的な不連続性を融和させるためのコストも膨大である。それでも当時は拡大こそが国家生き残り・発展の術と考えられていた。
先人たちの成功を追う冒険者が次々と現れ、紛争の種をチベット、ナイル域(エジプト、スーダン;ファッショダ)そして南アフリカ(ボーア戦争)、さらには中東・バルカン半島へと撒き散らしていく。
英国の歯車が狂いだすのはボーア戦争からで、本書はこの戦いを掘り下げて描写している。この辺は高校の西洋史の知識では全く知覚できていなかった。この戦いではロシアが隙を突いてアフガニスタンやインドを侵す恐れが充分あったのだ。これが第一次世界大戦における中東戦線おける英国の二枚舌・三枚舌政策につながり、現代に至るこの地域の複雑な国際環境を作り上げてしまったといえる。
この地球規模に広がった帝国を、その社会変化を踏まえて変えていこうとする動きは本国にも植民地の側にもあるのだがなかなか上手くいかない。同じアングロサクソン・プロテスタントが主流のオーストラリア・ニュージーランドですらまとまらないのだから、反英感情の強いアイルランドや民族・宗教の異なるインドなど論外である。しかも、一方にはチャーチルに代表されるような(彼は社会変革を理解はしていたが)帝国維持に腐心する政治家や王族もいる。結局1930年に成立するウェストミンスター憲章で大帝国は、英本国・自治領・インド帝国・属領・委任統治領・保護領・条約国などからなる無原則な英連邦に変じていく。
著者は本書(第三巻)で綴ったことは「惜しがる気持ちを伴わない哀しみである」としている。現代の地理的な大国は、ロシア・米国・中国・インドといったところで、いずれも覇権拡大維持に余念がないが、この大英帝国の隆盛と衰退を見ると、こじんまりまとまった国家も悪くない気がしてきた。
それにしても世界史の中で日本人なら比較的よく知っている英国史ですら、未知のことだらけであった。他国の歴史を理解することの難しさを、あらためて知らされた。
何度か本欄で著書を紹介してきた、中央大学工学部教授(東工大名誉教授)今野先生の“エンジニア小説”である。“エンジニア小説”というジャンルは他で目にしたことは無いので、多分著者のオリジナルであろう。私の見立てでは“小説”と思って読んだのは「すべて僕に任せてください」(新潮社)と「スプートニクの落とし子たち」(毎日新聞社)の二作(いずれも本欄で紹介済み)で、これが三作目である。 前二作が“私”も登場するものの、主人公が若い同僚であったり、大学の同級生であったのに対し、本作は“私”が主人公である。また前二作が主人公の死に物語の山場があったのに対し、今回は無事停年退職に至るところに大きな違いがある。つまり、いろいろ苦労はあるのだが明るい気分で読み終えることができた。
1)暗闇の蝶(M. ブース);新潮社(文庫)
2)旅の終わりは個室寝台車(宮脇俊三);河出書房新社(文庫)
3)帝国の落日(上、下)(ジャン・モリス);講談社
4)工学部ヒラノ教授(今野浩);新潮社 <愚評昧説>
1)暗闇の蝶
業界からの引退を目前にした、殺人者向けの銃を製作する闇世界の住人が主人公。生まれ育ちは英国らしいが、今はイタリアの田舎町に身分を偽り、蝶を描く画家として潜んでいる。田園が広がる長閑な町は居心地もよく、周囲の人たちからもやっと仲間として認知されるようになってきた。彼自身は殺人者ではないし、組織犯罪とも関わったことはない。しかし、長年の経験から誰かに付け狙われていることを感じ取っている。それは誰なのか?
情景も人物描写も巧みで、2008年一度訪れたことのあるイタリアと完全に重なり、違和感無く書かれた世界に誘われていった。サスペンス物には珍しく、ひたすら“私”の立場から書かれ、文庫本で500ページ近くの話を全く章立て無しで書くスタイルは、独特の緊張感を持続した。
作者は英国人、既に故人である。スリラーやサスペンス専門ではないが、この分野の本場だけに、並のストリー展開ではなく“当たり”であった。
2)旅の終わりは個室寝台車
前月ご紹介した原武史によれば、鉄道作家御三家は、この作者と内田百閒、阿川弘之となっている。しかし現代につながることと鉄道に関する造詣の深さでは、何といっても宮脇俊三であろう。月に一冊は乗物紀行を読みたい(これを読んでいるときが一番リラックスできる時間である)私にとって、既に彼の作品は全了と思っていたが、残っていたのが本書である。グリーン車や寝台車にはめったに乗らない人だけに、こんなタイトルにびっくりした。
著者が「中央公論」の編集長を退職後1980年代月刊誌「新潮」に連載されていたものが、新潮文庫として出版されたのが1984年10月、それが河出文庫として復刻したのが昨年。人気は今に続いている。出版人としてこれら代表的な出版社と関わりを持てたのも著者の人徳と作柄であるに違いない。またあのマニア独特の臭み(一種の自慢)が無いのが何といっても万人に愛される最大の理由だろう(内田百閒にも同様に狭量なマニアの臭みが無い)。
この一連の旅には“藍さん”という新潮社の編集者が同行するのだが、その人が次第に鉄道ファンになっていく過程が面白い。それだけ本質的な感化力があるのだ。
私が最も面白かったのは「東京-大阪・国鉄のない旅」(路線バス一部利用。帰りは新幹線の日帰り)、多分今では実現不可能だろうが、一度試してみたい気になった。3)帝国の落日
ハートカバーで上下二冊、ページ数800強の大作である。しかもそれは“パックスブリタニカ”3部作(前二作;大英帝国最盛期の群像、ヘーヴンズ・コマンド)の最終編に過ぎないのだからそのヴォリュームに圧倒される。本編で取り上げられるのは、ピークといわれたヴィクトリア女王の死後から第二次世界大戦後、インド独立で帝国が消えるまでを扱っている。
OR発展の歴史を理解ためには、その背景となる20世紀初頭から戦後までの英国政治環境の変化を知ることが不可欠である。そのために本書を購読した。
これを読むと(地続きでなく、他民族を含む)大帝国を維持することが如何に大変かが分かる。七つの海を支配するための海軍力とその根拠地はそこからの収入以上に支出を伴う。歴史的・文化的な不連続性を融和させるためのコストも膨大である。それでも当時は拡大こそが国家生き残り・発展の術と考えられていた。
先人たちの成功を追う冒険者が次々と現れ、紛争の種をチベット、ナイル域(エジプト、スーダン;ファッショダ)そして南アフリカ(ボーア戦争)、さらには中東・バルカン半島へと撒き散らしていく。
英国の歯車が狂いだすのはボーア戦争からで、本書はこの戦いを掘り下げて描写している。この辺は高校の西洋史の知識では全く知覚できていなかった。この戦いではロシアが隙を突いてアフガニスタンやインドを侵す恐れが充分あったのだ。これが第一次世界大戦における中東戦線おける英国の二枚舌・三枚舌政策につながり、現代に至るこの地域の複雑な国際環境を作り上げてしまったといえる。
この地球規模に広がった帝国を、その社会変化を踏まえて変えていこうとする動きは本国にも植民地の側にもあるのだがなかなか上手くいかない。同じアングロサクソン・プロテスタントが主流のオーストラリア・ニュージーランドですらまとまらないのだから、反英感情の強いアイルランドや民族・宗教の異なるインドなど論外である。しかも、一方にはチャーチルに代表されるような(彼は社会変革を理解はしていたが)帝国維持に腐心する政治家や王族もいる。結局1930年に成立するウェストミンスター憲章で大帝国は、英本国・自治領・インド帝国・属領・委任統治領・保護領・条約国などからなる無原則な英連邦に変じていく。
著者は本書(第三巻)で綴ったことは「惜しがる気持ちを伴わない哀しみである」としている。現代の地理的な大国は、ロシア・米国・中国・インドといったところで、いずれも覇権拡大維持に余念がないが、この大英帝国の隆盛と衰退を見ると、こじんまりまとまった国家も悪くない気がしてきた。
それにしても世界史の中で日本人なら比較的よく知っている英国史ですら、未知のことだらけであった。他国の歴史を理解することの難しさを、あらためて知らされた。
何度か本欄で著書を紹介してきた、中央大学工学部教授(東工大名誉教授)今野先生の“エンジニア小説”である。“エンジニア小説”というジャンルは他で目にしたことは無いので、多分著者のオリジナルであろう。私の見立てでは“小説”と思って読んだのは「すべて僕に任せてください」(新潮社)と「スプートニクの落とし子たち」(毎日新聞社)の二作(いずれも本欄で紹介済み)で、これが三作目である。 前二作が“私”も登場するものの、主人公が若い同僚であったり、大学の同級生であったのに対し、本作は“私”が主人公である。また前二作が主人公の死に物語の山場があったのに対し、今回は無事停年退職に至るところに大きな違いがある。つまり、いろいろ苦労はあるのだが明るい気分で読み終えることができた。
大学の内情を書いた代表作に山崎豊子の「白い巨塔」(医学部)、筒井康隆の「文学部唯野教授」(文学部)がある。緻密な調査で大作を飽きさせずに読ませる山崎の技法と比較するのは適当ではないが、大学人の生き方・大学運営管理の在り方を外部の人間に知らしめるという点において、本書は決してそれに劣らない。一方で筒井の作品は彼の持つブラックユーモアのセンスを下敷きにしているが、本書にもやや自虐的なユーモアが随所に見られ、思わず「いやー、本当にご苦労様!」とつぶやきたくなる。
しかし、この本の凄さは登場する有名大学人(主に東大、筑波大、東工大、スタンフォード大)がほとんど実名であることである(役人や民間人の実名は出ない)。それも本人が見たら決して愉快ではないことどもを、臨場感をもって書いている。この迫力は職業作家にはチョッと出せない。これも70歳(停年)に達したからであろうか?
国際AAA級研究者への道、伝統校と新設校の違い、昇進制度・学長選び、官学・私学の役割(研究vs教育)、教養部と学部・大学院の格差、新規研究組織の創設や定員、研究費の管理、文部官僚(事務官)と教官の力関係などあらゆる大学活動を自らの体験を基に取り上げている。この背景を成すのが著者のきわめてユニークな経歴である。純粋培養の教授と違い、修士課程を終えた後民間研究所に就職、そこからスタンフォードに留学し国際級の研究者たちとの壮絶な戦いを経験、帰国後新設の筑波大に奉職、ここでいろいろあり東工大の教養の教授に転じ、さらに学部・大学院にポストを得ていく。一流国立大でこんな多彩なキャリアーパスの教授を知らない。この点からも工学部の中を窺うに異色のガイドブックといえる(とはいっても受験生には読ませたくないが)。
それにしても国際級(理系はこの領域まで行って一人前)の学者を目指しながら(引用例の多い論文を書き続ける)、学内行政(の末端;ここを上手くやらないと良い研究環境が確保できない)を合わせて執り行うことの大変さを知るとともに、わが国高等教育(研究を含む)の在り方に抜本的な改革が必要と痛感させられた。
因みに、今野先生は決して平教授で終わったわけではない。東工大では新設大学院コース社会理工学研究科を立ち上げその初代科長(学部長に相当)に就任、さらに学長補佐業務をも務めている。もっともこれらは当に雑用で、研究活動を妨げこそすれ、処遇面では報われることは少ない。したがって、“平教授も悪くないなー”と言うのが本音・本題となっている。
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