最初のプロセスコンピュータ稼動(1968年)から10年、既述のようにグループ内状況は次世代システムの検討に向けて胎動が始まっていた。1979年春、当時川崎工場のシステム技術課長だった私に、初めての米国訪問(1970年)来久し振りに渡米する話が舞い込んできた。目的は例年5月ニューヨーク近郊で行われているExxon Technical Computing Conference;通称TCCミーティング)に参加し、稼動したばかりの川崎工場の工場管理システム(COSMICS-Ⅱ;Computer Oriented Scheduling and Monitoring Information Control System;-Ⅰは石油化学、-Ⅱは石油精製および共通部門;本ノート-27~40;“迷走する工場管理システム”参照)の紹介を行うことだった。
このTCCミーティングは1970年代中頃から始まったもので、Exxonの全ビジネス(原油探査・生産、輸送、研究開発、精製、石油化学)における技術分野でのコンピュータ・通信技術利用に関する、ワールドワイドな会議である。主催者はECCS(Exxon Computer and Communication Sciences )、かつてはExxon Research and Engineering;通称EREの一部門であったが、この時代は独立同等の位置にあり、ニュージャージ・フロ-ハムパークの広大な敷地内にEREとは別棟の高層ビルを建て、その勢いを誇示していた。TCCではほとんど話題にならない事務系統やIT基盤技術もミッションとしては含んでおり、世界の動きを知るために、それらの部門からも参加者があった。
会議は日曜日夕方のウェルカム・パーティから始まり三日間、会場はこの時分はマンハッタンから1時間ほど北に走った、Raytownと言う町のヒルトンで開かれていた。これはERE・ECCSのメンバーの便宜を考えたためであったと思われる。参加者は常時200名程度だが、フローハムパークからの参加者は部分参加が多いので、延べにすると500名位あったのではなかろうか。会議形式は全て全体会議で、分科会はない。発表テーマと順序もあまりきちんと整理されていないし、オープニングの基調講演を除けば発表時間も質疑を入れて20分、深みのある会議ではないが、浅く広くExxonの当該分野におけるIT活動を理解するには適当な場と言えた。それもあり、海外からの参加者はこの週の残り二日間をEREやECCS訪問に当てている者が多い。私もそれぞれの組織に一日ずつとり、工場管理システムの一環として開発途上にあった保全システムと次世代プロコンに関する情報交換を行う予定を組んだ。
東燃からの参加者は通常管理職1名・若手1名計2名で、概ね若手が発表テーマを持って参加していたが、今回は発表テーマの関係で私が行うことになった。管理職の立場で私が9年ぶりの米国出張、若手として本社制御システム課のYMBさんが派遣されることになった。私にとっては初の海外発表、彼にとっては始めての海外出張である。話が出たのが3月中頃、会議は5月初旬に開かれるので、準備期間は1ヶ月半しかない。発表形式はスライド利用と決められている。だが手の込んだものは出来ず、文字だけの資料を何とか間に合わせる。
このTCC参加に並行して進められたのが、次世代プロコンに関する調査とEREに対する事前説明への対応である(本来、これは本社の仕事だが、当時は海外出張の機会は滅多に無く、“ついでに”となりがちであった)。調査の方は国内でも情報の入りやすい、(山武)ハネウェル、IBMは訪問調査を見送り、横河と長く技術提携しその後契約が切れたフォックスボロー社を訪れプロコン分野の活動をヒアリングすることにした。これは顧客が調達先を訪れるのでそれほど準備を必要としないが、EREに対するこれからの次世代システム検討の事前説明は、TCCでの他社の発表を含めての話し合いとなる可能性が高く、“出たとこ勝負”の感を免れなかった。果たして上手く出来るだろうか?不安が募った。
(次回;-2;Foxboro訪問)
2011年4月16日土曜日
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