BTXの順調な更新に続いて、OG-2(重質油脱硫装置)が翌83年、大物のOG-1(統合蒸留・改質装置)84年、稼ぎ頭のFCC(流動接触分解装置)85年と大きなトラブルも無く、92年の動力・発電プラント置換えまで10年にわたりTCSへの切換えは進んでいく。複数在ったSPCコンピューターは一台のIBM-4300で全て賄え、当然ソフトもACS一本だけでこの10年を繋いでいけた。この間、川崎工場(石油化学を含む)も動き出し、期待通りプロジェクト推進と運転環境が第一世代と比べ著しく改善された。
その大きな理由は、何と言ってもコンソール(操作卓)だけで運転できるシステムを作り上げたところにある。このコンソールによるオペレーションの概念は、本ノート-61(TCS-4)に紹介したように、ハネウェルのダリモンティという技術者が70年代初期、Oil&Gas Journal誌に“将来の計器室”構想を示し、そこで“コックピット(飛行機の操縦席を模した)・オペレーション”と称していたものを実現したものと言っていい。プラントの運転状況を表示するディスプレー(TCS着手時は液晶やプラズマ・ディスプレーが実用化されていなかったのでCRT;電子管)を二段に重ね、手元にはキーボードや専用スウィッチがあるだけのすっきりしたデザインのもので、コンソールの機能に制約が多く計器をびっしり並べた筐体が併設される第一世代とは全く異なる運転環境を作りあげた。
出発点となるBTX向けコンソールは横河電機の委託を受けた工業デザイナーと和歌山のプロジェクトリーダー、MEDさんの共同作品である。その対象はコンソールに留まらず、部屋の什器備品・彩色・照明などにもおよび、三交替職場と言う過酷な労働条件とは無縁な世界を具現化した。数多くのプロセス工業に製品とサービスを提供してきた横河にとってもこれだけモダンな運転センターは珍しく、それが社内で注目される。これをTVコマーシャルに使えないかと。
東燃には機密保持などの問題があり、当初は無理と考えられていたが、コンソールは横河の製品でもありプラントやデーターが画面に現れないなら良かろうと言うことになり、広告作りプロジェクトが進められた。説明役には当時売れっ子の漫画家、はらたいら氏の起用が決まり和歌山でヴィデオ撮りが行われ、こういう場所には縁の無かったはら氏が大いに感激したと言う話も伝わってきた。東燃も横河も一般TV視聴者とは縁の無いビジネスをしていることから、それぞれの社内でも期待するところが大きかった。しかし、そのような事業環境はTV・広告業界には無理が効かず、地方局でしか流すことが出来なかったのは残念であった。
さて、今回で現場におけるTCSの話題を終えることになるが、最後にその効用がプロセスクレジット・省力化以外のところにも広がったことを記しておきたい。それはプラント運転員の士気(意欲)の向上が経済性改善につながったことである。私が入社するはるか以前から業務改善に対する提案制度があった。確か1~6等級位までだったと思うが、なかなか1,2級は出なかった。しかしTCS導入後これが出るようになり、全体の平均等級がアップしたのである。もともと運転員は肌で覚えたプラント特性があり、運転技術に関しては経験の浅いエンジニアの及ばぬ領域があるのだが、TCSの導入によりその経験が身近に得られるデータに裏打ちされ、優れた提案を生むようになったのである。この辺りの使い方は日本ならではの効用と言えよう(実は、ACS販売は日本が突出、外国は全部合わせてもその半分もいかなかった)。TCSはシステム周辺で働く技術者だけでなく、工場運営に欠かせぬ道具へと成熟していくのであった。
(次回予定;TCSをビジネスに)
2011年10月24日月曜日
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