TCSを構成するもう一つの要素は横河製の分散型ディジタル制御システム(DCS)、CENTUMである。発売当初は集中型DDC(Direct Digital Control)、YODICの影を引きずり32ループ(制御点)で一つのユニットを構成していたが、分散度の進んだ(8ループ)ハネウェルのTDCに対抗すべく進化していった。それもあって、国内市場では高度成長期に建設されたプラントのアナログシステム制御システムに置き換わるものとして、横河の主力製品になってきていた。現在横河電機が世界を代表する制御システム供給者の位置を占めているは、このCENTUM開発・進化がもたらしたといっても過言ではないほど重要な製品である。
東燃(そしてERE)がTCS開発に際して最も危惧したのはACSとこのCENTUMの有機的(情報交換に制約の少ない)な結合をどこまで実現できるか、と言う点であった。1979年ERE(Exxonエンジニアリングセンター)を訪問した際、彼らはハネウェルのシステムを第一候補として推しながら「東燃はプロジェクトを自分で推進できるからACS+横河も検討して良いよ」と言ったのは当にこの部分に着目したからである。
IBMはACSの下に来るDCSは出来るだけ沢山の機種を想定したい(実際Exxon傘下ではハネウェル、フォックスボローそれに横河のDCSが繋がることになる)。横河もCENTUMの上に来るSPC(上位制御用コンピュータ)は一社に限定したくない。双方とも選択肢が多く選べるよう、出来るだけ一般的(特定のメーカー、機種に限定しない)な通信インターフェースにしたい。しかしそれではきめ細かな情報交換が出来ない。どうしてもユーザー知見を組み込んだACS-CENTUM専用の通信方式が必要になる。この情報交換ソフトは、ACSとCENTUMの中間にミニコン、シリーズ1(S/1)を介在させ、その中に収めるのが適当である(IBM汎用機やDCS専用機の仕様をカストマイズしないで済む)。そこでこのS/1搭載ソフトは東燃と横河で共同開発することにし、その知的財産権は両社に帰属することになったのである。
開発当初は「売れたら見返りを下さいね」と言う程度の口約束であったが、東燃がシスエムビジネスを開始する際、両社の法務部門が細部を詰めそれを明文化した。当時の横河の交渉相手は総務部門のMZGさん、気持ちよく対応していただいた。1998年システムプラザ(SPIN;東燃から分社化した情報サービス会社)が横河グループ入りする際は管理部門総括の専務を務めており、こちらが大変お世話になることになる。
ACSを国内で販売する場合、その時点ではDCSはCENTUMとの接続しか実績が無かったので、ACSを導入するユーザーはCENTUMとこの通信ソフト(DCXと称した)を購入することになる。一生懸命ACSを売ればそこにCENTUMビジネスが起こり、付帯してS/1とDCXの商談が自動的に派生する訳である。大規模プラントでは複数のS/1とDCXが売れるので三社(IBM、横河、TTEC)にとって極めて効率の良いビジネスになった。
IBMの販売成功報償制度、ACSを熟知したものだけが享受できる単価の高いシステム開発それにこの通信ソフト販売が組み合わされ、TTEC(東燃テクノロジー;エンジニアリング会社)におけるシステムビジネスは、情報サービス事業として順調な立ち上がりを見せたのである。
(次回予定;エッソイースタン・コンピュータ会議)
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