IBMのACS(高度制御ソフトウェアパッケージ)セールスは1983年後半から本腰が入ってくる。二度の石油危機を克服し、製造業は世界経済牽引のエンジンと期待され、また恐れられてもくる状況下で、ユーザーの方にも積極的に新しい技術を導入する機運が高まっていた。東京を始め主要工業都市(水島、北九州など)で開催されるセミナーには多くの石油・石油化学・化学の潜在顧客が参加し、東燃と業態も近いこともあり事例紹介が引き金となって、次々と商談が具体化して行った。こんな中で異色だったのが、川崎製鉄と王子製紙である。
川崎製鉄の場合は、IBMの働きかけもさることながら、千葉製鉄所計装部のIWM課長が製鉄の国際学会でACSの話を聞き強く興味を持ったことが導入具体化に繋がったようである。適用対象は比較的新しい溶鉱炉(高炉)で、ここのプロコン置換え計画として有力候補に挙がったが、この段階では鉄鋼関係への実績は無く、技術的・経済的な適用可能性について社内の説得にIWMさんは随分苦労されていた。こちらもそれに最大限に協力、製鉄所での技術検討会のほか和歌山工場への見学会まで実施して、やっとTTECシステム部としても成約にこぎつけた。つまり、IBM販売協力ばかりではなく、ACS導入技術支援をビジネスとして受注できたのである。この内容は単にACSを動くようにするばかりではなく、溶鉱炉を操業していくための各種情報処理アプリケーションをも含むもので、我々にとって初めての異業種体験となった。
ビジネスは技術提供だけで済むものではない。商流もこれだけ大きな会社だと、我々のサービスくらいでは直接取引とはならず、手続きとして直系の川鉄商事を通さなければならない(実務的には本社機材部とのやりとりになるのだが)。そこでは口銭を取られることになる。見積もりにこのようなことを考慮しなければならないことを学んだのもこの商談である。ここでの学習はいずれやってくるシステム部門分社化で大いに生きてくることになる。
王子製紙の商談は、1984年前半IBM北海道が手がけた案件である。先方はそれまで旧財閥同系の東芝製のプロコンを使用していたのだが、そのリプレース計画を耳にしてACS売り込みを目論んだのである。古い歴史を持つわが国最大の製紙会社、本社のメインフレームこそIBMだったが工場はほとんどが東芝製で占められていた。しかし苫小牧工場の計装課長がACSに興味を持ってくれ、現地説明会開催のチャンスを与えてくれた。IBM本社ACSチームによる説明と東燃の事例紹介には計装出身の製造部長も参加し、熱心な質疑が交わされた。しばらくすると話は次の段階に進み、具体的なアプリケーションの打ち合わせをしたいとの要請をうける。
この時期ACSビジネスは引き合いが活発で、私一人でやっていた営業は手が足らず和歌山工場のPSE(プロセス技術バックグラウンドのSE)だったNGIさんをメンバーに加えていた。彼の高い問題対応能力を買ってのことである。苫小牧の関心が高いアプリケーションは、蒸解釜(製紙工程の最初にある中心装置;製鉄の高炉、石油の常圧蒸留装置の位置付けと同じ)を中心とした省エネルギーとパルプブレンディング最適化だった。原料パルプには品質にいくつかのグレードがあり、高品質のものをミニマムに抑えて製品を作り出すところが要点なのだ。これは石油製品のブレンディングと同じである。NGIさんの説明に客先の担当者たちは惹きつけられ、さらに次のステップへと進むことになる。
ここで生じたのが“プロセス制御技術販売”に対するEREの見解である。我々は石油ではないから問題なしと思ったし、たまたまTTECに出張で来ていたEREのセールス責任者も同じ見解だった。しかし「EREに戻ってから正式回答する」と言い残して帰国した。結果は「No」。理由は「最適化手法そのものがグループの資産だ」と言うものであった。納得できる話ではなかったが、蒸し返しても時間がかかる問題で、客先やIBMに迷惑が及ぶことも考えられるのでこの件は見積もりから落とさざるを得なかった。
それでも競札では最終の二システムの一つに残った。この段階で前回紹介のNKH常務が大学時代のゼミの先輩で王子の役員をされていた方に電話を入れてくれた。その方にも支援をいただいたが、最終的には東芝に決まった。
失注はしたものの、この経験も異業種で戦える自信を与えてくれた出来事であった。
(次回予定;“TCSをビジネスに”つづく)
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