本事例紹介を単に“TCSプロジェクト”とせず、大仰に“大転換”としたのにはそれなりに含みがあった。それはこのプロジェクトを経験したことにより、情報システム部門も私個人もその後が大きく変わったからである。例えて言えば、それまで銃砲で戦っていたのがミサイル主体になり、やがて宇宙に飛び出すロケットに発展していったようなものである。TCSは当にミサイルへの転換に相当したのである。
TCSの第一号プロジェクトであるBTX(和歌山の石油化学プラント)が稼動したのが1982年秋、翌年からこのシステムの外販ビジネスを始めたこととはここ数回の連載で紹介した。話は前回(石川賞)、前々回(RCAミーティング)と前後するのだが、実はこの時期もう一つの大プロジェクトが走っていた。それはグループ全体の利用に供する汎用コンピュータ、IBM370の更新計画である(この更新計画については独立テーマとしていずれ本ノートに取り上げる予定)。
東燃の情報システム部門と汎用機利用の歴史を振り返るとIBMとの関係が如何に深いかが分かる。嚆矢となるのは昭和31年(1956年)に導入されたIBM420統計会計機(パンチカードシステム)であり、この時経理部にIBM課(一企業名を組織名称にするのは適当でないとの意見で改名されるのは1961年、5年間も続いた!)が発足している。その後生産計画や設備計画に使われるLP(線形計画法)、プラント設計・解析の技術プログラムが導入されるが、これらのオリジナルはERE(エクソン技術センター)の技術を基としているので、全てIBMの大型汎用機を利用する(自社にはなくEREやIBMの計算センターを利用)ことになる。事務系も技術系もIBM一色である。IBMは当該分野の断突のトップランナー、導入されたシステムも420以降、1401、360、370、3031と続き、70年代まで変える理由など存在しなかった。
しかし、80年代に入るとオフィスオートメーションのニーズが高まり(特に本社で)、日本語処理機能が不可欠になってくる。次第に力をつけてきていた日本メーカーはこの点では遥かにIBMをリードするところに来ていたのだ。基幹ソフト(O/S)は既存のIBMアプリケーションが走るよう互換性も備えてくる(あまりの互換性の良さはIBM、さらには米国政府の不興を買い、有名な“おとり捜査”で三菱電機と日立がFBIに挙げられる)。極秘の国産機(日立、富士通)を含む比較検討(各種テストを含む)が1982年後半から始まり、1983年年央には次期システムはFACOM-M380に決定、11月に導入され翌年3月に切換えが完了する。
この切換えプロジェクトの中核になったのは事務系システム開発と汎用機運用を担当してきた機械計算課である。営業の無い会社では裏方で自らの力を外に示す機会の少ない部門であったが、この切換えを大過なく終えた(東燃の決算期末は12月)ことで、社内外(特に富士通)の高い評価を得ることになる。
また我々自身もTCS開発・導入におけるエクソングループ・IBMを通じての国際的な力量の確信、その外販ビジネスの順調な立ち上がり、それに代表的な汎用機メーカー2社との交流による情報技術を巡る知識・情報の客観的評価によって、主導的メーカーとの協業に向けて関心が高まっていった。
IBM課発足に深くかかわり、新事業開発に情熱を傾けていたNKHさん(当時常務)が情報システム部門分社化に心動かされたのはこんな当時の状況が強く影響したに違いない。
(次回予定;“新会社設立に向けて”つづく)
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