2011年12月8日木曜日

決断科学ノート-102(大転換TCSプロジェクト-39;石川賞受賞)



 前回の予告では今回から「新会社設立に向けて」としていたが、その前にこれと深く関わるTCS(東燃高度プロセス制御・運転システム)の“石川賞受賞”について書いておきたい。                                      
 東燃は戦後再興にあたりスタンダードヴァキューム(後のエクソン、モービル)と提携したこともあって、技術力には高い評価を得ていた。しかし、それは全般的な世評としてであり、個々の技術が具体的に取り上げられ、話題になることは少なかった。これは技術提携上の制約もあり、競争力の根源を外に向けてPRすべきものではない、と言う企業風土からきていたように思う。学会活動なども個人ベースはともかく、全体として“お付き合い”としての姿勢が強く、とかく批判があった。そんな歴史の中で唯一の例外がこの“石川賞受賞”である(社史を辿っても、個人の褒章・叙勲を除けばこのような受賞は見当たらない)。                                   
石川賞と言うのは、戦前からの財界人で、初代日本科学技術連盟(日科技連;有名なデミング賞もここが与える賞;源流は戦前の大日本技術会につながる)会長であった石川一郎氏(自身も応用化学専攻の技術者;経団連初代会長)を顕彰するために昭和45年(1970年)に設けられた賞。その対象は「企業の近代化、製品やサービスの品質向上に寄与する新しい手法やシステムの開発」にある。第一回は当時世界最新鋭製鉄所であった新日鉄の「君津製鉄所情報処理システム」に与えられ、その後も錚々たる技術先進企業が名を連ねている。それまでの歴史の中で石油・石油化学に関する受賞者は僅かに1973年度昭和電工の「エチレンプラントの最適化制御」だけであり、石油精製業界では初の受賞だから大変名誉なことであった。受賞のタイトルは「製油所の総合運転管理システム」だが中身はTCSそのものであった。
本件の事務局機能を務めていたのだが、どうも応募に至る経緯は今ひとつはっきりしない。しかし、選考過程でしばしば委員の一人であった東工大教授のOSM先生に何人かヒアリングを受けていたから、話の出所はOSM先生と昵懇だった、プロジェクトリーダーのMTKさん辺りではなかろうか。候補の一つに選ばれると書式に則った書類の提出を求められる。当然これには技術部門のチェックが入るのだが、何故か従来のものに比べ苦労した記憶が無い。一番大きな理由は、この時期の新規事業への関心の高まりがあり、既にTTEC(東燃テクノロジー)でTCS外販ビジネスが立ち上がっていたことにあるだろう。それに加えて、記述内容がシステム寄りで、プロセス技術や運転技術に関する部分を出来るだけ一般化し、一気に効果へもっていったことが判断を容易にしたのではないかと思っている。その分、私も含めてOSM先生の質問はこの利用部分に集中していた。
どの程度競争者があり、当落の割合がどうだったか、その内容は不明だが、その年の受賞者は東京ガスの「地下埋蔵物(つまりガス配管)マッピング(地図作り)システム」と日立製作所の「生産変動即応生産管理システム」、それにTCSの三件だった。
表彰式は産経ホールで行われ、MTY社長、NKH副社長も出席された(他社は代理出席で、このことが後でチョッと問題になったが・・・)。これは50年史に写真入で残っている。
技術情報を開示する際必ず問われるのは「それは会社にどんな利益をもたらすのか?」と言うことである。もし外部ビジネスを行っていなかったなら、多分石川賞応募は無かったであろう。一方で石川賞受賞が無かったら、外部ビジネスに幾許かのマイナス影響が生じていた違いない。そのくらいこの受賞は新事業展開にはエポックメーキングな出来事であった。

蛇足:現在日科技連のHPを見ても“石川賞”は出てこない。代わりに“QC石川馨賞”が出てくる。これは先の生産システムとは異なり名前の通りQCに関する賞である。この石川馨は石川一郎の長男である。

(次回予定;新会社設立に向けて)

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