2011年12月19日月曜日

決断科学ノート-104(大転換TCSプロジェクト-41;新会社設立に向けて-2)



TTECでのTCSビジネスも順調のようだ。一度情報システム室の分社化を検討してみてくれ」こんな指示がNKH常務から室長のMTKさんにあったのは84年の創立記念日(75日)少し前だった。
実は“情報システム室分社化”はこれが初めてではない。昭和40年代後半(1970年代前半)にも話題になったことがある。当時川崎工場に勤務しており「本社は一体全体何を考えているんだ!?外に打って出る力なんか無いではないか!」と反対の意思表示をしたことがある。この話は当時の副社長(TIさん;情報システム室は副社長が主管)が何かの折に軽い気持ちで呟いたことに発していたようだ(関係者が誘導したのではないかと思っているが真相は不明)。
確かにこの時期、大企業(主として金融関係)の情報システム部門分社化がブームだった頃である(後に“第一次分社化ブーム”と呼ばれるようになる。そしてこの80年代中期が第二次)。コンピユータの技術進歩は社内に今まで存在しなかった大規模な専門家集団を抱えるようになってきており、仕事の内容も処遇も本業と同じようには出来ない環境になってきたことがその動機であった。これなら社内向けに仕事をしていても分社化をする理由がある。石油会社でも販売をやっているところはクレジットカード処理など金融業に近いシステムを抱え、それなりの分社化メリットが考えられる(実際石油関係で最も早い分社化は当時の日本鉱業(後のジャパン・エナジー)で、1972年にセントラル・コンピュータ・システムを立ち上げている)。しかし、石油精製・石油化学専業の東燃グループでは本社におけるシステム関係者の数は5060名で、外部の仕事に割ける余裕はほとんど無く、処遇を別建てにするニーズも切実な問題では無かった。
さらにもっと大きな問題は、他の情報サービス会社と如何に差別化するかと言う点(規模では勝負にならないので質で)に甘さを痛感した。分社化推進論者の考え方は“数理技術(特に線形計画法、LPによる最適化や統計処理)”を売りものにする構想だったが、これほど売り込みの難しいものはない(汗の量;システム開発・運用にかかる労働量;労賃ではなく、技法適用によって経営改善した効果を評価してもらう)。
究極の問題点は別会社化した場合の収支である。情報システム室は早い機会から(形式的な)独立採算制をとってきていた。これは自社システムを導入する前に外部の計算センターを利用していたことから来ていたのであろう。そこでは確実に計算料金の支払いが発生していたからだ。自前のコンピュータを持ってからもこの付け替え制度は生きており、利用部門は経費予算を計上して、利用料金(コンピュータ・リース料金、電力などのユーティリティ費用、人件費、スペース費用などベースに算出)を情報システム室に払うのである。基本的な料金体系は、利益を出すことが目的ではなかったが、赤字にはならないように設定される。分社化後もこのシステムを生かすことが前提で考えていた。これでは“会社ごっこ”にすぎない(ユーザー部門が利用時間を、経費節減のために落としたらたちまち赤字である)。
幸か不幸か副社長の関心は一過性のものであった。数々の分社化問題点指摘に推進論者が構想をさらに詰めることはなかった。
しかし、新事業開発に情熱を傾けるNKH常務、TCSの完成で社内大型プロジェクトが山を越し、戦力に余裕が出来て、外部サービス展開を始めたことなど、今回は当時とはあらゆる面で状況は変わっていた。84年後半、分社化スタディーは情報システム部門ののみならず全社的な経営課題として検討が始まるのである。
(次回予定;“新会社設立に向けて”つづく)

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