11.宿坊 一乗院
前回書いたように高野山を初めて訪ねたのは1962年の4月末、新入社員教育の一環としてである。工場採用の高校卒の人たちも一緒だったから70~80人おり、バス2台で出かけ、全員が泊まれる寺に一泊した。その後も高野山には何度か出かけているが、宿坊に泊まったのはその時だけである。従って今度が丁度半世紀振りと言うことになる。
当時の記憶は全く薄れ、どこに泊まるべきか見当もつかないので、Webで調べるといくらでも出てくる。総本山の金剛峰寺を除けば、ほとんどの寺が宿坊を営んでいる。部屋の大きさ、トイレのある無し、食事をする場所と内容、風呂、暖房、駐車場、俗化の程度、観光スポットとの位置関係、早朝勤行参加可否それに宿泊費(これはどうやら統一価格)などなど、口コミも含めて情報を集め4,5ヶ所に絞込み、和歌山在の息子に問い合わせ、会社厚生施設として登録されている一乗院に決めた。
門前の駐車スペースに車を停め寺務所に向かいかけると、作務衣を着た若いお坊さんが出てきた。私の車を見て「これなら境内にとめられますから、バックで入ってください」と言う。狭い石道をバックして本堂前の石灯籠と植え込みの間に駐車する。向かい側の空き地には軽を含めて3台のクルマが既に置かれていて、こちらを含めて4台で駐車スペースは満車になってしまった。「意外と小規模な宿坊なんだな」が第一印象である。
我々の部屋は道路を見下ろす2階の10畳ほどの部屋、トイレ洗面はあるが風呂は無い。液晶TVが備わっている。2週間前には雪もちらついた寒さがまだ残るが、有難いことに暖房が入り、電気コタツもある。まずまずの旅館と何ら変わらない。違うのは全く女っ気が無いことくらいである。全て若い修行僧が行うのだ。
誰も居ない大浴場(と言っても10人くらいが限度)で今日一日の疲れを癒し、しばらく暖かい部屋で休んでいると食事が始まる。精進料理なので動物質は無いが、豆腐や野菜の天ぷらなどが供されるので、たんぱく質は充分摂取できる。味付けもよく考えられ、煮物・焼き物・酢の物と調理方法も多様で、量も適量。これが三つのお膳に並ぶので見た目も豪華。さらにアルコールはビール、日本酒が求められる。特色のない、食べきれぬほどの料理をこれでもかともってくる旅館の夕食より余ほど好感が持てる。
腹もくち、吉野の山歩きで疲れた身体を横たえてTVを観ていると、間もなく食事の後片付けと布団敷き。10時前には寝付いていた。
朝の勤行は6時から本堂で。前日「本堂は暖房も充分でなく寒いので暖かくしてご参加ください」との注意があった。15分くらい早めに行くと、暗く黒光りのする板の間の最後列の椅子席と座布団を並べた最前列中央部は先客で埋まっている。幸い椅子席に空きを見つけそこに座っていると、どこにこんなに泊り客が居たのかと思うほど、次から次とお勤めの参加者がやってくる。若い外人のカップルも居る。おそらく全部で50人くらい居ただろう。読経が始まり般若経の部分になると唱和する人が大勢居たことや特別祈願のお札が手渡されていたことから、信徒の人たちがかなり参加していたようだ。お勤めは7時前に終わった。
この寺の建物の配置は東西に狭く、南北に長い。我々の部屋は南東の角に近いこじんまりしたブロックに在るが、本堂の入口から真っ直ぐ北へ延びる長い廊下があり、大部分の参加者はそちらへ戻っていった。大勢の宿泊者がいることを今朝まで気付かなかったのはこのためである。後で判ることだが駐車場は西裏手にもう一ヶ所あり、そこは正門境内に比べかなり広く、入口には信徒駐車場とあった。
清清しい気分で部屋へ戻ると、布団が片付けられ、朝食の準備が整えられていた。むろんこれも精進料理である。
高野山での宿坊泊まりは、ここを訪れる機会のある方々に是非お薦めしたい体験であった。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;高野山名所巡り-1)
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