12.高野山名所巡り-1;奥の院
20分程度で参道入口に着く。杉木立に覆われた霊場(墓地)には20万基以上もの墓石や供養等が林立し、2km先の最深奥部には1200年前に高野山を開いた弘法大師の御廟がある。全体が世界遺産だ。格別信心深い人間でなくとも、ここに踏み込んだ途端、俗世と切り離される緊張感を覚える。
弘法大師の霊が参詣人をここまで送り迎えすると言われる一の橋を渡ると、直ぐ右側に新しい石碑がある。高野山開創1200年を記念して司馬遼太郎が書いた“高野山管見(個人の見方) 歴史の舞台 一文明のさまざま”だ。参道に歩みを進めると当にその“さまざま”が目の前に現れてくる。曽我兄弟供養塔、平敦盛墓、武田信玄・勝頼墓、宿敵上杉謙信廟(謙信は法名、天正2年(1574年)ここを訪れたとき贈られたものである)、苔むし、落ち葉に半ば埋もれ、傾き、欠損した塔墓が連なり、故人たちの歴史上のあれこれを思い起させてくれる。
参道は入口から北東の方向に向かって延びており、左側は傾斜が上り、右側は下りで先の方に並走する本街道が木立の間から見え隠れする。雨空もあるが日中でも足下が暗くなるほど杉の大木で覆われている。入口と御廟を結ぶメインの石道は歩き易いが、少しわき道へ入ると落ち葉も積もるにまかせ足下が悪い。恐る恐る踏み入るのだが、それがかえって歴史回帰の舞台廻しに役立っている。
道半ば、戦国時代の武将たちがそこここに佇んでいる。石田三成墓の直ぐ近くには明智光秀墓、仙台の雄伊達政宗の墓は堂々とした五輪塔だ。朝鮮征伐の戦死者を祀る高麗陣敵味方戦死者供養塔などと言うのもある。
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(次回;高野山名所巡り-2)
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