13.高野山名所巡り-2;金剛峰寺ほか
奥の院から小一時間かけて、駐車場や商店の在る中心部へ戻る。この一帯には末寺約4000の真言宗総本山金剛峰寺、空海が開創以来修行の場とした大伽藍・金堂などがある。全て世界遺産である。
金剛峰寺は総本山ではあるが、その名がつくのは明治になってから。それ以前は秀吉が亡き母を弔うために建立した青厳寺であり、それに隣接する興山寺を合併してそのように呼ばれるようになったのである。16世紀末以来何度も火災に遭い、現在の本堂は19世紀半ばに建てられたものである。そこに秀次自害の部屋が在るのは何かおかしいが、あまり深く考えないことにしよう。とにかく大きな寺である。主殿・奥殿・別殿、それに修行僧たちを賄った台所を見るだけでも一見の価値がある。しかし、本当に価値があるのは狩野探幽らによる襖絵と蟠龍庭と呼ばれる雲海を模した石庭だ。雨の平日、拝観客は極めて少ない。静かにそぼ濡れる美しい白い庭を観るのは贅沢の極みといえる。
次に向かったのは根本道場大伽藍と呼ばれているところだ。実際には金堂、十数のお堂の中心にある根本大塔が見所である。大塔は弘法大師の時代(816年)に建立に着手し次の真然の代に完成した高さ50メートルの仏塔である。金堂は各種の年中行事が行われる大講堂。残念ながら二つとも昭和になってから再建されたものである。しかし中に収められている曼荼羅は古いもので、血曼荼羅は平清盛が自らの額を割り、そこから溢れ出た血で描かせたことからこの名が付いたと言う。
当地最後の訪問先徳川家霊台に向かう。金剛峰寺の東側の通りを北に向かって少し歩く。他の観光スポットと離れていることもあり、受付も手持ち無沙汰。階段を上った境内には小母さんの三人連れ以外は誰もいない。ここは三代将軍家光が家康・秀忠の霊を祀るために作ったもので、左右に日光の東照宮を小型にしたような同型の二棟の建屋(家康霊屋、秀忠霊屋)が並んでいる。ただし色はくすんでおり、東照宮のような艶やかさはないが、この方が高野山には相応しい。これは国の重要文化財である。
仏都の歴史探訪はこれで終わり、街中で何か特色のある、とは言っても精進料理でない、食事を摂れるところを探したが、これといった店は見つからなかった。仕方なく何でもありの食堂に入り親子丼を食した。久し振りの動物質はやはり旨かった。
一乗院へ戻り、荷物を引き取り、燃料警告灯の点灯する車で先ず向かったのは、数百メータ先のゼネラルのSSである。自宅からの距離577.1km、給油量は54.8l。4年半乗ってきて最大の給油量である。満タンは60lだから残り僅か5.2lであった。とは言ってもこれだけ使い切れるならば30km位は走れる残量だ(実際空になるまで消費することは出来ないが)。
時刻は2時、雨は上がっている。いよいよ40数年前ダートを走った龍神街道だ。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;龍神へ)
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