歴史街道を行く-吉野・高野・龍神-(14)
14.龍神へ
高野山から南西方向に、和歌山県最高峰の護摩壇山(和歌山県最高峰;1372m)に向かって尾根伝いに走り、紀伊田辺に至る国道371号線は、今では高野龍神スカイラインと名付けられているが、一般国道として整備が終わるのは1975年でそれまでは林道と言ってよかった。そんな林道時代(1967年)課のレクリエーションで龍神温泉一泊旅行の際、南部へバスで戻る皆と別れ、帰路をこの道へ取り高野山・和歌山市経由で有田まで帰ったことがある。今回はその思い出の道を逆走するのだ。
当時の道は、舗装部分は高野山の町とその周辺、それに龍神も集落の中心部に限られていたから、全線未舗装と言ってよかった。龍神の村落の外れに貧相な遮断機が設置されており、そこで幾ばくかの通行料を払って林道に乗り入れる。落石が散らばり、それが半ば埋まって鋭く飛び出しているので、タイヤを傷める恐れがあった。切り立った山際から滝のように水が落ちている道を進むと、その先を蛇が横切る、というような道である。避けきれずに轢いてしまった蛇が、バックミラーの中でのたうち回っていたのが、今でも忘れられない。
奥の院の近くでそのスカイラインに入ると、曲がりくねりだけは昔と変わりないものの、センターラインのある対向2車線の緩いアップダウンの道が続く。「伊豆スカイラインと同じようなものだよ」と息子が言っていたが、その通りだ。雨は上がり空も明るくなってきている。本当は天気ならば、ここは今回唯一のオープン走行区間と考えていたが、大気は冷たくたっぷり水気を含んでいるのでそれは叶わない。
観光以外にほとんど用のない道は極端に空いており、前後は無論、対向車にも滅多にお目にかからない。半世紀近く前には時々民家も見たものだが、それすら現れない。過疎はますます進んでいるようだ。右側は山左側は谷となる道は見通しの悪い左ターンだけが要注意だ。道は箕峠(930m)、白口峰峠(1100m)を過ぎ笹の茶屋峠(1200m)へと1000mの高所を繋いで行く。この辺りは同じ年(1967年)の春、有田川の源流地、清水のお寺に泊まり翌朝そこから護摩壇山に登った時取り付いた地点だ。その時既に茶屋は無かったから、おそらく熊野詣の時代の名残りだろう。
快適な舗装道路は続き15時には“ごまスカイタワー”に着いていた。そこにはそれほど高くはない展望タワーが建っており、下にはお土産物を扱う店とレストランが併設されている。かつてここには無人の廃屋のような山小屋は在ったものの、こんな立派な施設は無かった。展望のきく駐車場に車を停め。かぼちゃチーズケーキとコーヒーでお八つを摂り、サービスしてくれたスタッフに「何処からここへ通ってくるのか?」と問うと「龍神からです」との答え。昔話は全く通じなかった。帰り際に付近の案内図を見ると龍神岳という山が護摩壇山の先にある。聞いたことのない名前なのでお土産品売り場の女の子に問い合わせると、奥の事務所に声をかけ、この施設の責任者を呼び出してくれた。その人の説明によれば、2000年護摩壇山より高い峰ではないかとの話しが出て計測したところ10メートル高いことが分かり2009年公募によりその名が付けられた由。
駐車場にはいつの間にか小型の路線バスが停まっている。乗客はなさそうだが、昔の道とは全く異なるのだ。ここを過ぎると道は下りになり、やがて川と並走していく。3月に川崎工場の同じ職場のOB会の際、このドライブ行の話をしたとき、往時一緒に護摩壇山行きに同行した同僚から「そのルート途上に曼荼羅美術館と言うユニークな美術館があるので是非寄りなさい」とアドヴァイスをうけていた。川に沿う道が平坦になるとそこへの分岐案内が現れ、立派な公共宿泊施設“季楽里龍神”とその広い駐車場の向かいに美術館が在った。これもどうやら村営か何かのようだ。
受付に若い女性がいかにも手持ち無沙汰という風に座っている。料金はタダ。ただし、奥へ向かおうとすると巡回路に従って見るよう注意される。確かに百点を超える曼荼羅の説明や歴史的・地理的違いが分かるように展示されている。奥の広間は曼荼羅では無く、この地に縁のある画家の仏画を特別展示していた。
道の駅“龍神”を過ぎ、“温泉トンネル”を抜けると、もうそこは龍神温泉だ。16時、今日の宿“上御殿”前の駐車場に車を停める。今日の走行距離は52.7km、この車をもっての遠隔地ドライブでは最短だ。こうなったのも上御殿ゆえである。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;上御殿)
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