17.長保寺・紀三井寺

長保寺の創建は長保2年(西暦1000年)だから清少納言、紫式部の時代である。従って、大門(修理中)、本堂、多宝塔は鎌倉時代に再建されたのものだが国宝に指定されている。寛文6年(1666)初代紀州藩主徳川頼宣により菩提寺に定められ、廃藩まで15代の藩主および夫人の一部の霊が祀られている。ただし幕府将軍となった、吉宗(第5代藩主)と家茂(第13代藩主)の墓はここには無く、江戸に廟所がある。
鬱蒼とした木々に覆われた山の斜面に点在する墓は配置・様式・大きさも様々で、統一感は無いが、広さだけはさすがに一般庶民とは違う。とても全部を見て歩くわけには行かず、受付で説明のあった順路に従い、初代や15代など数ヶ所を訪れたが、それだけでも小一時間かかってしまった。出口に指定された廟門を出ると、白壁に沿って花々が咲き誇っていたが、その色の鮮やかさが、山中の苔むす墓々と強烈なコントラストを成し、この寺を印象付けてくれた。
熊野街道へ戻り加茂郷、海南へと進むに従い、交通量も増え、海南からは片道2車線になる。万葉にも詠われた和歌の浦はすっかり寂れてしまったもの、沿線は工業団地や住宅地としては、昔に比べ遥かに発展している。南から和歌山市内入るところで東側に進むと紀三井寺がある。
この寺は宝亀元年(西暦770年)唐僧為光上人によって開かれ、爾来多くの天皇の行幸や紀州藩主の来山があり、名水(三つの井戸が寺の名前の起源)と桜の名所でもある。小高い山の中腹に在るので、下の駐車場にクルマを停め、石段を登るのだが、これは結構堪える。境内から和歌の浦方面をみると、昔に比べ建物が密集してきているのがよくわかる。地方でも都市への集中が進んでいるのだ。
ここからホテルまでは街中走行、4時過ぎホテルに付いた。今日の走行距離は207km。夕食は駅の東側にある息子のマンションを訪れ、見晴らしの良い部屋でワインとパエリヤをご馳走になった。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;根来寺・粉河寺)
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