2012年9月30日日曜日

今月の本棚ー49(2012年9月分)



<今月読んだ本>
1)快楽としての読書(海外編)(丸谷才一);筑摩書房(文庫)
2)ナチスの知識人部隊(クリスティアン・アングラオ);河出書房新社
3)あらゆる小説は模倣である(清水良典);幻冬舎(新書)
4)不良品が多い工場の原因は地盤が9割(松藤展和);幻冬舎
5)F機関(藤原岩一);バジリコ
6)航空事故に学ぶ(小林忍);講談社
7)静かなる大恐慌(柴山桂太);集英社(新書)

<愚評昧説>
1)快楽としての読書(海外編)
本欄の-477月分)で紹介した、同じ著者の(日本編)と同時に発刊され、購入したものである。前回のものは書評集に先立って、書評に関する三篇のエッセイがあり、わが国の書評の歴史や著者の書評論が展開されたが、今回はわが国書評の原点となる英国の書評と作品を材料に、“イギリスの書評に学ぶ”と題して同じように三篇の随筆が置かれている。二編は著者がかつて紹介した本の書評そのものを材料にしたものだが、残る一編は「イギリス書評の芸と風格について」と題するもので、これがなかなか含蓄に富むものであった。
書評に欠かせぬものとして、内容紹介・評価(読むに価するかどうか)・文章の魅力(流暢・優雅・個性)が挙げられているのは同じだが、その後にもっと次元の高い機能として“批評性”が取り上げられている。ここでの批評性は、“対象となる本をきっかけにして見識と趣味を披瀝し(時によっては脱線、放談になる)、読者の知性を刺激して、生きる力を更新すること”だとしている。つまり、読者はこの批評性の内容によって、書評者が信用できるかどうかを判断するのだと言う。
“今月の本棚”はもともと“書評”を目指したものではなく、その書物の読後感およびそれに纏わる私事・私見を紹介することを目的としているので、高邁な書評論に合致するものではないが、少しでもこの批評性を盛り込むべく努力してみたいと思う。
そこでこのエッセイに書かれた蛇足を一つ。実は英国ではあまり単行本が売れない。文筆だけで生計を支えられるものは一握りだと言う。何故か?貸本屋が多いのである!書評がうけるのは、貸本屋が仕入れ商品を決め、借り手(読者)が何を借りればいいか情報を得るためだと言う。普通の読者が本を買うのはペーパーバックになってから。出版社はこの段階で版権を売り、経営を成り立たせている。また、作家が盛んに新聞・雑誌に書評を書くのは、短編小説より書評の方が原稿料が高いからだとも。これは決してジョークではないらしい。
さて自薦の書評は114篇、(日本編)同様、古典から最新(書評時)のベストセラーまで圧倒的に文学作品(小説・詩・作家の伝記・評論)が多いが、フォーサイス(ジャッカルの日;ドゴール大統領暗殺をテーマとするサスペンス)やミステリーなども取り上げられ、このような大衆文学については、上記の“書評要件”を満たす、丁寧で深みのある評を身近に味わうことが出来た。ただ、純文学や古典を読まないから、海外文学に関する新鮮な知識を豊富に得たものの、全体としては今ひつのめり込めなかった(こちらに対象著作に関する興味や常識が無いと言うことが最大の理由で、著者のせいではない)。それもあり海外文学に特別興味のある人には薦めるが、万人向けではない。
全対象が翻訳物であることから、この“翻訳”の評価がかなりあって、この部分は、極めて短いのだが、なかなか面白く読むことができた。

2)ナチスの知識人部隊
リーマンショックや欧州危機をきっかけに市場依存型資本主義にほころびが目立つ。一方で多々問題はあるものの、中国やロシアに代表される国家資本主義が好調である。この国家資本主義の先行例が、最近その関連を取り上げる経済紙の記事などを散見する機会がしばしばある、大恐慌の後に躍進したナチス政権のそれである。 “部隊”と言うタイトルから、軍事との関わりは当然予想したし、その面からの期待もあったが、一方で“知識人”からナチス政権の思想・政治・行政に携わった人々を知ると言う好奇心も働いた。出版社は筑摩書房、“読み物”として確かなノンフィクションを数多く出しているので、気楽に読める本と信じて取り寄せた。
結果は、想定とまるで違っていた。何と、フランス人少壮歴史学者の博士論文(読み物風に手は加えてあるが)であったのだ!研究テーマは「高い教育を受け、社会的にも尊敬される職業(大学人や官僚)に就いていた彼らが、何故あのような(強制収容所)残虐行為に加担するようになったか」である。取り上げられるのは、SS(親衛隊)のSD(保安局)で高位の管理職を務めた80余人、その幼少時からの世相や教育課程、ナチスへの加入、そこでのキャリアーパス、死亡・戦争裁判による処刑あるいは生き残った者のその後までを追跡し分析していく。残念ながら国家資本主義には全く関係なく、“人間は如何に環境におもねながら生きていくのか(知識人とて特別な人間ではない)”を、具体的な個人の言動を追いながら明らかにしていく。「あなたもアウシュビッツの管理人になっていたかもしれませんよ」と。
アウシュビッツと言えばゲシュタポが先ず思い浮かぶが、SD(本来は党の諜報・情報組織としてSSの中から生まれる;英国のMI5をモデル;知識人が多い)とゲシュタポ(国事犯、共産主義者、ユダヤ人に対する執行機関;警察出身者が多い)は本来役割が異なっていた。しかし後年SDが国家保安本部として拡大する時にゲシュタポを一局として取り込むので、ホローコースト(ユダヤ人大量虐殺)に焦点を当てて外から見ると同じように見えてくるのだ。SD発足時の役割は、第一次世界大戦時旧ドイツ領(例えば、チェコのズデーテン地方やラインラント)失地回復のための工作活動にあったので、歴史・文化・民族・言語などの専門家を必要としたし、占領後は軍隊に代わってその地を統治できる法律や行政に精通した実務家が欠かせない。大恐慌の影響もあり、職を求めて博士号を持つような知識人がSSに入隊しSD(一般の親衛隊員は無給だがここは有給だった)に入ってくる。良いポストや昇進のためには厳しいスクリーニング(特にナチスへの忠誠心)を経る必要があり、自ら進んで優れた党員ならんと努力する。また、党の方もそれを試すため占領地統治(強制収容所を含む)の現場に彼らを送り込む。女子供を処刑する場に立ち会わされ、顔を背けようものなら降格は必至(場合によっては処刑)。しかし、多くは何とか切り抜け、戦後の裁判では“組織犯罪”の論理を展開し自己の無罪を主張する(しかし死刑判決もある)。
著者の研究は、ケースとして取り上げた80余人(年齢の幅が絞られている)の背景(生い立ち、キャリア)や言動を同時間軸で分析し、そこに共通点を見出して一般化を試みるところにあったようだが、現実は個々に大きく異なり、それが成功したとは思えない。数少ない共通性は「第一次世界大戦後のドイツ人は、自国が周辺の国にすり潰され、消滅する恐怖感を持っていた」「人間はその環境に合わせて、どんな行動でもする」と言う点である。これが無事博士論文としてパスしたかどうかは定かではない。
軍事面以外のナチス・ドイツには今までそれほど触れたことが無かったので、党とそこでの個人の在り方を知る上で新鮮なものであった。しかし「とにかく疲れた」と言うのが率直な読後感で、人に“是非”と薦められるものではない。

3)あらゆる小説は模倣である
面白いタイトルなので、盗作・パクリ満載の軽い読み物と思い購入した(つまりミーハー的興味から)。書き出しは予想通り流行作家、村上春樹のデビュー作「風の音を聴け」の一節と極めてその表現法が類似するアメリカ作家、カート・ヴォネガットの文章が併記される。これは盗作と言うより、今までの日本の小説には無かった新しい小説のスタイルとして紹介され、ここから村上スタイルが自身の特徴となり、さらに若い作家に普及していく過程が語られる。作品は群像新人賞を獲得するのだが、その選考委員であった丸谷才一は選評に「村上春樹さんは・・・・カート・ヴォネガットとか、ブローティンガンとか、そのへんの作風を非常に熱心に学んでいる・・・・」と書いており、それを承知の上で推薦している。つまり否定的にはとらえていないのだ。
以下、漱石の「我輩は猫である」(ドイツの作家ETA.ホフマンの「牡猫ムルの人生観」)、横光利一(フランス作家、ポール・モーラン;堀口大学訳)、吉田健一など有名な作家が如何に外国文学作品に影響されたかを具体的に示し、次いで森鴎外、徳富蘆花、太宰治、井伏鱒二などが郷土史家や無名の趣味人あるいは研究者の書いたものを引用(と言うよりも流用)した“盗作疑惑”がどのように処理されていったかを、著者の見方を加えながら解説し、さらには著作権問題、創作のオリジナリティとは何かを追及していく。
最後に、物書きを志すなら、完全な盗用や外国作品の直訳はまずいが、沢山本を読み、自分の気に入ったものを上手く援用することがコツであるとし、その具体的な習作指導が書かれている。
つまりこの本は覗き趣味の際物ではなく、立派な小説論・作家論であった。

4)不良品が多い工場の原因は地盤が9
この本は自ら求めて購入した本ではない。水泳仲間の一人が役員を務める会社の社長の自費出版作品である(東日本大震災貢献企業として川崎市長より表彰されたことが契機)。内容よりは“自費出版”に興味があって読んでみたが、中身も、世の中にこんなビジネスがあること知っただけでも、面白かった。
著者は建築専攻のエンジニア、日本の大学を出た後さらに米国の大学院に進み、今のビジネスつながる仕事はオーストラリアでそのチャンスをつかんでいる。そのビジネスとは不同(不等)沈下した床を、硬化ウレタン樹脂の注入で1ミリ単位まで平坦に戻す技術である。適用対象はベタ基礎(地面に密着した)の広床の建物(工場、ショッピングセンター、体育館など)で、個人住宅は少ないようだ。
私は機械工学を学んだ。そこで教えられたことの一つに機械の加工・組立における水平の重要性である。特に工作機械の据付・操作や精密機械の組立は、基礎・工作基盤の水平度に著しく影響される。だから“床が傾けば事業も傾く”と言う意のタイトルは理解できる。
わが国は平坦で地盤が確りした土地は少ない。山を削り、田圃をつぶし、海を埋め立てて工場や商業施設の用地を造成する。そこでは確実に不同沈下が起こるのだ。これに加えて地震国、東日本大震災の後はこのような異変が被災地以外にもあちこちで生じている。沈下した床の修正方法はいく通りかあるようだが、このウレタン注入法は、工期・廃棄物処理・振動などで他工法に優れ、現在多忙を極めている。
内容は、地盤沈下の事業への影響を具体的に事例紹介し、種々の修正対策を比較し、最後にウレタン注入方式の特徴や方法を説明する、典型的な事業宣伝本である。
もし、この本を一般読者向けに書くのならば、オーストラリアに渡りこの技術に触れることになるまでの過程や、わが国でビジネスを成功させるまでの、苦労話や失敗談にページを割くべきではなかったのか?
実は、昨年秋この幻冬舎(の子会社)が行った自費出版セミナーに参加した。そこで感じたことは、かなり販売に至るまで丁寧な指導を受けられそうだと言うことであった。しかし、この本を読んで、構成、章のタイトル、文章などは良く手が加えられているものの、上記のような内容を一般向けにするところまで編集者の助言・支援が及んでいないところに自費出版の限界を感じた。

5)F機関
この前の戦争は、第二次世界大戦あるいは太平洋戦争といわれることが一般的だが、あの戦争が始まったとき、わが国では大東亜戦争と称していた。そしてその戦争目的は“大東亜共栄圏”の確立、特に英・仏・蘭の植民地を解放するための聖戦だと国民に説明されていた。実態は、大恐慌を乗り切るため植民地を持つ各国がブロック(保護主義)経済圏を形成し、それが叶わぬ日・独・伊の新興工業国家が、突破口を開くべく始めた戦いで、建前の“共栄圏”にはほど遠いものだった。と言うのがこの本を読むまでの私の大東亜戦争観であった。しかし、先月の“海幹校戦略研究”を紹介してくれた友人に薦められこの本を読んで、本気でこの“共栄圏”作りに奔走した陸軍軍人がいたことを知った。
当時“機関”と言えば特務機関のこと、正面から武器を持って戦うのではなく、諜報・宣撫工作を専らとする軍事組織である。Fはこの機関の長であった藤原岩市少佐(最終は中佐)の頭文字とFreedomFriendshipから来ており、同志となるインド人によって名付けられたものである。この本はその藤原が昭和226月シンガポールの英獄から釈放され、帰国した直後に書いた回想録である。しかし、当時の世相、出版事情によって長く私蔵され、世に出たのは昭和4111月(原書房)、その後他社から題名を変えて再出版されるが絶版となり、今年7月復刻したものである。昭和58年には英訳もされ、英・米・印・マレーシア・シンガポールなどの研究者・読者から高い評価を得ている。その最大の理由は、この工作が現地の人々を反植民地活動に駆り立てる大きな力となったことにある(特にインド独立)。
藤原は陸士、陸大と進んだエリート。昭和14年参謀本部第8課(諜報・情報)で広報・宣伝担当参謀、開戦時(昭和16年)33歳、少佐に昇進したばかりである。開戦に先立つ6月、大東亜戦争勃発に備え、マレー・北スマトラ工作のためバンコックに派遣される。部下は中野学校出の下級将校・下士官と外国語(英語、マレー語)の専門家、現地事情に詳しいスタッフ、合わせて11名である。当時のタイは中立国、各国のスパイが暗躍している。
工作の目的は英領マレー半島上陸予定の日本軍の進撃支援。英軍の主力はインド兵である。バンコックでの反英インド独立組織との接触、ハリマオ(虎)と呼ばれるマレーの犯罪組織を率いる日系人の若者の取り込みなどが功を奏し、投降インド兵や反英マレー人が続々と彼の下に集まってくる。中でもインド兵は捕虜ではなく、反英活動家の下で、独立運動に共鳴する“インド国民軍”として組織化される。圧巻はシンガポール陥落で45千名がこれに加わり、やがてビルマからインドへ侵攻を目論むインパール作戦に加わることになる。
反英独立を目指すマレー人の活動はいささか複雑である。実体経済を華僑・印僑に握られているため、それらに対する反感もある。藤原は根気良くこれを大義のために抑えるよう説得していく。ここではハリマオの果たす役割も大きく、犯罪者が義賊に変じていく。
インドネシア独立の火は北スマトラのアチェ族が点すことになるが、対岸マレーに亡命していた独立派の若者が藤原の活躍を聞きつけて協力を求めてくる。これが反オランダ運動としてやがて結実していく。
問題は華僑の扱いである。この戦争自体が日中間の戦争が本になっているだけに、華僑は非協力的だし、日本軍の到来を聞くと皆消えうせてしまう。しかしそれでは現地の経済活動が上手く機能しない。そこで藤原は華僑の保護にあたる(青天白日旗を掲げることすら許す)。これは日本軍からもかなり抵抗があるのだが、軍司令官に直訴することまでして、華僑からも信頼されるようになっていく。唯一の痛恨事は、シンガポール占領後に起こった華僑虐殺だが、これを藤原が知るのは後のことである。
東南アジアの制圧が終わると、藤原はこの任を解かれ第15軍(ビルマ方面軍)の参謀となるが、ここではもうインド国民軍と直接接触する機会も無くなり、インパール作戦の不首尾に悶々と過ごすことになる。
敗戦。国内に在った藤原は国民軍を反国家活動として裁くインド軍事法廷(ニューデリー)に証人として呼び出される。彼の証言が重要な裏付けになると睨んでの英国の策謀である。しかし、「国民軍はインド独立を真に願っていた」と言う彼の発言はインド大衆の熱狂的な支持を得て、むしろ独立運動の高まりにつながっていく。
次いで戦犯としてシンガポール・チャンギーの獄につながれ、部下が犯したと言われる犯罪で、陥落時英軍司令官、パーシバル将軍の通訳であったワイルド少佐(捕虜→終戦後大佐;日本軍将兵に対する復讐の鬼となって活躍した)の執拗な取調べを受けることになるが、これがでっち上げであることを証明し無罪を勝ち取る。(シンガポール陥落後、フォードの倉庫で行われた山下・パーシバル会談、山下将軍が「YesNoか?」と迫る有名な写真がある。藤原・ワイルド伴にこの写真に登場する)
このあと更にクアラルンプールに送られるが、ここでは犯罪の追及と言うよりは、F機関に関する調査が目的であったことがその過程で分ってくる。取調官(英軍大佐)は、1942年来英国当局がF機関の活動を注視、デリーに大規模な対抗機関を設置していたことを明かし、尋ねる「貴官はこの地に特に詳しいわけでもない。英語も現地語も話せない(支那語専攻)。メンバーも貧弱である。しかし、貴官の工作は“グローリアス・サクセス(大成功)”であった。何ゆえか?」それに対する藤原の答えは(少し長くなるが)「それは、民族の相違と敵味方を超えた純粋な人間愛と誠意、その実践躬行ではなかったかと思う。・・・・英国も和蘭も、この植民地域の産業の開発や・・・・、目を見張るような実績を上げている。しかし・・・・ごく一部の特権階級を除く現地住民に対しては、寧ろ、故意に無知と貧困のまま放置する政策を用い、圧迫と搾取を容易にしている疑いさえある。ましてや民族本然の自由と独立への悲願に対しては、一片の理解もなく、寧ろこれを抑制し、骨抜きにする圧政が採られている。・・・・。私は、私の部下とともに、身をもって、この弱点を衝き、敵味方、民族の相違を超えた愛情と誠意を、硝煙の中で、彼らに実践感得させる以外に、途はないと誓い合った。・・・。われわれが、慈母の愛を以って差し出した乳房に、愛に飢えた現住民、赤ん坊が一気にしがみついたのだ。これが成功の原因だ」これに対する大佐のコメントは「解った。貴官に敬意を表する。自分はマレイ、印度等に二十数年勤務してきた。しかし、現地人に対して貴官のような愛情を持つことがついにできなかった」としんみり語る。藤原はワイルドとは違うもう一人の英国人(騎士)を発見することになる。
藤原は戦後自衛隊に奉職、小平(調査)学校長、師団長を歴任、陸将で退役する。印度の友人たちが“ジェネラル”と呼ぶゆえんである。
大東亜戦争がこのような目的と人々によって進められていたなら、たとえ敗れても、今のような鬱屈した戦争観を日本人が持つことは無かったであろう。

6)航空事故に学ぶ
航空事故に関する書物は随分読んできた。航空機運用の世界は、石油・化学プラントの運転・管理と共通する点が多く、学ぶ点が多々あるからだ。装置の安全設計、プラント運転管理(操縦、管制)、メンテナンス(整備)そして安全性と経済性のトレードオフに関する経営問題などがそれらだ。実際化学工学会のプラントオペレーション研究会のメンバーとして、JALのパイロット(教官機長)との交流会や羽田にある乗員訓練センターのジャンボ機のシミュレータの操縦も体験した。“航空事故に学ぶ”は工場での20年間にわたる毎日の業務に関わるテーマだったと言っていい。
今でも書架を埋めるそれらの本は、戦後初の定期航空便事故、もく星号の三原山墜落を扱った松本清張の「風の息」、ANAボーイング727の東京湾墜落を独自の立場から解明した山名正夫東大名誉教授の「最後の30秒」、ジャーナリストで安全問題を追及する柳田邦男の「マッハの恐怖」「死角 巨大事故の現場」、外国人の書いた「ジェット機はなぜ落ちるか」「空に安全は無い」「機長の決断」などなど。そしてこれらの集大成とも言える東大名誉教授加藤寛一郎の「墜落」全10巻がある。これらの著者は航空学者、パイロット、ジャーナリストで何故か現場の航空技術者の書いたものは無い。
現場を離れてからは関心も薄まり、事故もテロ絡みを除けば滅多に起きなくなったこともあり、自然とこのジャンルから遠ざかっていた。本書の広告を見たとき、この本がJALの役員まで務めた技術者が書いたものであり、“危険学”と言う視点から他業種との関係を取り上げていることを知り、久し振りに“航空事故”を読むことになった。
先ず事例として、世界初の商用ジェット機、コメットが取り上げられ、スペースシャトル・チャレンジャー、自動操縦装置が絡む中華航空エアバスまで半世紀にわたる航空事故が解説される。やはり最も力の入っているのは御巣鷹山に墜落したJAL123便の事故である。入社以来機体構造技術の主に主翼を担当していたのだが、この時は研修生としてボーイング社に派遣され機体強度計算技術部門に所属していた。つまり胴体部分についても関係するようになっていたのだ。断片的に入ってくる日本からの情報、事故現場へ飛ぶ関係者たち、ボーイング社内の会議(著者は出席できない)、「どうして2列打つべきリベットが1列だったのか」、それを行った補修担当者のその後も含めて、当時の緊迫した空気が再現される。
話は技術分野に限らず、関係法規や規制とその緩和、事故時のマスコミ報道やそれへの関係者の対応方法にもおよび、更には航空会社の経営にも立ち入っていく。法規は遵守すべきだが、それで事足りるとの考えに陥り易いこと、あまりにもマニュアル化が進み思考力が低下する恐れがあることなどを指摘している。またマスコミに関しては事故原因究明・再発防止策よりも“責任者追及”が急で、担当者の思考力を著しく阻害することを批判している。起こって当たり前の故障、法的に報告義務の無いことなども“隠した”と言って非難されるのも同種である。例えば、フェデックスの貨物機が成田空港着陸の際、強風にあおられ墜落炎上した事故で、発生から5時間、まだ事故状況把握に努めている最中に、あるTV局が「いまだ謝罪はない」と報じたことなどメディアの在り方を痛烈に批判している。これなどプラントの事故の場合と同じで、強く共感をおぼえた。
本書は3.11前から書かれていたようで、福島第一原発事故を具体的に取り上げてはいないが、“危険学”交流では原発の訪問調査が行われている。また、鉄道事故(西宮)や医療手術におけるミスなどなども、その事象だけでなく、法規やマニュアルの有無・内容まで立ち入って、分かり易く比較検討している。共通するのは、最新技術よりも、本来業務の裾野や業務間の隙間・つなぎ目に“危険”の芽があるとする結論で、説得力のあるものとなっている。
技術者だけでなく、一般利用者、マスコミ人に是非読んでもらいたい本である。

7)静かなる大恐慌
日本経済のバブルが弾けた1990年代初め経営の責任を負う立場になった。いつ景気が回復するかは最大関心事だった。大方の予想は長くて10年。そして“失われた10年”は今や“20年”におよんでいる。この間BRICS、中でも中国の経済成長は目覚しいものがあるが、世界はリーマンショックからの回復を果たせず、長期景気低迷が続いている。景気回復はあるのか?著者の答えは「従来の循環型回復はない」である。
著者の見立ては、本来ならばリーマンショックで大恐慌になってもおかしくなかったが、1929年と違い、情報伝播も政府の対応も往時とは違い、防止策が素早く世界規模で講じられて何とか破綻を食い止めている、と言うものである。換言すれば、巨額の財政出動で金融崩壊を救い、無理やり需要を底上げしている状態であり、実際は恐慌状態と変わらないと。その財政もいずこの国をとっても悪化の一途を辿っており、改善の道を容易に見つけることは出来ない。つまりこの静かな恐慌状態はまだまだ続くと説く。そして、その最大の原因は“グローバル化(底辺への競争;安い労働力を求めて)”にあるとし、「グローバル化を是とする考え方がわが国の大勢だが、それで良いのか?」を問う。これが本書の主題である
グローバル化の反作用として欧州起点で二度の世界大戦が起こっている。グローバル経済は重商主義と同じで、企業を潤すが国民を豊かにはしない。グローバル化は必然的に大きな政府に帰結する(EUの例)。グローバル化はやがて保護主義に行き着く、などグローバル化批判を歴史や経済学説を踏まえて展開していく。(だからと言ってTPP反対派の短絡思考ではない)
その学説の一つとして、ハーバード大学の経済学者ダニ・ロドリックの、自由貿易と国内政治の対立を3の要素(グローバル化、国家主権、民主政治;このうち論理的に二つしか選択できない)で説明する仮説を取り上げている。
①「グローバル化」と「国家主権」を選択し、「民主政治」を犠牲にする;著者はわが国のグローバル化支持者はこの路線で考えていると見ている。経済が好調のときのみ国民の支持が得られる。
②「グローバル化」と「民主政治」を選択し、「国家主権」を犠牲にする;EUが真の連邦化を実現すればこの路線あるいは世界連邦の実現。わが国左派の主張に多い。
③「国家主権」と「民主政治」を選択し、「グローバル化」を犠牲にする;プレトンウッズ体制はこれであった。著者もここに活路があると見ているようだ。
グローバル化は一直線に進むものではなくある時点で反転するという見方を採る。これは悪くすると(自国・域内)保護主義に走る。これを避けるために如何にすべきか?市場資本主義(日・米・欧)が限界に来ているのは確か、国家資本主義(ロシア・中国)もこれから問題が噴出してくる。著者が提言するのは“公正”や“安定”、また“人間関係”、“時間”も資本財と見る“新資本主義(あるいは国民資本主義)”なのだが、これが今一つ腑に落ちない。
友人のブログで紹介されていて、興味を持ち取り寄せた。著者は少壮の経済学者(1974年生まれ、滋賀大学准教授)でケインズ経済学の信奉者と見受ける。エコノミストではないので景気動向よりは経済思想の一つとして読むべき本なのであろう。アダム・スミスやケインズなど有名経済学者の諸説を援用して論理を展開しているが、巷間知られていない言動も紹介され、再認識するところが多々あった。

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