TIGER-Ⅰ(経営者情報システム)がカットオーバーした1982年6月のある朝、突如全国紙が第一面で報ずる大ニュースが伝えられる。FBIのオトリ捜査によって日立と三菱電機の社員が米国で逮捕されたのである。容疑はIBMメインフレームの最新技術に関する情報不正取得である。
IBMのメインフレーム(MF)が業界で独走態勢を固めることになったのは、60年代に発表した360を嚆矢とする。このシステムはその後半導体技術の進歩などを取り込みながら370、303x、308xと発展していった。この事件が起こったとき東燃が保有していたのは1978年に導入した3031を何度か増強したものだった。このシリーズの最上機種は3033であったが、IBMは次世代システムとして3081を1981年10月に発表していたので、同じMFを使う予定の川崎地区(石油精製・石油化学・キグナス石油精製)のプラント運転制御を一台の汎用機でカバーするTCS用には3081が最有力候補になっていた。3081は31ビット構成(それまで23ビット)、CPUの冷却は水冷、O/Sの一部はファームウェア(ハードとソフトのハイブリッド)化されており、抜群の高性能を誇っていたが、特にファームウェアの採用は互換機対策と言われていた。つまりハードウェア化することによりO/S解読を容易に出来ないようにしたものであった。
当時のIBM互換機メーカーは事実上2グループ、日立(NSA;ナショナルセミコンダクター)と富士通(アムダール)である。両社とも3081(特に最新版のK型)のO/S情報を渇望していたことは想像に難くない。では何故日立は挙げられ富士通は逃れえたのか?MF互換機の無い三菱は何故捕まったのだろう?(オトリ取引の場に1名居たことは確かだが、これは現在でもはっきりしない)
オトリ捜査の顛末はおよそ次のようなことである。日立は従来から互換機技術を提携先のNSAから得ており、Kについても既にかなり情報を持っていた。そこへ元IBMの従業員が経営する調査会社からK資料の売込みがあった。大方の資料は入手しているものの、欠けているものもあったため、「大部分は持っているが、一部欲しいものがあるから、それだけ売ってくれ」と応える。売り込み先は丸ごと大金で買ってくれると思ったが見込み違いだった。そこでこの元IBM社員は旧知のIBMトップにこの話を漏らす。常々互換機ビジネスを苦々しく思っていたIBMはこれをFBIに相談、FBIのオトリ捜査官が調査会社員に化け、取引現場(シリコーンバレー)に現れた日立と三菱の社員が“御用”となった次第である。
IBMの互換機ビジネス阻止作戦の最大の標的は富士通(とその傘下にあるアムダール)だったことはその後の事件の展開から間違いない。しかし、それだけに富士通の側も対応策を早くから講じており、尻尾を捕まれなかったようだ。この事件の後年末からIBM・富士通間で秘密交渉が重ねられ、1983年7月には中立の監視機関設立の協定が結ばれる。
このオトリ捜査のわが国での受け取り方はチョッと面白い。世論は「日立の不正行為はけしからん!」よりは「オトリ捜査など嫌らしい手を使いやがって」が優位で、それがIBM批判につながっていくのである。この事件は米国IBMが起したもので、日本IBMには寝耳に水だったのだが、とばっちりで悪役の一味にされてしまう。
次期システム検討が非公式に始まり出した初秋、芙蓉グループ(富士銀行をメインバンクとする;日立も東燃もこのグループのメンバー)の社長会か何かの後だった思うが、社長が「オトリ捜査はどうも気に入らん」と言っている、と言う話が社長室筋から流れ出してきた。日頃社長に接することのある先輩の一人は「明治の人だからなー」と笑いながらその話をしてくれた。しかし、この一言は情報システムのメンバーには決して軽いものではなかった。国産機にかすかな追い風が吹き出していたのである。
(次回;スパイ事件後日談)
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