TIGER-Ⅰ(経営者情報システム)、TIGER-Ⅱ(本社事務処理システム)に取組んでいる1981年から82年頃のメインフレーム(MFと略す)メーカーの日本語処理システムはどんな状態にあったのだろうか?これが次世代MF選択の鍵になっただけに、その辺りを少し思い出してみたい。
それまでの電子計算機はわが国においては当に“計算”機械に過ぎなかった。と言うのも、アルファベットを常用語とする国々においては、26文字と数字10文字それに特殊記号(○、プラス・マイナス、?、!、$マークなど)でせいぜい100ほどの文字を扱えれば、言語情報を扱えた(入出力できた)。また日本語でもカタカナやひらがなはこの延長線で処理できた。ここまでは文字の母(鋳)型を作っておけば、出力(印刷)も問題無い。しかし仮名だけでは極めて“情報”機械としての実用性は低く、固有名詞くらいしか使えなかった。わが国の表記言語が意味を持つのは、漢字と仮名の組み合わせが出来て初めて実現するのだ。特に漢字は少なくとも数千字は必要で、JISコード(数字)化だけは出来ていたものの、これを扱うための入出力装置(特に出力装置)の開発は一筋縄ではいかなかった(入力の場合;ローマ字を一旦平仮名にして更にそれに相当する候補漢字を列記する仕組みとそのための記憶容量、出力の場合;漢字を小さな点で作る機構)。世界でこんな機械を必要とするのは漢字文化の国以外は無いのだから、世界を市場とするIBMには力が入らないのは当然である。中国は共産国、販売制限が有ったし、市場も小さいので、実質的には日本だけがこの特殊なシステムを求めているだけなのだ。
1981年私が本社に赴任した時、IBMのMFに繋がっていた日本語処理システムは、漢字ラインプリンター(ラインプリンター;タイプライターのように1字ずつ印刷するのではなく、一行を一度に印刷する機械)だけだった。これはドットインパクト・プリンター形式のもので、細い針金を正方形に束ね、その一部を字形に突き出して漢字を作り、印刷すると伴に、カーボンを挟んだ二枚目、三枚目に複写するもの。兼松エレクトロニクスが提供していたので、通称KEL(Kanematsu
Electronics LTD)と呼ばれていた。出力のために該当する漢字コードを数字で予め入力する形式だから、決められたフォーマット(例えば表形式の縦横項目)しか出力できなかった。
このIBMの弱点を攻め、何とかコンピュータ産業における主導権を握るべく頑張っていたのが国産各社である。中でも東芝と富士通が対照的な進み方をしていた。東芝はMFが弱かったこともあり、先に紹介した(本ノート-109参照)ワープロ専用機に向かったのに対し、富士通はMFのO/Sの上にJEF(Japanese processing Extended Feature)と言う、第二のO/Sを被せる画期的な日本語処理システムとこれと連動する日本語レーザー・ラインプリンターを発表していた。その時期は1979年から80年にかけてであり、あとで振り返ると、これが日本語システムの本格的な幕開けだったのだ。
TIGER-Ⅱでは何としても日本語を扱いたい。合理化推進の中からの要求に応えるべく、この分野では遅れているIBM以外のシステムも調べてみよう。こんな声が出てきたのは82年の後半であった。東芝のワープロ、JW-10は優れものだったが、MFのACOSはIBMとの互換性が弱く始めから対象外だった。IBMの対抗馬はなんと言っても富士通。この一騎打ちかと思っていたが、コンピュータ技術グループのスタッフが「日立にも良いシステムがあります」と言ってきた。確かに、2月に発表された、日本語化や図形処理を行えるO/S、VOS3/SPは同社のMシリーズと組み合わされ、完全IBM互換を売り物にしていた。それに日立は同じ芙蓉グループの会社である。こうして富士通、日立を極秘裏に調べるプロジェクト、Operation-X、がスタートする。
(次回;IBMスパイ事件)
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