1972年秋から始まった川崎工場の石油精製・石油化学一体化経営改革におけるマスタープラン作りには二つの汎用機メーカー、東芝と富士通が参加することになるのだが、この段階ではまだ機種やベンダーを決めるわけではなかった。むしろ、ITに関する先端技術の研究開発に何を期待できるかを探ることが主目的だった(だからパートナーを絞り、機密契約を結んでこのプロジェクトを進めたのだ)。当時期待した先端技術は、今ならPCとそのネットワーク利用環境、あるいは携帯電話で実現されているようなことなのだが、当時は両社にとっては、その時点で保有するメインフレーム(MF)が出発点になる。そのフラグシップは、東芝(T)がTOSBAC-5600、富士通(F)がFACOM-230であった。
ユーザーとしてアプリケーションの目玉の一つは、精製と化学を一体化した工場プロセスモデルとその最適点を探る手法である。おのおののモデルと最適化手法について、石油化学は既にSPC用プロコン、T-4000の上で動くシステムを、石油精製側はIBM・MFを使った線形モデルを実用に供していた。また三菱電機製のMELCOM-350を使ったFCC(重質油分解装置)の非線形モデルの実用化を和歌山工場で始めていた。
室長であるISDさんの構想は、この三つのモデルに手を加えて一体化モデルにして、市況変化に応じた最適生産計画を策定し、石油化学・精製工場全体の最適操業を図ろうというものだった。一つの線形モデルだけでも開発に膨大な時間と人手を要し、実用化へのチューニングに更に試行錯誤を重ね、やっと得られた解の因果関係解明にベテランが頭を絞る世界である。その三つ一体化するなどとても実現不可能と言うのが大方の見方だった。
東芝がパートナーに選ばれた最大の理由は、T-4000の元がGEの機械で、そこで石化非線形モデルが動いており、T-5600もGE-600を国産化したものであったからだ。しかしプロコンと汎用機は別物、5600では全くそのモデルを動かすことは出来なかった。線形モデル(LP)を動かせるアルゴリズムは一応備えていたが、東燃のデータをそのまま読める方式ではなく、結局これも動かすことは出来なかった。
それに対して、FACOMはやや手間取ったものの、実際に使っていた製油所モデルを動かし、解が出るところまで何とかたどり着くことが出来た。ここで富士通とF-230の力を実感した。これ以外にも、研究所訪問では開発段階のプラズマディスプレイなどを見せられ、自社研究開発力の高さを痛感させられ、「国産機もなかなかやるもんだな」と認識を新たらにさせられた。
これは後日分ることだが、T-5600は結局全部で40セット弱しか売れず生産を中止、これ以降東芝は単独でMFを生産することを止めている(その後はNECとの共同開発)。それにひきかえ富士通はF-230を発展させMF市場でIBMに次ぐ地位を確実にしていった。あの時垣間見た両社の差は、その前兆であったと言える。
この時の調査活動で印象に残るのはその技術力だけでなく、担当営業の誠実で精力的な対応である。ITHさんと言う若手の石油・石油化学担当のセールスであったが、こちらの、今から思うと酷なお願いを、技術・研究・開発部門を説得して実現してくれた。二社のうちから一社を選ぶなら富士通にしよう、そんな気になっていた矢先に第一次石油危機が起こり、一体化構想は一旦凍結と決まり、富士通との接触は途絶えることになる。
しかし、本欄の主題であるMF取替えの話に、1982年私が関与するようになった時、先ず浮かんだのは、あの時の富士通とITHさんであった。
(次回;IBM・STI参加)
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