今月の本棚-52(2012年12月分)
<今月読んだ本>
1)暴力の教義(ボストン・テラン);新潮社(文庫)
2)Private Empire ExxonMobil and
American Power(Steve Coll);Penguin Press
3)イタリア人と日本人、どちらがバカ?(ファブリッツオ・グラッセッリ);文芸春秋社(新書)
4)暁の珊瑚海(森史朗);文芸春秋社(文庫)
5)緒方竹虎とCIA(吉田則昭);平凡社(新書)
6)工学部ヒラノ助教授の敗戦(今野浩);青土社
<愚評昧説>
1)暴力の教義
ソンブレロをかぶり、弾帯をタスキ掛けにした男たちが丘を駆け上っていく。こんな表紙に惹かれて手に取った。どうやらメキシコ革命が舞台のサスペンス物らしい。珍しい題材だ。未知の世界(メキシコ革命)への好奇心、好きなジャンルの軍事ミステリーを期待して本書を求めた。
冒頭に短く、米墨国境の町で売春婦の母に産み落とさた(リンカーン大統領が暗殺された日)、不幸な出自の主人公(の一人)の生い立ちが語られる。次のシーンは、テキサス南部の乾いた荒野で彼が起す殺人事件、ただ金品を奪うためだけに、メキシコへトラックで向かう二人の米国人を毒殺する。この手(西部劇調)のサスペンスに“毒殺”は似合わない。
しかし、次の場面で第二の主人公が登場すると、この小説の主題がメキシコ革命や軍事活劇ではなく、二人の男の心理劇であることが仄かに見えてくる。
第二の主人公も、第一の人物同様、辛い幼少・少年時代を過ごしている。母はエルパソに出稼ぎに来ていたメキシコ人、この地で同じメキシコ人の男と結婚し、彼が生まれる(グラント大統領が暗殺された日)。しかし、男は妻と幼子を残して失踪、母は気苦労がもとで亡くなる。孤児となった彼は鉄道会社の下働きとして糊口を凌ぎ、精励刻苦して鉄道公安官になる。やがてその力量が認められ、合衆国捜査局(BOI;Bureau of
Investigation;後のFBI)捜査官としてエルパソ支局に採用される。
男が奪ったトラックの積荷は武器弾薬だった。発送元はエルパソの会社。男は発送者を強請ってひと稼ぎすることを目論むが、別件で会社を見張っていた捜査官に不審者と疑われ、拘束されて積荷リストがBOIに渡る。しかし、男はこの町の悪徳判事とつながっており、条件付で保釈されてしまう。条件とは、捜査官と同道してこの荷物の受取人(革命軍の一派と予想される)を突き止め、無事に捜査官を帰国させることである。
エルパソから武器隠蔽場所へ、そこから国境を越え、革命軍根拠地へ、さらに戦場となる石油地帯(政府と結託した米資本のスタンダードオイルが支配)への進軍、二人の前に難事が次々と現れる。反目し、協力しそれらを乗り越えていくシーンは息をもつかせぬ暴力・謀略場面の連続だが、それ以上に読む者の興味をかき立てるのは二人の心の内である。
武器を最終引取り人(これも予想外の人物・組織)に渡し、捜査官を生贄に残し、男は一足先に危険(二人とも始末される)からの脱出を図るのだが・・・。
実は、二人は父子だったのだ!子供(そして読み手)はそれが母と自分を捨てた、無慈悲な男であることを逮捕の時点で知っている。しかし、父はそれを知らない。ここがこの小説の肝である。
恩讐を超えた逃避行はさらに続く。
ここ数年の間で読んだサスペンス小説(随分読んでいるが)の中でも一,二と評価できる、奥の深い読み物である。解説によれば、作者はイタリア系米国人(だから英語が少し難解らしい)の覆面作家、2002年「神は銃弾」でわが国でも賞(このミステリーがすごい!;海外版)をとっているようだ。読んでみたいと思う。
2)Private Empire ExxonMobil and
American Power
1993年の12月初旬、私は東燃社長のNKHさんに呼ばれ、翌年3月当時役員を務めていた情報サービス会社、東燃システムプラザ(SPIN)の次期社長に任ずる予定であることを告げられた。しかし、年が明けるとそのNKHさんが東燃社長を解任されることを報じる記事が全国紙に一斉に載った。55歳の私とは4歳違い、まだこれからと言う時にである。この衝撃的な事件は大株主であるExxon、Mobil(当時は別々の企業、それぞれが25%保有)との経営方針を巡る確執(特に配当と新規事業)が原因と伝えられた。
SPIN社長就任直後の1994年5月、私に米国出張の機会があり、1983年短期留学したカリフォルニア大学バークレー校に、当時の企業向けMBAコース担任だった教授を訪問、昼食をともにしてこの解任劇を語った。話し終わって教授から出た言葉は「ExxonとかMobilはEnterprise(企業)ではなくEmpire(帝国)だから、組織運営はManagement(経営)よりDominance(支配)と言ったほうが適切だ」と言う忘れられない一言であった。それから18年、その“Empire”を冠した本書が出版された。紹介してくれたのは、本棚-47(2012年7月分)で取り上げた、The Quest同様、同期入社のFJMさんである。彼はこれをFinancial Times(FT;London)の書評で知ったようだが、実はバークレーに持参した解任記事も同じFTからのものだった。何か因縁を感じざるを得ない。
この本は2部構成。第一部は1993年にExxonのCEOとなり、Mobilとの合併を実現、2006年まで計13年間CEOを務めたリー・レイモンドの時代、第二部はその後継者、レックス・ティラーソン体制下のExxonMobil(EM)である。
プロローグは1989年3月アラスカで起きた原油タンカー、“エクソン・ヴァルデス”の座礁事故から始まる。この時レイモンドはまだExxonの社長(President)で、CEOに次ぐNo.2。地域住民、連邦政府・議会、州政府、沿岸警備隊、海洋科学者、環境問題活動家等に翻弄されるExxonの中に在って、CEOのローレン・ラウエルを助けながら、問題沈静化に向けて活躍するレイモンドの姿が描かれる。
終章は2010年4月に起きた、メキシコ湾の原油生産プラットフォーム、“ディープウォーター・ホライズン”深海部でのパイプライン破損事故を考察し、環境安全問題、エネルギー安全保障問題と石油企業の経営の関係を掘り下げていく。このプラットフォームはEMではなく、British
Petroleum(BP)のものだったが、湾内の原油探索・生産は長く禁止されていたのを、EMを含むメジャーの政治力で再開された経緯があったからである。BPの米法人主体を成すのは旧AMOCO(スタンダードオイル・インディアナ、同オハイオ)。それにシェヴロン(旧スタンダードオイル・カリフォルニア)、そしてスタンダードオイル・ニュージャージーと同・ニューヨークの末裔であるEとM、それらが一つになって、オフショアー開発を進める姿を、百年前(1911年)独禁法によって34に分割されたスタンダードオイル、ロックフェラー帝国の復活と擬えて、一般大衆・国家・世界とこの巨大企業の将来の関わり方に大きな?マークを印して、この本は終わる。
この間に詰められた話題は、冷戦構造崩壊とロシア石油利権、イラク戦争後の石油再開発とクルド問題、スマトラのLNG開発・生産とアチェ独立問題、地球温暖化に対する環境活動家(アル・ゴアを含む)との論争、ガソリンスタンドの大規模漏洩事故を巡る法廷闘争、西アフリカ(ナイジェリア、赤道ギニア)の独裁政権とクーデターあるいは人権問題、チャド原油生産と長距離パイプライン移送にまつわる紛争、ヴェネズエラ大統領チャベスによる合弁事業国有化を巡る投資回収の奇手、石油化学製品の安全問題、再生可能エネルギーとの共棲などなど。どれをとっても国内・国際政治の根源に触れる問題ばかり。このためには強力なロービー組織(元CIA諜報員、元軍高官、高名な科学者などを動員)とその活動が不可欠。それを通じてホワイトハウスや国務省・国防総省それに連邦議会ともある時は手を握り、ある時は反目し合い「全ては株主のために」と言いながら、強引に施策を進めていく姿が、個人の発言や数字を巧みに引用しながら、臨場感をもって描かれる。特に、レイモンドのタフネスは際立っており、他の石油会社が適当に妥協(恭順)するところでも一歩もひかない。企業経営者(米議会公聴会で涙するのはこの対極にあり、それはそれで一つの生残り策かもしれないが)のみならず、わが国政治家に爪の垢でも煎じて飲ませたいほどである。
東燃社長解任と軌を一にする話題も書かれていた。まだExxonと合併する以前、ナイジェリアでMobilが進めていた話である。雇用促進や地域開発、それに売れない重質油分有効利用のために発電事業を計画し、着手寸前にあったのだが、Exxon側の意向で合併後取り止めになる。理由は「コアービジネスでない。これは世界共通の経営方針である」と一言。NKHさんが傾注していた新規事業もまたコアービジネスではなかった。そして今や利の薄いダウンストリーム(精製・販売)もコアービジネスでなくなりつつある。EMの東燃株式シェアーは今年20%以下に減じ帝国の一部ではなくなった。ここでの資本回収策はヴェネズエラでの合弁事撤退策と極めて似ている。支配の方程式はEM(東燃ではない)の株主利益最大で解かれるのだ。
筆者はピューリッツァ賞受賞のジャーナリスト。この読後感を読むと“EMは悪者”と取られるかもしれない。それは多分に私がその末葉に長く籍を置き、大きな力で抑えつけられていると、時として感じることがあったたからだろう。しかし、この本は決してそのようにEM悪者説を訴えるものではない。むしろ石油エネルギーと言う、使い易く、大量に消費され、経済成長に欠かせぬものの、偏在するがゆえに国際間の争いの本となる商品を扱う企業経営の難しさを、一般読者に如何に読ませるかに工夫を凝らし、面白い読み物にしている。当初ペーパーバック版をAmazonに発注したが、入荷時期不明で受注キャンセルとなり、ハードカバーをあらためて求めた。そのくらい売れているのである。エネルギー関係者のみならず多くの人に読んでもらいたい著書だが、ビジネス出版社の編集者に訳本の可否を問うたところ「難しいだろう」との返事。残念なことである。
3)イタリア人と日本人、どちらがバカ?
イタリアには親しい友人が二人いる(本ブログ“海外、イタリア”参照)。二人とも北部イタリアの住民で、共通していたのは「イタリアの政治・経済問題は南部にある」と語っていたことだ。一人はどうやら“北部同盟”の支援者らしい。本書を目にしたのは野田内閣が行き詰まり、いつ解散かと言う時期そして財政管理内閣と言うべきモンティ内閣の再建策に黄信号が点り始めた時である。ふざけた題名だが“イタリアと日本の対比”が珍しいので求めた。中身はキャッチコピーのようなタイトルとは異なり大変真面目なものだった。
著者は、北イタリア出身、在日歴20年の建築家。仕事の場は日伊双方にあるようだが、生活の拠点は日本、家族共々(夫人も日本人ではない。子供二人)永住を考えているほどの親日家である。
構成は9章から成り、その内8章はイタリアの社会・政治・経済を歴史も踏まえて解説するもので、そこには各種データーも援用されるので、“現代イタリア社会入門”の趣がある。この8章のところどころで日本との対比が行われるが、それはあくまでも“イタリア理解”の一助としてである。そして第9章で日本の問題を、イタリアの現状とそれに至る経緯を踏まえ、単なる批判ではなく、そうならないための提言としてまとめている。
書き方にも工夫が凝らされていて、北イタリア、トリノ近郊に住む三人家族(夫・妻・息子(大学を卒業したがフリーター))が直面する日常的な出来事をきっかけに、諸課題とその本質に迫っていく形をとっているので、極めてカジュアルな気分で読み進むことができる。
取り上げられる問題は、先ずイタリア社会が諸事コネによる結びつきで動いていることから始まり、上手く立ち回って人脈を作り上げることが重要なこと。そこには必ずギヴ・アンド・テイクが伴い、それが政治に深くわり、票と利権(詰まるところカネだが)に集約され、無数の利権集団が蔓延っていることが説明される。
次いで政治の大きな焦点の一つが“南北問題”であることを、その歴史的背景を踏まえて解説する。私の二人の友人も同じことを言っており、北部に育ち・暮らす彼らは「南が問題なのだ!」と異口同音に述べていた。しかし、本書では決して南だけに問題があるわけではないことを教えてくれる。イタリアの歴史で南部が長いこと(紀元前から)他民族(ギリシャ、スペイン、アラブ、フランスなど)の植民地であったこと、19世紀末のイタリア統一の過程でも“北の植民地”的な位置付けであり、“自らことを成す”発想が失われたままなのだと言う。ここにマフィアのような裏社会につけ込まれる素地もあるようだ。
イタリアも他の南ヨーロッパの国々同様、怠惰な国民性を揶揄されるが、決してそうではない。そのことを証明するいくつかのデーターが示される。例えば労働時間;イタリアは38時間/週に対してフランスは35時間、ドイツは37.7時間、英国は37.5時間となっている。その結果、国民一人当たりの国内総生産は中部・西部では30,737ユーロで、これはドイツ、フランスの30,400、英国の29,600より高いのである。問題は、南イタリアは17,866ユーロと北の半分近くしかないことである。明らかにここには大きな格差がある。
そして歴史的背景以外の要素も絡んでこの南北格差は拡大しつつあるし、中部・北部でも格差が広がってきている。何故か?著者の見方は、アメリカに発する無秩序な市場任せの経済政策にあるとしている。特に、前首相のベルルスコーニの数度にわたる政権がこれを助長したというのだ(これと同類と見る小泉政権の施策を批判している)。
イタリアも日本も敗戦の中から見事に立ち直り、豊かな生活を手にした。そこには皆で作り出した富を配分しあうシステムがあった。しかし、過度な自由市場経済はそれを利権集団に委ねる結果になり、政治的・経済的混乱をもたらし、格差を拡大している。今のイタリアは明日の日本の姿だ。強い指導者を求めそこに従おうと言う風潮が強まってきているように見えるが、それは南イタリアが辿った道なのだ。日本人よ!民主主義は答えが出るまでに時間はかかるが、社会の諸問題(特に政治)を身近に(先ず家庭内から)議論して、“グロ-バリゼーション”などと言う言葉に惑わされず、自分たちに真に合った社会を作って欲しい!これが著者の日本人へのメッセージである。
野放図な市場経済への疑念・批判、これはリベラルなヨーロッパ知識人のメジャーな考え方で、著者の立ち位置もそこにある。ただ根底に米国追従批判があり、理解は出来るものの、イタリアのようにEUという拠りどころがある国とわが国の国際的な立場の違いをどう処すべきか、悩むところである。
4)暁の珊瑚海
20歳代の後半から、飛行機・戦車・潜水艦と言う、第二次世界大戦の代表的な戦略兵器を“軍事システム”として捉え整理することを半ば趣味として行ってきた。ハードウェアとしてこれらに興味があったことがきっかけになっているのだが、最終ゴールは、当時の仕事であった、企業におけるコンピュータ(今ならIT)利用の進め方に援用することであった。
例えば、着弾観測や偵察の道具としてスタートした飛行機が、やがて空軍と言う独立軍種に発展するプロセスを、開発・生産、組織・人、戦略・戦術の3軸に時間軸を加えた4軸で考察すると、各国(日・独・英・米・ソ、部分的に仏・伊)各様に違いがあり、そこに新技術を有効に活用する要点が見えてくる。空軍独立は、第一次世界大戦の教訓を基に“戦略爆撃”指向の英国がトップを切り、次いで独ナチスが空相ゲーリング指導の下、強力な空軍を作り上げ、電撃戦に貢献する。これに対し日米は陸海軍の一兵種としとして大戦を終える(米空軍の母体となる米陸軍航空軍はかなり独立色が強かったが)。両国とも海洋国家であることからそうなるのだが、同じ海洋国家の英国が、あまりに早く空軍を創設したため、海軍における航空兵力弱体化による種々の問題を生じる。これを他山の石と見た米海軍はついに独立空軍創設に加わらず、今日に至っている。またわが国にも陸海統合の空軍構想や海軍空軍化論があったが、大きな動きとはならなかった。
しかし、日米だけが作り上げ、実戦を戦った戦略軍事システムとして、戦略空軍とは別に、空母を中心とする“機動部隊”がある(英国も空母を保有したが船団護衛が主務)。そして1942年5月4日から8日にわたり珊瑚海で“空母同士による世界最初の戦闘”(ニミッツ太平洋艦隊司令長官)が戦われている。有史以来初の互いに見えない敵を相手に行う戦いは、双方とも錯誤・誤算の連続である。この戦いで得た体験(戦訓)を生かせたかどうかが、あのミッドウェーの勝敗を決めることになったのだ、と本欄-50(2012年10月分)で紹介の“ミッドウェー海戦”に書かれている。それでは同じ著者の書いたものを読んでみよう。それが本書である。
この戦闘が発起するのは、米豪分断作戦の一環として計画されたニューギニア南岸に在る米豪軍の拠点、ポートモレスビーへの陸海共同上陸作戦に依る。多数の輸送船を護衛するために、重巡4隻・小型空母祥鳳(搭載機20機)を含む艦艇(第6戦隊)が同行するが、この海域での米機動部隊の進出も予想され、これに対抗できる正式空母、瑞鶴・翔鶴の2艦から成る第5航空戦隊(5航戦)がこの作戦に組み込まれる。全体を指揮するのは第4艦隊司令長官井上成美中将。軍務局長時代三国同盟に反対した(軍縮)条約派が艦隊(拡大)派との争いに敗れた結果の左遷人事である。海軍省勤務が長く、機動部隊勤務は無論、艦隊運用の経験さえほとんどない。5航戦の司令官は原忠一少将。この人は水雷(駆逐艦・巡洋艦で魚雷を扱う)出身、航空には縁の無い前歴である。無論航空参謀は付いているが、決断はこれら実戦経験の無い司令官が行う。実は、対する米第17機動部隊の司令官、フレッチャー少将も“戦艦の艦橋しか知らない男”である。ただ、レキシントン・ヨークタウン2隻の空母運用は航空出身のフィッチ少将、ここが日本側とは違うところである。
機動部隊同士の戦闘に最も効いてくるのが、見えない敵を如何に早く発見するかである。航空基地(陸上・水上)からの長距離哨戒、水上艦艇に搭載された小型水上機による索敵、母艦機による偵察(主に艦上攻撃機;戦時は魚雷を搭載するが偵察時は空荷;偵察に多数発進すれば攻撃力が低下する)、無線傍受などがその主たる手段だが、連合国側はレーダー(初期のもので方位・距離のみ)、島嶼潜伏地上監視員が加わるほか、暗号解読が可能になっている。本書の大半もこの索敵活動と“敵発見情報”の詳細にかなりの紙数が割かれている。
索敵機は何機出すか?どの方向に出すか?艦隊直衛の戦闘機はいつ上げるか?何機上げるか?輻輳する情報をどう解釈するか?帰投が夜間になる薄暮攻撃はやるべきかどうか?誤認・錯誤の連続はいずれの側にも次々と起こり、未経験の司令官たちの意思・判断も加わり、郡盲象を評す状態の中で戦闘が始まる。
結果は:日本側の被害;祥鳳沈没、翔鶴大破(飛行甲板使用不能)、米側の被害;レキシントン沈没、ヨークタウン小破。戦後の米側評価は、戦術的には日本、戦略的には連合国、の勝利。正式空母レキシントンを沈められたこと、ポートモレスビー上陸作戦を阻止したことがその根拠である。
両者が攻撃に入った時点で、大きく異なるのは米側の対空防御力の強力なことである。個艦の対空銃砲の装備が圧倒的に高いことの他に、空母護衛の駆逐艦・巡洋艦による防御体制が確りしており、無線電話機能に優れ、レーダーと連動して直衛戦闘機の誘導が効果的に行われる。従って、一見日本側の勝利に見えるこの戦いも、ヴェテラン搭乗員の喪失も含めれば負け戦であった。しかし、この戦闘の後、連合艦隊報告会は戦勝ムード一色で、冷静に作戦を分析し、次ぎへの備えを図ることは何ら話題にならなかった。
初の機動部隊同士の対決と言う貴重な体験を生かせなかったこと、これがミッドウェー海戦敗戦の遠因であることを予見させながら、本書は終わる。
米側資料や生存者への聞き取り調査、戦闘員の個人的背景などが綿密に調べられ、まるで読み手がその場に居るような気分になれる、臨場感溢れるノンフィクションである。
5)緒方竹虎とCIA
この読後感を毎月お知らせしているメンバーの大半は私より若い方々である。従って「緒方竹虎?誰?」ではないだろうか?1888年生まれ、戦前は長く朝日新聞主筆・副社長、小磯内閣国務相(内閣情報局総裁;言論統制の元締め)、東久邇内閣国務相(書記官長;今の官房長官)。公職追放解除後1952年吉田内閣国務相(副総理、官房長官)、1954年吉田退陣後自由党総裁、1955年自由党・民主党の保守合同(今の自民党が出来る)により鳩山後の首相と目されていたが急逝。戦後の日本を統治する、いわゆる55年体制生みの親である。赫々たる経歴を持つその緒方とスパイ組織とも言えるCIAの間にどんな関係があったのか?そんな覗き趣味で本書を求めた。
しかし、この期待は見事に裏切られた。一言で言えば“緒方が生きた時代の日本メディア史”である。その点では大変勉強になった(主に終戦までの前半;ジャーナリスト時代)。
明治初期には、知識人を対象とする「大新聞」と庶民層向けの「小新聞」があり「大新聞」は漢文調で書かれ党派機関紙的な色彩が濃かった(政論新聞)のに対し、「小新聞」は社会で起こっていることを漢字にルビがふられた平易な文章で伝えていたこと、やがて両者が販路拡大のために、互いに相手方の領域に踏み込んでいき、前者の代表として「時事新報」が、後者からは「朝日新聞」が急発展したこと、などが解説される。
緒方が朝日で主筆を務める時代になると、資本と経営の分離が進み、朝日の資本家、村山家・上野家のお雇い主筆はその意向“不偏不党”(実際は厳正にこれを守ることは難しく、気に入らない記者を馘にする材料にも使われる)に従わざるを得なくなる。こうなると自己主張の強い記者は自ずと去らざるを得なくなってくる。そんな環境の中で長く主筆を務めた緒方はそれなりに体制側・世論と妥協する姿勢を見せ始め、2・26では反乱部隊に襲われるような反軍的見解をとっていたものの、やがて親軍的な論調に転じ、ついには言論統制組織の取りまとめ役を担うようになる。この統制について、本書では地方新聞の整理、全国紙の一元化、通信社の統一(同盟通信社発足)、用紙統制など戦時体制下の対各種メディア施策を俯瞰し、それと緒方・朝日の関係を明らかにしていく。
緒方とCIAについては、CIAが政治家緒方を操って、アメリカの都合のいいように政策立案・実施を行わせたか、を明らかにするものと期待していた。しかし、ここに書かれるのは、吉田が緒方に検討を命ずる「内閣中心に政治・行政を進めるための情報収集・分析組織(CIAに近いもの)」に関することと、アメリカが鳩山の親ソ政策を危惧し、反ソ・反鳩山の推進役として緒方に肩入れする話、それにCIAが保存する「緒方ファイル」から戦後のわが国政治情勢の変遷とアメリカの関係を垣間見ることであった。
第一のJCIA(日本版CIA)は、メディア関連業界の反対と各省庁の縄張り争いで、結局内閣調査室と公安調査庁になるが、CIAとは比較できるようなレヴェルはなかった。旧軍関係者がこれとは別に動いている話が出てくるが、既に明らかにされていることが多い。第二点は、CIAが緒方に好意的な情報を政府関係機関に流しているが、特に裏工作のような話は無い。第三の話は、本書の素となるCIAが2002年~2005年にかけてオープンにしたCIA文書と呼ばれるもので、その中で「緒方ファイル」5分冊1000ページあり、日本人では断トツのトップだが、時期は1952年から1957年に限られる。戦前から1952年までが欠けたのは、マッカーサーがCIAを嫌悪し日本の出先を最小限にとどめ、活動を著しく制約したからだと言う。
と言うようなわけで、研究者としてCIA文書は掘り出し物・宝の山かもしれなし、確かに引用は随所で行われているものの、本の表題として“CIA”とあるのは客寄せパンダの感を免れない。
6)工学部ヒラノ助教授の敗戦
本欄でも既に三回紹介している“工学部ヒラノ教授”シリーズ第四弾である。今までと異なるのは、教授ではなく“助教授”として若き日々過ごした、国際A級を目指して新設された筑波大学が舞台となる点である。既刊の対象が長い伝統を持つ、東大・東工大・中大であったのに比べ、新設ゆえに生じる数々の事件を通して、わが国文部行政や大学運営の暗部とも言える部分が白日の下に曝される。
ヒラノ青年がここに奉職するのは、わが国初の計算機科学科創設の計画があったことがきっかけである。それまで電子工学や数学の延長線にあった分野に、ソフトそれもアプリケーションに重きを置いた学科が出来るのである。スタンフォードでORの博士号を得たヒラノ青年は勤務先の電力中研を、懲戒免職の危険を冒しながら転職する。新設大学の新設学科に夢は広がる。しかし、その“新設”こそが誤算の原因なのだ(新設とは言っても母体は東京教育大学、そこでの移転賛成・反対派の抗争が絡む)。文部省は教授会や学生自治会の勝手を許さぬ理想の学校経営形態を実現せんとする。先乗りの大学幹部は自己の権力把握拡大を目指す。既存大学の権威者たちは息のかかった弟子を送り込み、その領土拡大を目論む。泣き落とし、恫喝、いじめ、買収、取引、裏切りはては既に文部省へ提出済みのカルキュラムの差し替えまで、ありとあらゆる手段で自己の願望を適えんと戦いを続ける。
正義感の強いヒラノ助教授ならずとも「一流大学の大先生!そこまでやるの!」のシーンの連続である。8年後これに愛想をつかしたヒラノ助教授はここを去る。それと伴にソフトとアプリケーションの計算機科学はどこかに去り、80年代世界を席巻するかと恐れられた、日本のIT技術はその領域(ソフト、アプリケーション)で米国に大きな差をつけられ、背中さえ見えぬほど遅れてしまった。文部省は何をしてくれたのか!?
文部省と言う役所は歴史のある役所で、その重要性は皆に認知されてはいるが、昔から“師範学校出が牛耳る三流官庁”呼ばわりされていたのは知っていた。しかしノンキャリの研究実績のまるでない元高校教師をドサクサ紛れに、計算センターの“教授!”に押し込み、国を代表する一流大学の先生を翻弄するほど酷い役所とは思ってもいなかった。本書にはこの種の話題が満載。知られざる文部行政・国立大学運営、それに(理系)ポスドク問題を気楽に学ぶ格好の教材である。
実は、著者と私が初めて出会ったのは、この新開地に“長靴と懐中電灯それに棍棒(野犬を追い払う)”が三種の神器であったこの時代である。初めての卒業生と一緒にあの荒野(とは言っても本文の、準備段階よりはましだったが)を訪れた。採用活動のためである。夕刻まで2時間近く雑談を交え話する中で、通勤やご子息の教育問題でややご不自由なことは聞かされたが、終始明るくウィットに富んだ会話が印象に残り、すっかりファンになってしまった。その後LP(線形計画法)の泰斗で著者の恩師、スタンフォード大学計算機科学科ダンチック教授の来日協賛や卒業生の結婚式などでも親しくお付き合いしたのもこの筑波時代である。まさかこれほど大変な状況下にあったとは露知らず、貴重な時間を浪費させてしまったことを、この本で大いに反省させられた。
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以上
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