8.美濃街道を行く(2)
新道と旧道が交わったあとはやや交通量が増えたものの、前後に時々見え隠れする程度で、マイペースで走れることに変わりはない。行き交う車は主にトラックやライトバン、それに地元の軽くらいだ。皆生活・仕事のために動いているところへ、一台だけ遊びグルマが入るのは何か申し訳ないような気もする。九頭竜ダムに向けて整備されたのであろう、雪囲いやトンネルは多いものの、曲がりも少なく道幅も充分で走りやすい。時々止まるのは、例の笹子トンネルの天井崩落事故の影響で、トンネル・チェックが集中的に行われている所だけだ。片側通行の整理をしているおじさんが、申し訳ないという表情で挨拶してくれる。
九頭竜川にはダムが二つある。上流側が規模の大きい九頭竜ダム、下流が鷲ダムである。九頭竜ダムは高さが128mあり、岩を積み上げるロックフィル・ダムである。この方式は美濃から日本海側へ流れる庄川を堰き止めている御母衣ダムと同じ方式で、どうもこの辺りの地盤はコンクリートでは支えきれないので採用されたらしい。コンクリートののっぺりした仕上がり比べ、表面が棘々した感じで、それが年月を経て濃い褐色(ほとんど黒)に変わり、木で葺いた巨大な寺院の屋根のような景観を作り出している。下の鷲ダムは近くの集落の水没を避けるために作られた揚水発電所用の比較的低いダムである。
どこの巨大土木工事でも政治絡みで巨額の金が動くのは通例だが、1962年に着工されたこのダムも池田総理への政治献金が国会で問題になり、秘書官や証言をしたジャーナリストが不可解な死をとげ、後に石川達三がそれを材料に「金環食」を書いている。走りながら断片的な記憶が蘇る。
ダムの下からは道路沿いに建物が少しずつ増えていき道の駅の周辺は平地もかなり広く、学校や農協などがあり、久し振りに町らしい雰囲気になってくる。しかし、広い駐車場にはほとんどクルマは無く、最近は土地の人達のショッピング・センター兼集会場所として活気のある道の駅の趣はない。
手洗いを探していると、案内板があり「トイレは駅の方にあります」と出ている。よく見ると鉄道の駅と一体になっているのだ。越美北線の終点、九頭竜湖駅がそこにあった。半世紀以上前にはこの線と長良川沿いを走る越美南線が越美線としてつながることになっていたようだが、ダム建設が終わってからはそれら既存の鉄道すら存続が難しいほど利用価値は減じている。いまや道の駅のほうが主役になってきているのだ。
駅前に面白いものがあった。恐竜親子の像である。それも動く仕掛けになっている。子供が母親に体を寄せると、母親は体をねじり、口を大きく開け、まるで我々外敵を威嚇するような仕草をする。何故こんな所にこんなものがあるのだろう?ガイドブックをみると、これから向かう越前大野のさらに北西、勝山と言う町で1980年代からかなりの量の恐竜の化石が出土して、そこに恐竜博物館があることが分った。しかし、ここからはかなり距離もあり、いまだに「何故ここに?」の疑問は消えていない。
次の目的地は越前大野。計画準備段階で大野の駐車場を調べると市営のものが何ヶ所かあった。ただ電話番号はみな同じ。多分市役所の所轄部門で、場所に直結した番号ではなさそうだった。嬉しいことに小さな市のわりにエッソ・モービルのSSが多い(6ヶ所;ちょっと多すぎる感じがしが…)。そこで駅に一番近いSSの電話番号をナビにセットすると「ピンポイントで見つからないので付近に案内します」ときた。今朝のゼネラル同様転廃業している可能性がある。次をやってみたが同じ、その次もダメ!4軒目もダメ!!道筋は単純なので、ナビの案内無しで、とりあえず駅を目指すことにする。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回:越前大野)
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