19.新名神を通る
中国道に合流すると車の流れは東名・名神同様トラック街道になる。3車線とも流れてはいいものの、前後左右ともびっしりつながっている。特に吹田JCTで名神に入ると集中工事が行われており、間隔が詰まってくる。運転の楽しみは全く味わえない。それは当初からの予想通りで、事故などで渋滞がないことを願うばかりである。
名神自動車道はわが国初の都市間長距離自動車道路、西宮・小牧間全通は1965年(昭和40年)7月である。和歌山工場に勤務する同年、初めて自分のクルマを持った。日野コンテッサSの中古車である。年末年始の帰省に、出来て半年のこの道を高槻から小牧まで走った。爾来何度か利用しているが、自分で運転して通ることは和歌山を離れた1969年以来やっておらず、今回は44年ぶり。記憶に残るのは天王山トンネル前後くらい、あとは大都市を抜ける幹線自動車道と何も変わらない。
ルート検討時唯一拘ったのは新名神を利用することであった。この道は2008年草津JCT(名神)・亀山JCT(東名阪)が全通した、幹線自動車道としてはかなり新しいものである。昨年春の吉野行きでは第一案としてナビはこの道をとることを推奨してきたが、結局通いなれた東名阪にしたこともあり、今回の帰路ではここを通るよう設定した。昼食も時間が適当ならこの間のSAを利用したいと思っていた。
名神の混雑は草津まで続いたが、新名神に入ると急に空いてきた。ここまでの道路沿線は都市の連続だったが、一気に山がちになっていく。カーブや上り下りも新しい道だけに走りやすい。最大の注意点は未知の所ゆえ覆面パトカーや速度取締り機の存在であるが、他所ではよくみかける警告も無い。信楽、伊賀・甲賀ななど焼物や忍者で知られた地名が現れるのも気分が和む。
鈴鹿連峰を望む土山SA到着は丁度午後1時、三日間続いた麺類はやめ揚げたてのカレーパンと牛乳の昼食にした。このサービスエリヤは他とは少し違っており、土産・食事・トイレなどの施設は上下線共通で、駐車場だけが分けられている。城崎からここまで約350km、自宅までの半分以上を走ったことになる。たっぷり休憩をとり2時に出発した。
この先は東名阪の亀山ICまで30km足らず、あとは東名阪・伊勢湾岸道路を経て豊田JCTで東名に入り、三ケ日JCTで走り易い新東名に進まず(旧)東名を行く。これは給油地点をゼネラルのSSがある富士川SAにしているためである。あとで考えてみれば新東名を新清水JCTまで行き、そこから東名と交わる清水JCTに出ることも可能だったが、計画検討時そこまで思いが及ばなかった。むしろこのルートではいつも混雑でユックリ出来ない浜名湖SAで休む案に惹かれていたのだ。
そのSA到着は3時半、期待通り平日のこの時間帯は駐車場も施設も公園も空いており、地産の夏みかんを仕入れることも出来た。西日を背に受けながらひたすら東に進み、富士川SA到着は17時20分。ここまでの走行距離は510km、給油量は38Lだったから渋滞が無ければ自宅まで無給油で走れる可能性は大だった。
夕闇の迫る道をさらに東へ走る。日中とは違い交通量は減ってきているが、暗い道は目に堪える。夕食は当初足柄SAを予定していたが、思いのほか順調に流れるので海老名SAで摂ることに変更。毎日続いた和食と麺類は避けて新装なったばかりの中華レストランを選んだ。自宅到着は8時丁度、今日の距離は640kmであった。
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(次回:総括)
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