2013年8月31日土曜日

今月の本棚-60(2013年8月分)


<今月読んだ本>
1)百年の手紙(梯久美子);岩波書店(新書)
2)統計学が最強の学問である(西内啓);ダイヤモンド社
3)戦争と科学者(トマス・J・クローウェル);原書房
4)日本陸軍終焉の事実(西浦進);日本経済新聞出版社(文庫)
5)蔵書の苦しみ(岡崎武志); 光文社(新書)
6)Blackett’s WarStephen Budiansky);Alfred A. Knopf

<愚評昧説>
1)百年の手紙
チョッと変わった本である。この100年間(と言っても110年前のものもあるが)有名無名の日本人が誰か(天皇・マッカーサーから家族まで)に宛てて送った手紙、あるいは遺書をまとめたものである。手紙の核心と思われることをクローズアップし、それに対する著者の解釈・解説を加えて一つの項目が完結する。全項目数は99100通)におよび、中には前者に対する返信のようなものも含まれたり、二人の手紙を対比するようなものもある。このような書き方になったのは元々新聞に連載したものを一冊の本にまとめたからである。
一冊の本としてまとめるに際し、個人情報であるにもかかわらず、それらが世相を反映し、近現代史を映し出すよう意識的に編集されている。それは著者が、書き残された資料(主に手紙・遺書)をベースに評判になる作品を上梓してきたノンフィクション作家(「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官栗林忠道」大宅壮一ノンフィクション賞など)であるからであろう。
第Ⅰ章は“時代の証言者たち”と題し、足尾鉱毒事件における元代議士田中正造の明治天皇に対する直訴状に始まり、幸徳秋水、小林多喜二、宮本顕治など体制・権力への批判者・反抗者が取り上げられるが、この姿勢は第Ⅱ章“戦争と日本人、第Ⅲ章“愛する者へ”、第Ⅳ章“死者からのメッセージ”と一貫しており、岩波書店の経営哲学と著者の意図がよく一致した出版物と言える。従って私個人は決して購入しない範疇の本であるが、水泳仲間の一人が“チョッと面白い”からと貸してくれたので読むことになった。
体制批判(体制批判そのものが悪いわけではない。ただこの出版社の考え方に同調できないものが多い)を売り物にする岩波の出版物ゆえ「ああまたか!」の感は拭えないが、逆にそれを徹底的に意識して読むと確かに“チョッと面白い”。つまりこれを世相一般や歴史の断面と捉えず(出版社・著者の意図とは真逆)、あくまでも“個人の思い”として見ていくとそれなりに楽しめる。その数が多かったのは第Ⅲ章“愛する者へ”で、ここには数々のラブレターや父子愛に満ちた書簡があり、「この人はこんな人だったのだ」と認識を新たにしたり、身近な岡目八目と結びつくことが一つや二つではなかった。
例えば、鳩山一郎の寺田薫(後の夫人)へのラブレター「二人は長く信じて互いに愛しましょうね」(両者の関係者は結婚に反対)など読んでいると、鳩山由紀夫に至るこの家系の女性関係への甘さがよく理解できたりする。
また、これは別の章だが、吉田茂が終戦直後開戦前の駐米大使だった来栖三郎に送った手紙に、米軍進駐とパージで右往左往する有力者たちを「ザマを見ろ」と痛烈に揶揄するものがあり、さすが吉田茂!と思わず快哉を叫びたくなる。
無名人はとも角、有名人に「そんなところもあったのか!」と知らされたことは収穫であった。

2)統計学が最強の学問である
年初来のロング・ベストセラーである。こんな硬い本がなぜ?と言う疑問とこのところ興味をもっているビッグデータとの関係を知りたくて購入した。3月に求めたものだが、出版後3ヶ月のこの時点で4刷に達している。それから5ヶ月を経ているのだから、さらに刷を重ねているのではなかろうか。
統計学を系統建てて学んだことは無いが、化学工学(この学問は、理論より経験則や実績データに依存するウェートが大きい)が基盤となる職場に長くいたこととビジネスマンとして後半生は数理と深く関わる仕事が多かったこともあり、この分野の本は比較的よく読んできている。その多くは二つの種類に分けられる。一つは統計学の正統な解説行うものであり、もう一つは統計と嘘・デタラメ・作為の関係に警鐘を鳴らすものである。前者はどうしても数式・数理が大きな役割を占めるので、それなりの準備と心構えが必要なのに対して、後者は読み物として軽い気持ちで楽しめるものも多い。ただ、後者の場合著者の背景(統計学の適用分野)によって、読み方に注意を要する。特に社会科学系や心理学の場合は数理的に見ると厳密さに欠ける感じがする(ベースになる設問など)。また、視点は異なるが自然科学系の医薬分野も作為を感じることがある(訴訟などで自分の主張を正当化するために統計データで論ずるようなものもある)。
さて、本書である。内容は統計の初歩的な知識を数式・数理を使わずに説明し、各適用分野(疫学・薬学、計量経済学、心理学、社会調査など;ここでタイトル“最強の学問である”ことの理由付けを行う)における統計データの利用とその問題点を分かり易く説明していく。つまり、前項で述べた二つの視点を兼ね備えた構成が「チョッと読んでみようか」との気を起こさせる。さらにIT利用環境の変化によるビッグデータの話題性に触れていることもあり、ビジネス出版社から出ていることと併せてベストセラーにつながる一因となったのではなかろうか。
この本はあくまでも統計学の啓蒙書であって、これ一冊で統計が駆使できるわけではないことは言うまでも無い。そうは言っても勘どころはキチンと抑えているし、データを採ることの倫理的な問題(特に医薬や心理)などにも触れ、一方で多数の実態から少数をサンプリングする際の信頼性、ランダム化(ランダムにサンプリングする)の限界などの解説も分かり易く、初心者のみならず、“もうチョッと最新統計技術動向やそれらとITの関係を知っておきたい”と言う読者にも充分耐えられる内容である。
例えば、1960年代にほぼ完成したといわれる統計学だが、ランダム化が不適当な分野に威力を発揮するようになる“傾向スコア”などと言う手法(1983年ローゼンバームとルービンにより提案)についての丁寧な説明などその一例といえる。また、パンチカード・システムで統計機械化の初期の時代から関わってきたIBMが、2011年だけでも統計学やビジネス・インテリジェンスに約1兆円をつぎ込んだという話しは、この学問がまだまだこれからのものであることを窺がわせる。
著者は1981年生まれ、東大医学部を卒業後母校の助教をしている若い人である。専門は疫学なので仕事上の必要性からこの分野に精通しているのだが、傍ら統計コンサルタントをしているようで、他分野の事例も現場感があり、統計に関心があるどんな利用者にもそれなりに理解し易いものになっている。

3)戦争と科学者
戦略軍事システム研究(とは言っても関心は専ら飛行機・戦車・潜水艦と数理に限られるのだが)をライフワークと考えているので、この手の本は随分読んできた。今更と言う気もしたが、原書が2010年、訳本は昨年出版された新しいものだったので購入してみることにした。結論から言うと直接戦闘に使われる兵器以外の軍事技術に新しい話しがかなりあり、得るところがあった。
構成は独立した25話から成り、古代・中世の兵器から始まり、飛行機・戦車・潜水艦は無論、原子爆弾やロケット兵器におよぶ。それぞれについて、開発者が何故それを思いついたか、その兵器や技術の革新性はどこにあるか、それは軍隊にどのように受け取られたか、その後の開発者と兵器・技術の行方はどうなったか、を語っていく。
新鮮で興味深かった話題と知識は、戦場保存食としての瓶詰め(フランス人)、ノーベルのダイナマイト(父と末弟は家業の火薬製造中爆死、アルフレッドも重傷を負う。これが基で取り扱い安全な爆薬、ダイナマイトを発明する。これがデュポンを初めとする同業各社に盗用される)、第一次世界大戦における化学兵器(毒ガス;開発者、フリッツ・ハーバーはノーベル化学賞を受賞、戦場での悲惨な状況を全く反省していない)、石井四郎ばかりではなかった生物(疫病)兵器開発(石井部隊の話にはデータの明らかなミスが散見される。どうも欧米の文献から孫引きのようだ)、レーダ開発における秘話(発明者;ワトソン・ワットの戦後;カナダでドライブ中スピード・ガンに引っかかって詠んだ詩など)、ヘリコプター開発の動機(イゴール・シコルスキー;各種救難が目的であり、攻撃ヘリの出現をいたく嘆く)、防弾繊維(防弾チョッキが代表的だが、米軍の戦闘用ヘルメットも現在はこれで作られている。これらによって救われた生命は計り知れない)ケブラーの開発(開発者は女性の合成繊維研究者;ラジアルタイヤ用補強材開発がきっかけになる)などでる。
著者は歴史をテーマにするジャーナリスト。訳がイマイチこなれていない。マニアにとっては面白い本だが、よほどこのような分野に興味がある人以外には薦められない。

4)日本陸軍終焉の事実
8月にはこの種の本が決まって出版されてきたが、さすがに戦後70年近く経ると種も尽きた感がある。そんな中で珍しい題名(終焉の事実)に目を惹かれた。その題名から何となく終戦工作秘話という感じを持ったが、実際は全く異なり、著者の陸大卒業後(昭和5年)から終戦に至る、身辺で体験・見聞きした陸軍中枢部に関する個人的な回想録であった。
昭和陸海軍については随分読んできたはずであるが、大佐と言う高位の軍人ながら著者西浦進の名前は全く記憶に無い。おそらく大部分の本欄閲覧者も同じであろう。その理由は、成績抜群で幼年学校・陸士・陸大と進みながら、参謀本部勤務も部隊指揮官としての実戦参加もない、きわめて特異な経歴だからである。それでは何をしていたのか?昭和6年来(それ以前の原隊は京都第22野砲連隊;砲兵大尉)専ら陸軍省軍務局の“官僚”として軍政面の仕事(政策立案、編成、軍備、予算;つまり戦争を実施するための人・物・金)に携わっていたのである。軍人なら誰でも、作戦を立案したり実戦部隊を指揮したい(この系統は軍令と言う)。本人もこれを切望するが、図抜けた能吏ゆえにそれが叶わず、やっと現地に出るのは昭和19年から終戦までの支那派遣軍参謀としての短い期間に過ぎない。
戦略を練るわけでもなく、華々しく戦場で活躍したこともない軍人の書いたものが書物になることは珍しく、本書の原典「越し方の山々」と言う昭和227月に脱稿したもの(ごく少部数タイプ印刷された)がガリ版刷りで37部刷られるのが昭和35年、単行本として原書房から出版されたのは昭和55年(1980年)のことである(著者は1970年病没)。オリジナルの内容が昭和史における重要な証言となることが専門家に知られてきたことによる。著者も前書きで述べているように「誰も何も書かなければ、表面に出た歴史だけが語られ残されるようになる。その前に体験した事実・思いを書いておこう」と言う動機が、勇ましい戦記や言い訳と自慢話を書き連ねた回顧録と異なる評価を得ていったのである。
誰か有名作家が書いていたのだが(司馬遼太郎の「この国のかたち」だったろうか?)、「軍の独走を抑える手段はあった。それは国家予算である」と記されていたのが微かに記憶に残る。読んだとき「なるほど」と思ったものである。しかし、この本を読んでいると、軍令関係(議会・政府から直接制約を受けない)からの要求に四苦八苦する軍政担当部門(特に軍務局軍事課;著者はこの課の生え抜き、二度軍事課長を務めている)の姿が浮き彫りされる。予算に限っても、まるで財務省の主計官が担当省庁と折衝を行うのと何ら変わらない。加えて、これは本書の中で著者特記しているが、陸軍省(軍政)と参謀本部系統(軍令)組織の間の役割分担・権限が錯綜しており、議会や政府(大蔵省)にも立ち入る限界があることがよくわかる。また、ここに軍政プロパー官僚の存在が不可欠となる理由もある。
予算のほかにも、官舎の建設から外地への家族同道の是非、戦いの拡大による下級将校の減耗対策(予備士官学校の創設)、はては軍用犬の主管部門調整(結局馬政課に落ち着くが、犬は各隊でおのおの飼われるようになっていくので兵務課、犬の用途は通信もあるので防備課がその主管を主張する。いずれの課も兵務局に属するのだが局内でまとまらない)まで、細々したお役所仕事に追われる姿を通して、知られざる帝国陸軍官僚機構が語られる。
しかし、本書の執筆の目的はこのような官僚機構の欠点を論うことではなく、重要な軍事施策情報が集中する軍務局(特に軍事課)に在って、歴史的な出来事(満州事変、支那事変、大東亜戦争など)における軍の動きを後世に伝えることにあるので、著者が仕えた高級軍人たちの言動を明らかにし、諸策がいかに決まっていったかに主眼がおかれる。永田鉄山(課長・局長)、山下奉文(課長)、東条英機(次官、大臣)、板垣征四郎(大臣)、阿南惟幾(次官)、梅津美治郎(次官)など表舞台で主役を務めた錚々たる上司たちが、もともとどんな人物で“その時”とった行動はどのようなものだったか、とった行動はどのように解釈され一般社会に伝えられたか、これが本書の肝と言える。
例えば東条英機である。昭和13年板垣陸相の次官として東条英機が赴任、軍事課予算班長の著者とのつながりが生ずる。この時期の東条を著者は勉強家であることは評価しつつも「最も優秀な大尉参謀」のような感じ、「何だか板につかないところが多かった」としている。しかし、昭和158月近衛内閣の陸相として返り咲くと、著者は大臣秘書官として身近に仕えることになる。大臣第一声「諸官公私に亘る一切の言動は本職の意図外に出るを許さじ」は下克上の風潮に対する警告で、爾後陣頭指揮は他の追随を許さぬほど断固としたものだったとしている。それに比べ師団長や局長クラスが不勉強で、下僚の上げてきたものをノーチェックで認めるようなだらしなさを糾弾する。首相になってからの東条評価も総じて高いが、陸相を兼務したことに対しては“過剰な責任感”と批判している。
日・英米開戦については、「本当に当時の考えとして、戦争が主でなくして、陸軍としても真の腹は日米交渉の妥結を望んでいた」「対英米戦を辞せずといいながら、当時陸海軍共本当に対英米戦の覚悟はなかった。政府諸公も同様であった。国家として不明確な決意の下、一歩一歩戦争に入っていったのであった」としている。きわめて日本的な意思決定である。
終章において、「大東亜戦争は、その性質から売られた戦争であったので・・・」「又売られた戦争でも、どうして和平に努力しなかったか、非難はいろいろあるだろう」「・・・総ては宿命だったと見るのは私の自己弁護だろうか」と結んでいる。終戦直後の職業軍人の偽らざる心情であろう。あれだけの大事に責任の所在は不明のままである。典型的な日本の組織リーダー像がここにある。
著者はこの回想録執筆後、開戦時の参謀本部作戦課長だった同期(陸士・陸大)の服部卓四郎(ノモンハン事件時の関東軍参謀、辻参謀と伴に拡大策を進言。戦後はGHQの指示で「大東亜戦争全史(俗に服部戦史)」をまとめる)と史実研究所を設立、その後昭和29年(1954年)防衛庁嘱託となり戦史研究機関設立準備に従事、翌年陸上自衛隊幹部学校戦史室(後の防衛研修所戦史室)初代戦史室長を務めている。
序文、解題、解説などが旧軍・自衛隊関係者から寄せられている。それを見ると、オリジナルの「越し方の山々」は一切資料がない環境下で書かれたという。50歳目前の年齢でこれだけのものを残せたと言うことに驚かされた。

5)蔵書の苦しみ
自分の最期を考えて心配なことの一つに本の始末がある。それほどの読書家・蔵書家ではないし、転勤、引越し、実家の解体処分などでかなりの本を廃棄しているので、現在自宅にあるのは3千冊弱であろう。それでも6畳の書斎の壁2.25間(1.50.75)を占める床から天井までの書棚に、一部は二重に本が詰まれ、収納余地はほとんど無くなっている。単行本・新書・文庫本は年間2030冊はゴミ出しするのだが、新規購入との差し引き4050冊が溜まっていく。この家を作る時書斎の床は特別に補強してもらっているが、真下の一階リビングの天井クロスに走るヘアークラック(小さな裂け目)が何に起因するか心配な毎日でもある。
多読家の友人の中には図書館で借りる、古本屋に(二束三文で)引き取ってもらう、あるいは電子化などの解決策を取っている者もいるが、図書館を利用したのは高校生まで。その理由は、どうしても読んでいると書き込みや赤線を引くこと、あるいは付箋をはることが止められないからで(だからこそ本欄も書ける)、古本屋もこれでは引き取ってくれない(無論死んだ後でも)。電子本への転換(自炊)は手間を考えただけでも、全くやる気は起きない。
というわけで“蔵書の苦しみ”は切実なわが身の苦しみでもある。同病相哀れむ、何か良いアイディアでも見つからないか。そんな思いで本書を手にした。
書き出しはいきなり底抜け事件。木造アパートの二階に住む男が溜め込んだ雑誌!で床をぶち抜き、一階に落ちた話である。下に住む老人は音で異常を察知し近くの警察に相談に行っていて難を逃れたという。このような床抜き例として、エッセイストの串田孫一、作家の井上ひさしなどが紹介される。これでチョッと安心したのは、井上の本の数は13万冊だったと言うことである。34千冊もかなりの蔵書家と言いながら、この程度は本書の対象外である。
著者はジャーナリスト・書評家その書斎(地下室)の写真も凄い。足の踏み場もなく、書き物の参考にするための購入済みの書籍を探すが見つからず、あらためて買い直すほど混乱している。その蔵書を捨てるか売るかして整理するのだが、「欲しいものは皆持っていけ!」策が売り方・買い方(古本屋)双方にとって最適解だという。さすがに古本屋もびっくりの話である。これと関連して古書売買の裏話などもあり、面白い話もいろいろ出てくる。故人の書籍処分を依頼された古本屋が整理を終わり「しめて8千円です。よろしいですか?」と言ったところ、未亡人が「あらそうですか、ちょっと待ってください。財布を取ってきますので」と応えたと言うのだ。処分代と勘違いしたわけである。
凄い話は、日本文学者・文芸評論家・関西大学名誉教授谷澤永一の蔵書である。小学生の時に古本屋に出入りを始め、旧制中学生時には大阪の有名古書店でもいっぱし名の通った存在だったらしい。何度か転居した後終の棲となるのは川西市花屋敷。先ず一階と二階にそれぞれ10坪の書庫を作る。これでは直ぐ足りなくなり更に40坪の書庫を増築するが、なお書籍は増え続けこれに10坪を付け足し、蒐書60年におよぶ蔵書13万余冊がやっと収まる。そして19951月あの阪神淡路大震災がこの一帯を襲う。家は比較的新しかったので、家屋の損傷は免れるものの書庫の中は見るも無残な状態となる。大工他の人手を入れて何とか書庫そのものは修復したものの、蔵書を元通りに収めることは不可能と判断、「蔵書の縮小」を決意する。東日本大震災の後、東京でも古書の出物が一気に増えたという。
この他にも、戦災や火事で蔵書を一気に失った人(永井荷風、堀田善衛など)の話、蔵書のためにそれを中心に家を新築した人の話、電子書籍化(自炊)の話、一人古書市開催など、蔵書との同棲・別れ話が延々と続く。解かる!解かる!死ぬまで別れられないことが。残された家族の皆さん、後始末はよろしく!

6)Blackett’s War
20075月から10月まで約半年、英ランカスター大学経営学部カービー教授の下でOROperational Research;応用数学の一分野)の歴史研究を行った。出発点となる教授の著書「Operational Research in War and Peace」の見開きにある写真は1964年に撮影された皺だらけのブラケットである。さらにAcknowledgementsの後に10枚のOR関係者の写真が続くが、その第一葉はパイプをくわえた若き日のブラケットである。また、リーディング・アサイメントで与えられたいずれの書物・文献にもどこかにその名があった。“ORの父”がこの人の一尊称である。
1897年生。海軍兵学校卒業と同時に第一次世界大戦勃発。士官候補生として巡洋艦に乗り組みフォークランド沖海戦に参加している。戦後の1919年ケンブリッジ大学に派遣され、当時英物理学界の巨峰、ラザフォードの下で学んだことがその後の人生を決めることになる。1933年(ナチス政権誕生)ロンドン大へ、さら1937年(ORと言う言葉が生れる)マンチェスター大に移る。ここから1945年(終戦)までが本書の主部。1948年ノーベル物理学賞受賞。1965The Royal Society(英学士院)院長就任。1969年男爵位。1974年没。
私のOR歴史研究のポイントは、手法そのものではなく、“どのようにして意思決定者(政治家、軍人)が数理でその決断を行うようになっていったか”を探ることにある。つまり、科学者・技術者と政治家・軍人という、数理に関してはかなりギャップのある人間間の相互理解醸成が如何になされたかを調べ、これを一般化することに主眼を置いている。そのためにはORと関係した人々の自伝(回顧録)・伝記・従事した仕事(作戦)を深耕することが第一歩となる。本欄でも各種チャーチルに関する書物、リンデマン(チャーチルの科学技術顧問;本欄-53)、ティザード(空軍省科学技術顧問;本欄-18)、ダウディング(バトル・オブ・ブリテン時の戦闘機軍団長;本欄-9)およびブラケット(本欄-1220098月)の伝記類を紹介してきている。
ただ肝心のブラケットに関する伝記は英学士院が発行した100ページ程度の簡単なもので、“ブラケット・サーカス”と呼ばれた実戦部隊OR普及活動の詳細を知るまでに至らなかった。それもあり時々“Blackett”や“OR”をキーワードにしてAmazonGoogleで出物がないかどうかチェックしていた。それにかかったのが本書である。
ブラケットのOR適用の場は大別して3分野になる。初めはバトル・オブ・ブリテンを頂点とする空軍の戦闘機による迎撃防空システム、次いで陸軍の対空射撃(高射砲)システム、それに海軍の対Uボート作戦である。時間的にもこの順番になるし、本書の展開もこれに従う。前二者(空軍、陸軍)の部分はほとんど今まで得ている情報とダブルことが多く、関心は専ら別の部分に向いてしまった。それは、“Sailor, Scientist and Socialist”と称された彼の“Socialist”に関する点である。現場で実践的な指導をしてくれる彼を軍人たちは大いに頼りにするのだが、科学者不戦同盟の同調者であることから、チャーチル(とリンデマン)には疎まれる。この非戦活動に関わりながら、一方で戦士として活躍する一見矛盾した行動の本質は今まで読んだものでは明解ではなかったが、この本でその主張の核心が「民間人を戦争に巻き込むな(殺すな)!」であることが分かり、納得もした。
サブタイトルが“Uボート戦争を科学で勝ち抜いた男”とあるように、この本の真髄は第3の分野、対潜作戦におけるORの適用とブラケットの貢献を紹介するところにある。1940年フランス降伏と伴にロリアンを始め大西洋に直接出られるUボート基地ができると輸送船の被害は急激に増加する。首相チャーチルは対潜作戦強化を指示、ブラケットも対潜作戦を主務とする海軍に顧問として招かれ、軍団ごと海軍に移管された空軍沿岸防空軍団(対潜部隊)を含めたOR適用を委ねられる。
護送船団の組み方、対潜パトロールのルート、航空爆雷の深度設定や投下方法、対潜哨戒機の稼働率向上など数々の戦術改善を提案し実施していく。これら個々のOR適用例は、戦後間もなく、ブラッケッとの下で実戦適用の統括者だったワディングトンの著書で紹介され、滞英研究中その本で知ってはいたが、本書ではこれらを進める際のブラケットとチャーチルや軍首脳(特に空軍)とのやり取りに焦点が当てられ、この点でワディングトンにはないより高位の意思決定場面を提供してくれた。最もORの恩恵を期待される沿岸防空軍団長のシュレッサーでさえ、ブラケットの強引なやり方を“計算尺戦略”と言って腐すシーンは、この有名な言葉が人口に膾炙されているのとは異なるトーンだったこということを明らかにする(若干皮肉っぽいが、ポジティブなイメージ語られことが多い)。つまりOR適用にはそれなりに抵抗があったのだ。
この本の内容で既読の書物で見かけていないところは、米国の対潜作戦とORに関する部分である。OR適用は最高重要機密事項として米側に伝えられ、米国参戦後米海軍でも一部に熱心な推進者現われるものの(米国OR活動の祖、モースは英国を訪れブラケットにも会っている)、作戦部長のキングはそれほど乗り気ではない、また部隊編成もそれに適するようには出来ておらず、一時米東海岸はUボートの草刈場と化す。これが変化するのは、陸軍が本格的に欧州大陸へ侵攻する動きが始まってからである。英国からの警告で大量兵員輸送時のUボート攻撃に危機を感じたルーズヴェルトが、大西洋の対潜作戦を最優先するよう命じたことからOR利用が一気に進んでいく。この部分で、米軍における軍指導者とOR推進者の関係を知る貴重な情報を得られたことは予想外の収穫であった(キングの伝記ではORを高く評価している言葉がある)。
終章は戦後のブラッケトの挙動に関するものだがORとはスパッと縁を切って、政治的な言動が目に付く。そんな中で米物理学会が彼の歴史をたどるプロジェクトのためにインタヴューすることになる。その際彼はきっぱりテープ取りもノートを取ることも拒否する。そのときの台詞は「Why should I tell about my personal life?」であった。確りした伝記が存在しないのはここにあるのだ。
因みに著者は米国のジャーナリスト・戦史家で米国のORにかなり紙数割いているのは、この本が米国で売られることからきているのであろう。米国籍ながら英国風に“OperationalOperationsではなく)”としているところに、(勝手な邪推だが)著者の人柄(先輩に敬意を表する)が偲ばれ、好感がもてた。
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以上

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