2013年9月22日日曜日

ブログ雑談-3;地方文化と交響楽団


今日(22日)は午後から東京フィルハーモニーの定期演奏会に出かけた。場所は渋谷のオーチャード・ホール、演目は、ロッシーニ;歌劇「セミラーミデ」序曲、ストラヴィンスキー;バレイ組曲「プルチネルラ」それにメンデルスゾーン;交響曲第3番「スコットランド」である(指揮;園田隆一郎)。
もともとクラシックファンでないものの、歳とともにラジオで聞き流すなら耳慣れた古典が落ち着くようになり、生にも関心が向くようになっていった。そして4月からおよそ隔月で開かれる東フィル定期演奏会の会員になった次第である。今までの3回はベートーヴェンの第5を始めよく知った曲が多かったのでそれなりに集中できたのだが、今回はいずれも馴染みが無い。つい変な方向へ気が向いてしまう。「来年もこの交響楽団の会員を続けるか否か?もしここでなければどうするか?」。N響にしようという気は全く無い(巨人同様いくらでも希望者はいるのだから)。気になっていたのは(実は東フィルに決まるまでにも)神奈川交響楽団である。
数年前から債務超過が話題になり、財団法人資格(新たな公益法人化条件)を維持できるかどうかが問題になっている。このハードルはかなり高いようで、他の交響楽団も同じような悩みを抱えているところが多いようだ。しかしである。横浜市は大都市として東京に次ぐ人口(東京都;1300万人、横浜市;370万人、大阪市;270万人)でありながら、交響楽団一つも支える力が無いとは信じがたいことである(神奈川には横浜のほか川崎;150万人、相模原;70万人の政令指定都市がある)。これは横浜市民として恥ではないか!どうしてこんなことになるのだろう?“東京”フィルを聴きながら、つい妙な考えに取り付かれてしまった。
この考えはさらに突飛もない方向に向かう。これも数年前、横浜ベイスターズが住生活グループ(現LIXIL)に身売りする話が出たことである。ファン(当然私もそうである)は横浜にフランチャイズが残るならオーナーはどこでも良いと思ったが、住生活は新潟・富山方面を考えていることが分かり破談になってしまった。広島・札幌・仙台は無論、東京周辺の埼玉(ライオンズ)・千葉(ロッテ)も、地場の存在感では決して東京(巨人、ヤクルト)に負けていない。「何だ!日本第2の都市が、プロ野球球団一つ抱えられないのか!」
交響楽団とプロ野球チーム、随分性格の異なる世界だが、どちらにも共通するのは、熱狂的な地元ファンが少ないこと(巨人ファンばかり)と強い個性が感じられないことである(野球でいえば広島や中日、交響楽団では「ここに泉あり」の映画で有名になった群馬交響楽団;ここは既に公益法人化している)。もともとはいずれも欧米から来たもの。明治になる前に開港してハイカラ文化に真っ先に馴染み、歴史をたどればこの地が発信地とも言えるのに、何故このていたらくなのだろう?
住んでいても“じゃんじゃん”言葉を除けば“横浜文化(?)”を感じるようなものは無い。もともと独自(都市)文化など無かった地方なのだろうか(この点では、大阪、京都、名古屋には“都市”としての歴史がある。神奈川県でそれらに比肩できるのは鎌倉だが、こことて八幡宮や寺院(つまりハードウェア)に微かな面影程度しか残っていない。作家や画家など“文化人”は多数居住するが土着の匂いは全くしない)?どうやらこの辺り(都市としての長い歴史が無い土地)がその遠因であるような気がしてきた。

やはり来年は神奈川交響楽団を応援しようか。生演奏を聴きながら、妙な考えに取りつかれた午後だった。

2013年9月19日木曜日

ブログ雑談-2;旅先の大雨


16日の台風18号は昼日中だったのでTVでその凄さを実況体験した。特に、びっくりしたのは京都嵐山・桂川の渡月橋を洗う濁流である。一昨年1月桂離宮を見た後、嵐山口駅からあの中州を歩き、橋を渡ったところの茶店で休んだだけに、“まさか!”の思いでTVに釘付けになった。
3連休の最終日、観光客にとっても、夏休みの外国人も含めて、大変な一日であったろう。別のシーンで新幹線運転再開を待つ人々が、その知らせを見て「ウォーッ」と一斉に声を上げるところで、20077月半ば英国での体験が思い起こされた。
その年は今年の日本同様、英国もしばしば異常豪雨に見舞われ、ウィンブルドンは中断、名物のアスコット競馬では正装した紳士・淑女がずぶ濡れになっているのをTVで目にした。
渡英2ヶ月、スコットランドとの西部国境に近いランカスターの町(湖水地帯に近い)に滞在していた私は、旧友を訪ねてイングランド南西部の工業都市ブリストルを訪れ、その後コッツウォルズの村々を巡る旅に出た。
ブリストルで2泊しで四半世紀ぶりの再会を楽しみ、そこでレンタカーを借りて、コッツウォルズに向かった。初日は天候にも恵まれ、チッピングカムデン、モートン・イン・マーシュ、バイブリーなどの美しい村々を廻った後、バフォードの旅籠に投宿した。
 翌日は雨、チャーチルの生家、ブレナム宮殿訪問がこの日の主目的。宮殿内の見学が中心だから雨でもあまり差し障りは無かった。しかし、昼食後バフォード経由でブリストルへ戻る道は想像を絶する状態になっていた。雨で冠水した道路、その中で立ち往生する車、こちらも道を間違え、雨の中を右往左往したが、何とかブリストルのクルマ返還場所に帰り着いた。あとは駅に行き、予約した列車はとうに時間が過ぎているが、まだ帰る列車はある。駅で切符の変更を求めると「今日は大雨で英国中の列車は全て止まっています!」「英国中!?」。それほどの広域豪雨だった。
何とかブリストルで泊まったホテルに一部屋とることが出来、そこで観たTVは当に16日の日本と同じ。鉄道は止まり、道路は寸断、空港も閉鎖。
翌朝は晴れていたがTVの伝える交通情報は悲観的なことばかり。それでも駅に向かった。駅は当然混乱状態、案内に問い合わせると「ランカスター方面の直行線は冠水で使えない。可能性のあるのは、先ずロンドン(ブリストルからは東になる。2時間弱)へ出てそこから島の東側を走る線で北のヨークまで行き、そこから西へ向かう線を利用するのが唯一の解決策」「Long Wayになるね」とのこと。
ロンドンにはいくつかのターミナル駅がある。ブリストルからの到着はパディントン駅。ブリストルでの案内は、そこで地下鉄に乗りキングズ・クロス駅に行きヨーク方面へ向かう列車に乗れと言うものだった。しかし、前回ロンドンを訪れた時、ランカスターからの列車はユーストン駅が終着だった。もしかするとこの線が動いているかもしれない。パディントン駅の緊急対応案内者にこのことを確かめたが、「ユーストン発の北行きは動いていない」との答え。それでも迂回線はあまりにも遠回りだ。ダメもとで取りあえずユーストンで下りてみた。やはり列車は動いていなかったが、大勢の人が出発表示板を見つめている。しばらくすると「ワォーッ」と言う声が上がった。プレストン・グラスゴー方面の列車が表示されたのだ!ランカスターはその途上にある。何とか明るい内にアパートに帰りつくことが出来た。
前回ドイツ鉄道のいい加減さを書いたが、英国の鉄道に関する限り、大規模なトラブル時の利用客対応はそれほど日本と違いが無かった。それにしても、英語がほとんど通じない日本で、16日の台風に遭遇した外国人観光客は、私の苦労どころではなかったろう。
(本件については、本欄「滞英記-号外編:910の間」に詳述しています。


2013年9月16日月曜日

敬老の日

5歳の孫から届いたはがきです。

2013年9月14日土曜日

ブログ雑談-1;ドイツの鉄道


7月初め長く勤務した川崎工場のOB会があった。その会場でかつての同僚で本ブログの閲覧者の一人から「一言伝えておきたいことがある」と切り出された。聞けば私がこのブログで連載している「今月の本棚」に関することである。“いつかドイツを鉄道で旅してみたい”そんな思いもあり今年に入って「ペーターのドイツ鉄道案内」「ドイツものしり旅行」「ドイツ町から町へ」などを取り上げ、鉄道旅行の素晴らしさを紹介してきた。いずれの本もドイツの鉄道は正確で、快適であるように強く印象付けられた。ドイツ旅行なら鉄道が一番!が文意である。
しかし友人の語ったことはそれとは真逆であった。「イヤー、酷い目にあったよ!スケジュールは滅茶苦茶、情報も全く得られず、右往左往させられた」と言うのだ。特に特急は他国と跨るのでそちらの方の影響もあったらしいが、代替輸送などの手立てが打たれる気配も無かったと言うのだ。メンバーは皆昔の同僚、海外滞在や出張も多く、英語のコミュニケーションには困らない連中にしてである。その場で書物からだけの知識で、ドイツ鉄道事情を礼賛したことを詫びたことは言うまでも無い。
原因の一つは、「ものしり旅行」と「町から町へ」の内容が、EU成立以前の情報がもとになっていることにあったようだが、「ペーター」は昨年の出版、しかも著者はドイツ人である。確かに“あとがき”に「状況は刻々変わるので、出かける前に確認を」とあるが、「マア、結びとしての常套句」ととっていた。
ところが、9月初め(8月終わり?)の日経新聞夕刊に“ドイツの交通サービス混乱”と言うような記事の中に鉄道が出た。それによると、経営者側の合理化策が厳しすぎで、運行や駅管理の人員、保守要員などがタイトになり、頻繁に遅延や運休が起こっているのだと言う(経営側は労働組合側に問題ありと反論しているが)。

そしてこれは今月(9月分)の「本棚」で紹介する予定の「住んでみたドイツ 82敗で日本の勝ち」に“サービスが皆無のドイツの鉄道で”と言う項があり、鉄道の混乱は日常茶飯事、トラブルの原因や代替処置説明など全く無く、この不便をじっと耐えるドイツ人の姿が活写されている。どうも鉄道に限らず、社会活動全般にドイツには日本のような“サービス精神”は無いようだ。何か“ドイツの本質”を見た思いがする。

2013年9月5日木曜日

美濃・若狭・丹波グランド・ツアー1500km-25(最終回)


20.グランド・ツーリング総括
たった34日のドライブ行を3ヶ月以上かけて書き連ねてきた報告もこれで終わる。
この間訪問地では数々の出来事があり、その都度、初めて訪れた土地々々が身近なものになってきた。8月半ばには、最初に泊まった郡上八幡で名物の郡上おどりが舞われ、「ア!あれは職人町の通りだ」と声を上げてしまう。7月下旬の福井地方の集中豪雨では越前大野がTVに登場「あの品のある町が大事にならぬよう」願うばかりであった。7月半ばには二泊目をした三方五湖の一つ水月湖がNHKで紹介される。2006年この湖の湖底の土が73メータ(7万年分)にわたり採取され、日英の学者による分析結果が、歴史の年縞の「標準時」に決まったのだ。厳密には縞状に堆積した土の中の放射性炭素(炭素14)の含有量を考古学や歴史学で年代推定の原器として使うのである。文中にも書いたように、あまり知られぬ湖だけに嬉しかった。
報告を読んだ閲覧者の皆さんからの訪問地に関する想い出コメントも楽しかった。神戸での癌の大手術のあと、しばらく城崎温泉で療養した友人は、コウノトリの想い出話を寄せてくれた。旅の楽しみの過半は計画作りにあると常々書いているが、このように後の楽しみも決し少なくない。
今回の旅では越前大野と城崎が特に印象深かった。越前大野は町全体が伝統保存と時代変化をほど良くバランスさせており、観光と日常生活が密着している感じが強く、「全ての日本の地方都市がこうだったらな~」と思わせるところがあった。
三泊目をした城崎温泉も自制の効いた良い町であった。とにかく温泉地にありがちな歓楽の雰囲気がないのが嬉しかった。だからと言って鄙びていたり、辛気臭いわけでもない。チョッと自宅からは遠いが今度は寒い時に鉄道で出かけてみたい。
食べ物は季節的にあまり適当な時期ではない。鮎は解禁になっていなかったし、蟹はシーズンが終わっていた。しかし、あまご、鯉、鮑などそれに代わる美味を味わえたのでそれほど不満はない。むしろサービスの仕方で差が出るのを密かに観察するのも楽しみのうちであった。その点で城崎温泉の西村屋本館はベストの評価が出来る。
さて、私の最大の関心は道である。今回山岳道路は郡上八幡から越前大野へ抜ける国道158号線(越前街道)のみ。美濃白鳥から旧道を走った部分は全くの独走、ヒルクライムの醍醐味を堪能した、つづく九頭竜湖に沿う道筋も、新緑が芽生え始め快適なドライブを楽しめた。このほかでは、短い距離だが三方五湖レインボーラインも明るい西日の中の運転と景観が期待通りで、変化のある二日目のドライブを好感触で締めくくることが出来た。
それに反し期待はずれは丹後半島周回で、部分的にはともかく、それほど面白い道ではなかった。特に、半島先端の経ヶ岬の先に小山があり、海を一望できない失望感は計り知れないほどだ。グーグルアースなどでもっとよく地形を調べるべきだったと反省しきりである。
城崎からの帰路640kmは現役時代も含め、外国を除けは(フェニックスからグランドキャニオン往復800kmを行った)、一日の最長走行距離であるが、城崎から40km位で自動車専用道に入れたので、道そのものの心配はなく、その点では苦労の少ないルートだった。さすがに疲労感は随所に及び、数日抜けなかった。この辺りが限界と悟った次第である。
総走行距離;1500km、総燃料消費量;132L、総合燃費;11.34km/Lであった。

長い間ご愛読いただき、有難うございました。

追記;家を出た日、しばらく後方でドーンと言う音がしていた(これより以前から出ていた)。しばらく走ると出なくなり、二日目以降は収まっていたが、帰宅後再発した。再現するタイミングが微妙なので、ポルシェにしばらく預けて調べてもらうことにした。分かったことは、エンジンへの空気取り込みダクトの固定部分にあった。ゴムのブッシュを挟んで車体に固定されているが、このゴムが経年劣化して、寒い時には硬く固まり、締め付け部が緩む。暖かかくなると柔らかさが戻るので、衝撃が起きない。ゴムブッシュの交換はせず、増し締めで現在はおとなしくなっている。

(写真はクリックすると拡大します)


-完-