2013年11月7日木曜日

フランス紀行 南仏・プロヴァンス・パリを巡るー(10)


10.マルセイユへ
フランスの二日目、928日(土)の朝は薄曇りだった。今日の行程は、午前中はバスでマルセイユまでの移動。昼食を摂ったのち、夕食まではマルセイユ市内観光。ディナーを済ませあとは当初の予定とは異なり、市内には泊まらず、西に向かいマルセイユ・プロヴァンス空港の近くのホテルに泊まるとのこと。どうやら何か大きな催しがあり、ホテルどころか日本語を話すガイドも確保できなかったらしい。
4年前この地方の旅行を計画した時、マルセイユに立寄る考えは全く無かった。それほど観る所も無いし、治安も良くないと聞いていたからだ。漠然とした印象はジーン・ハックマン主演で数々のアカデミー賞に輝いた映画「フレンチ・コネクション」(NYの刑事が麻薬組織を追ってマルセイユで大活躍)に影響された“犯罪港湾都市”である。しかし、ツアーのパンフレットにそこへいくことが記されているのをみて、ふと過ぎったのは戦前(明治・大正)欧州(特にフランス)へ渡った日本人はここから上陸した人が多かったことである。無論往時とは街の佇まいは変わっているだろうが、それでも地形全体は昔のままの筈だし、港湾や歴史的な建造物も残っている。一世紀前の日本人に戻ってみようと、気持ちを切り替えてみた。
ニースからマルセイユまでは220km位あり、高速道路を使っても3時間はかかるとのこと。本当は海岸沿いの下の道(カンヌとサン・ラファエルを結ぶ、コルニッシュ・ド・レステル;レステル断崖道路など有名な観光道路がある)を走って欲しかったが、ニースの町を出るとバスはA8と呼ばれる山側の自動車専用道路(有料)に入った。片道3車線で土曜日の朝だが結構クルマは多い。添乗員の説明だと、フランス人はケチだからなかなか有料道路利用が進まなかったが、政府があれこれ利用促進策(若い美女を料金所に配置とか)を講じ、やっと現在のような状態になったのだそうだ。
周辺は背の低い潅木が生える丘陵地帯、適度にワインディングしているので走り易そうだ。制限速度も、乗用車は130km/h、バスは100km/h、米国、英国よりも速く走れる。欧州人のクルマ好きと関係しているのだろうか?自動車専用道路の感じはどこの国も大差はない。時々インターチェンジやジャンクションが現れ、サービス・エリア(SA)がある。SAの機能は日本と同じで、食事・土産・トイレ・情報サービスなどを提供するが、日本のSAに比べると規模はそれほど大きくない。スーパー・マーケットのような東名海老名のSAをフランス人が見たら何と思うだろう。行程中ほどのSAでトイレ休憩したあと景観が少し変わってきた。ブドウ畑が左右に広がってくる。この辺はもう収穫は終わっているようだ。
少し家や集落が現れるとバスはA8を離れ、A52に乗り換え方向を南に転じる。家々の屋根はオレンジ色の瓦、壁は白いテラコッタで統一された風景が美しい。沿線に旅行施設・観光スポットを示す看板は時折見るものの、商業宣伝のそれは全く見かけないのも良い。さすが世界一の観光国だ。
やがて道は市内へつながる片道2車線のA501に変わり、家も密集して都会に近づいたことが分かるが、何か規制でもあるのだろうか、高層建築は市の中心地に入るまで全く見かけなかった。ダウンタウンに入ると添乗員がしきりと、以前(陸路では10年近く前、クルーズの添乗では5年前が最新)彼女が見た荒れた姿が著しく改善されたことを説明してくれる。「この通りはほとんどシャッター通りで、明るい時でも普通の人は近寄らない所でした」と。今はそんな所に大勢人が出て、土曜日の昼時を楽しんでいた。バスから見下ろすと明らかにイスラムと分かる人達(特に女性は被り物で分かり易い)や肌の黒い人も多く、フランス窓を持つ古いビルなども現れ、ここが国際港湾都市であることを示している。
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(次回;マルセイユ観光)

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