2013年12月21日土曜日

フランス紀行 南仏・プロヴァンス・パリを巡る-(20)


17. アルル
プロヴァンス地方の観光も残すは半日。ポン・デュ・ガールの水道橋を出ると道は南東にガルドン川に沿って下り、ローヌ河西岸に達する。一帯は平坦な草原と言うか畑地と言うか、明るい日差しの中にのどかな風景が広がる。あまり車の往来もない田舎道を進んでいくと、やがて見えてきたのは、運河に架かる黒い跳ね橋が在る所。ガイドのMTBさんが「これがゴッホの跳ね橋と呼ばれているところです」と説明しながら「本当に描いたのはここではないんですがね・・・」と続ける。1960年にここに復元され爾来“ヴァン・ゴッホ橋”と名付けられているのだ。
画集などに掲載されている絵では色は白いが、ここにあるのは黒っぽく、動かないように鉄棒で岸に固定されている。手前(南側)に石の橋がありここからゴッホ橋を背景に写真を撮るのが定番らしい。この地方を代表する名所なのに我々以外は誰もいない。思い思いに写真撮影できた。
次は午後のメインエヴェント、アルル訪問である。アルルと聞いて日本人が先ず思い浮かぶことはビゼーの歌劇「アルルの女」ではなかろうか?私の場合はこれしかなかった。しかし有名な第2組曲の一部“ファランドール”は知っているものの、筋は全く知らなかった。ビゼーの作品では何と言っても「カルメン」が最もポピュラーだが、「アルルの女」も男女の四角関係、その一人は闘牛士だ。これは昔仏文学を専攻したというガイドとの雑談で知らされた。きっかけはローマ遺跡の一つ円形闘技場を訪れた時で、いまでも闘牛がここで行われていることと関連付けて、「アルルの女」が闘牛に関係すること、戯曲の作者はこの後訪問する風車小屋に縁のあるドーデが書いたものであることなどを語ってくれた。
アルルの町(かなり海に近い)は紀元前にギリシャ人によって開かれ、シーザーのガリア遠征でローマ軍の拠点となった。従ってこの円形闘技場以外にも浴場、古代劇場跡、城壁や門などが残っており、歴史探訪だけでも盛り沢山。円形闘技場の最上部からローヌ河と町全体が展望でき、統治に適した地形であることを実感させられる。
早々に闘技場を引き揚げ、次に向かったのは街の中心部、カフェやお土産物屋が軒を連ね、観光客が行き交う賑やかな場所である。「ここが“夜のカフェテラス”を描いたところです」黄色く塗られたそのカフェは確かにゴッホの絵にそっくり、今でも往時の姿をとどめており、近くには絵を複写した案内板が置かれていた。
ゴッホがゴーギャンの前で耳を切り落としたことはよく知られている。明るい陽光に惹かれこの地に画家仲間たちが集まってくるが、いずれも個性の強い面々、ゴッホはそこで精神を病んでいったのだ。収容された病院は現在市のカルチャーセンター“エスパス・ヴァン・ゴッホ”として残されている。ゴッホはここに入院中も中庭を描いており(“アルルの病院の庭”)、先ほどのカフェ同様、案内板にその絵の模写がはめ込んである。とにかく2年の滞在中に描いた作品は300を超えるといわれているから、北國育ちの彼にとって光と彩に満ちたこの地は良くも悪くも精神に強烈なインパクトを与えた土地だったのであろう。この病院から修道院付属の精神病院に自ら欲して移り、それから数か月後パリで拳銃自殺をする。アルルに来てからその死までわずか25か月の短い期間であった。

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(次回;アルル;つづく)

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