2014年1月29日水曜日

フランス紀行 南仏・プロヴァンス・パリを巡る-(28)


20.パリ-4
102日(水)薄曇り。ツアーの現地プログラムは本日の朝食で終わり、夕方まで自由行動で7時過ぎホテルから準備された専用バスで空港に向かう。我々はさらに2泊するので、朝食の場で見かけたメンバーや添乗員のOSNさんにお別れの挨拶をする。こちらはこれからがパリ観光本番である。今日は午前中のヴェルサイユ宮殿訪問と夜のキャバレー“ムーランルージュ”でのショー見物。その間午後はエッフェル塔にも上る予定にしている。
ヴェルサイユ行はマイバスのオフィスを8時半に出発となっているので、早目に朝食をとる必要がある。レストランでツアー・メンバーであることを告げたが、受け付けは怪訝な顔をして「あなたの部屋番号は登録されていない。有料になるがいいか?」言う。「(延泊がらみの行き違いと思い)OK」と答えて食事をしていると、後から来たメンバーも何やらトラブッている。「取り敢えず有料でOKと言えば食べられますよ」と助言。案の定帰り際に「サインは必要か?」と問うと「フロントの手違いでした」の返事で1件落着。
早朝のサン・ラザール地下鉄駅は通勤客が激しく動き回っている。東京と変わらぬ光景だ。車内の状況も同じで、スリに気を遣う。オペラからマイバスへの道もサラリーマン・OLが足早に歩いている。朝から遊びの身分が申し訳ない。
マイバス・オフィス前からは市内半日ツアーや遠いモン・サン・ミッシェル(砂嘴の先の古城)行など沢山のツアー・バスが出発するので行先別にまとめられる。ヴェルサイユ宮殿観光に向かう客は30人弱おり二人のガイドが付くことになっている。二人(男女)とも日本人である。
オフィスを出ると(実際の出発は9時少し前)、ヴェルサイユ宮殿はパリ西方15㎞位の所に在るので、バスはシャンゼリゼ大通りを北西方向に進む。凱旋門広場の大ロータリーは朝のラッシュで大渋滞、通り抜けるまでの運転ぶりは一興であった。しばらくそのまま西に進み環状道路に入り反時計回りに走る。右側には鬱蒼としたブローニューの森が広がるのだが、ここも大混雑だ。少し流れが良くなるのは環状線を出てA13と言う西へ向かう自動車専用道に出てからだ。セーヌの右岸に沿う道からの地形は河から南斜面になっており、高級住宅地として人気のあるところらしい。やがてバスはA13を降り南へ向かう一般道に入るともうそこは宮殿に近い市街地になり、少し進むとバスの降車場になる。ここから直接宮殿は見えないので、あの広大な宮殿が間近にあるとはとても思えない。しかし、通りを抜けて宮殿広場に達すると、黄金に輝く門扉や屋根が目の前に現れ、その大きさと煌びやかさに圧倒される。聞けばこの宮殿は2007年まで大がかりな修復工事が行われており、金ピか塗装はその一端なのだそうだ。
43年前のパリ観光ではとてもここまで出かけてくる時間はなかった。今回のパリの目玉の第一がここを訪れることであった。何を観たいのか?無論ルイ14世が50年かけて作り上げた世界最大の宮殿そのものに惹かれたことも大きいが、現代史のターニングポイントとなった第一次世界大戦終結の条約調印(この条約の不備が第二次世界大戦を惹起したと言える)が行われた“鏡の間”で往時を偲んでみたかったのである。
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(次回;パリ;ヴェルサイユ;つづく)

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