<今月読んだ本>
1)ありえない決断(フォーチュン誌編);阪急コミュニケーションズ
2)世界を変えた17の方程式(イアン・スチュアート);ソフトバンク・クリエイティブ
3)蠅の帝国(帚木蓬生);新潮社(文庫)
4)連合国戦勝史観の虚妄(ヘンリー・S・ストークス);祥伝社(新書)
5)太平洋の試練(上・下)(イアン・トール); 文芸春秋社
<愚評昧説>
1)ありえない決断
1985年東燃の子会社システムプラザ(SPIN)が創設され1988年役員になった。この時点で東燃を退職、2003年社長を退くまで会社経営に15年間当たった。親会社が100%株式を保有する完全子会社(1998年まで東燃、その後は横河電機に譲渡)だったが、経営の自由度は高く、株式公開を目指して、プロパー社員を雇い、親会社依存も年々減少させていった(退任まで売上は右肩上がり、利益は変動したものの、一度も赤字にはならなかった)。この間経営理念を定め、経営計画やそれを実現するための戦略・戦術策定に携わったが、率直に言うと計画や戦略は従業員や株主向けの願望・指標で、常時考えていたことは“如何に生き残るか”の戦術・戦闘レベルに尽きた。この生き残りのために数々の決断をしてきたが、会社をドラスチックに変身させるものは何も無かった。環境変化が早く、大化けの可能性もあった情報サービス産業において経営者として飛躍のチャンスを作り出せなかったことに忸怩たる思いが残る。
この本に取り上げられるのはSPINと違い、大部分世界的に名を知られた大企業であり、それらの経営上の転換点がどのようにもたらされたかを経済誌フォーチュンの記者・編集者が18の事例で紹介したものである。意外なことはそれら変革の決断が周到に検討された結果ではなく、“成り行き上仕方なくそうなった”
(ありえない決断)ことである。何のことはない、これではSPINの経営とあまり変わらない。これが読後感である。
一時日本で話題になるビジネス書はMBAコースで教えられる経営戦略論や米系経営コンサルタントが書く華々しい成功事例だった(今でもその傾向はあるが、かなり薄まってきているように感じる)。その一つに1980年代ベストセラーとなったトム・ピーターの“エクセレント・カンパニー”がある。IBM、HP、3Mなどを取り上げエクセレント・カンパニーであることの共通条件などを抽出して「なるほど」と思わせる内容であった。本書“ありえない決断”を読んでいてフッと頭を過ったのがこの“エクセレント・カンパニー”である。前者はエクセレント・カンパニーに共通要件があることを強調し、後者はエクセレント・カンパニーになったのはたまたまそうなっただけであることを具体的に述べていく。一体どっちが正しいのだろう?結果は出ている。著書“エクセレント・カンパニー”の場合、のちにこの中に記載された何社かが倒産し、トム・ピーターが「あれはでっち上げだった」と白状することになる。
取り上げられるのは18社、米企業15社(ボーイング、フォード、ウォールマートなど)とアジアの3社(トヨタ、サムソン・グループ、タタ製鉄)。転換点は製品、人(経営者)、サービス、マーケティング、教育・従業員管理・処遇・リストラなど多種多様。
面白い例を一つ;ノードストローム(百貨店;私もヴァージニア・フェアファックスの店で買い物をしたことがある);「返品はいつでも(使用後でも)、領収書などなしでも可」これが転換点である;シアトルの靴屋から発したが「返品でもめるのが面倒だったから(返品がそうしばしばあるわけではないとの認識から)」と言う理由でこの返品制度を始め(1930年代)、売り上げを伸ばす。行動経済学の視点では返品を認めないことより認める方がその店で購入する意欲が向上する(現中国は通常返品を認めない。これが消費者の購買意欲を減退させていることをこの中で紹介)。
どうも経営の転換点は、良い状況下よりは困難に直面し止むに止まれず選んだ選択肢から生まれるらしい(当然ある種の熟慮は必要だが)。つまり弱者の生き残り策こそ現実に効力を発すると言うのが共通点と言える。SPINの経営は当にこの弱者生き残り施策であった。
基本的には経営書だが、読み物としてもなかなか面白い(例えばタタ経営とゾロアスター教の関係;タタ家はゾロアスター教徒)。
2)世界を変えた17の方程式
数学史に関する本は何冊か読んでいるがベストは1937年初版のE・T・ベル(スコットランドから移住した米国人;米国数学者協会会長)の著した「数学をつくった人々」(最新邦訳;2003年刊早川文庫3分冊)につきる。タイトルにあるように、この本は人を中心に書かれているが、有史以来の通史としてはこれに代わるものは今後も出ないだろう。ただ初出の年を見て分かるように、取り上げられる時代が19世紀末期までなのでその後の現代数学が欠落している。
航空機の出現、核物理学・量子力学の進歩、ロケット・衛星による宇宙探査・研究の広がり、電子・情報・通信世界の大変容、医学・生理学における数理の深まり、数値解析の塊ともいえる資源開発、経済活動における金融工学の誕生など20世紀に花開いた身近にある科学技術とその応用を見るとき、そこにおける数学の役割と発展の過程を理解しておくことは現代人必須教養と言えるのではなかろうか(教育審議会委員の某女性作家のように「数学など私の人生には何も役に立たなかった!」と言い放つ人も居るが…)。本書はこの“(世界を変えた)役に立つ”視点でまとめられた一つの数学史である。
取り上げられた方程式は以下の17;( )内は利用例などに関する私の補足
1.ピタゴラスの定理(測量、航海術)、2.対数(計算スピード、精神物理学;ヒトの知覚)、3.微積分(面積・体積、数理物理学)、4.ニュートンの重力法則(宇宙物理学、衛星利用技術;通信・放送・GPS)、5.虚数・複素数(波・熱・電気・磁気の理解)、6.オイラーの多面体公式(位相幾何学、DNA鎖の解析)、7.正規分布(統計データの利用法)、8.波動方程式(波の理解;水・音・光・機械振動・地震、通信技術、音楽理論;和音)、9.フーリエ変換(振動解析、画像処理)、10.ナヴィエ=ストークス方程式(流体力学;航空から血流まで)、11.マクスウェル方程式(電磁力学;ラジオ・TV・コンピュータ・ワイヤレス技術)、12.熱力学第2法則(熱機関、再生エネルギー利用)、13.相対論(核利用、宇宙解析、GPSの精度向上;ニュートン力学では限界)、14.シュレーディンガー方程式(量子力学;ミクロ世界の物理学を大変革;IC素子開発に不可欠)、15.シャノンの情報理論(コンピュータ・通信利用、暗号、DNA研究)16.カオス理論(一見出鱈目に見える現象にも数学的な秩序があると言う理論;気象予報、地震モデル、生態系解析、宇宙探査機の効率的軌道)、17.ブラック・ショールズ方程式(金融工学)
“方程式”を解説する内容なのでどうしても数式が主役になる。この点で数理系に馴染みのない人には一寸取っ付き難い面があることは否めない。出来れば高校の数学程度の予備知識を持っていることが望ましいが、大雑把な意味をつかめれば(著者はそのための努力をしている)数式をきちんと追えずとも、何故こんな世界に数学者が関わるようになり、結論までたどり着いたかを理解できるし、遥か後年数学者自身が予想もしなかった利用分野が展開していくことにその特異な好奇心と世界観の大きさに畏敬の念を感ずるに違いない。
著者は英国学士院(王立協会)会員の数学者、ポピュラーサイエンス書の著者として世界的にも有名な人。専門外の読者の集中力が途切れぬよう意を用いた書き方をしている(数学者の私生活や先陣争いなどを挿入)。翻訳者も理学部出身者だが、文章が良くこなれており“翻訳調”でないので読み易い。一寸歯ごたえはあったが、新年早々良書を読んだ、との読後感である。
3)蠅の帝国
この作家(帚木(ははきぎ)蓬生;このペンネームは姓・名とも源氏物語からきている)のデビュー作ともいえる“ヒットラーの防具”は十数年前に文庫本で読んでいる。それがなかなか面白かったので引き続き“逃亡”も読んだ。中国で残虐行為に関わった憲兵の逃避行を扱ったもので柴田錬三郎賞を受賞している。いずれも私の好きな軍事サスペンス、佐々木譲(ベルリン飛行指令、エトロフ発緊急電、ストックフォルムの密使、ワシントン封印工作)と並んでこの分野では大いに期待した作家たちだったが、帚木は医療分野へ佐々木は警察物に舵を切り替えてしまい、その後は手に取る機会がなかった。そんな著者が久しぶりに軍事物(副題;軍医たちの黙示録)に戻ってきた。それが読んだ動機である。
しかし、中身は前2作とは大違い、ほとんどノンフィクションと言っていいものであった。15人の軍医が関わったその世界の短編を集めた構成になっており、巻末に挙げられた参考資料を見ると医療関係週刊誌“日本医事新報”と“学士鍋”と名付けられた九州大学医学部同窓会誌の掲載記事と思われるものが多数列挙されている。つまり素材は別人(軍医経験者)が書き、それに著者が手を加えてまとめたものと推察される。このような場合、普通は帚木蓬生“編”とすべきものではなかろうか?当然著作権問題など解決済みなのであろうがチョッと違和感をおぼえる。因みに著者は九大医学部出身(それ以前東大文学部を卒業TBSに短期間就職した後医学に転ずる)の精神科医である。
期待した小説としての面白味はなかったものの、ノンフィクションとして“知られざる世界”を知るという点において、一人の軍医が書いた回顧録とは違った“数のエネルギー”で過酷な現場を、臨場感を持って伝える。
登場するのはほとんどが医学校(専門学校、大学)を卒業(繰り上げ卒業が多い)したばかりの若者、手術など見学だけしかしていないのに第一線(必ずしも戦場ばかりではない;軍病院や被災地)に送り出され、医療器具や医薬品に事欠く中でその任に当たり悪戦苦闘する。あるいは戦闘の指揮(これは本来兵科士官・下士官の専権)など許されていないのにそうせざるを得ない環境に置かれる。死体確認は軍医の仕事、これがはっきりしないと戦死としての扱いが出来ない。バラバラになったり、黒焦げになった死体、腐敗で蠅と蛆に覆われた死体を検める。場所も、日本軍占領下の中国・東南アジア、B-29の猛爆にさらされる東京、原爆投下直後の広島、ソ連軍が突如侵攻してきた満州。とても平時の軍医活動から推し量られるような“医師・医療”の世界ではない。
特殊な専門職ゆえ戦後も他国の軍隊に拘束されたり、軍事裁判に被告や証人として駆り出される者も出てくる。栄養失調で弱ったり死んだ捕虜の扱いの責任を問われたりするのだ。
完全な小説(作り話)仕立てでなかっただけに、15人それぞれの主人公の心情がそのまま読者に伝わるところが本書の持ち味であろう。これだけの異常体験をし、生き延びた医師たちのその後を知りたいものである。
追記;帯の裏に著者の自筆で「擱筆まで死ねない!急性白血病と戦いながらの執筆でした」とある。そう言う本だったのだ。
4)連合国戦勝史観の虚妄
書店で平積みになった本書の表題を見たとき「またホットな時事問題に便乗して・・・」との感を先ず持った。しかし著者名がカタカナで記されているので「?」 早速手に取り著者紹介を探し、それを読んで驚いた。オックスフォード大卒後ファイナンシャルタイムズに入社しその初代東京支局長、その後ザ・タイムズ東京支局長、ニューヨーク・タイムズ東京支局長を歴任、三島由紀夫とも交流があった赫赫たる経歴の英国人ジャーナリストである。
尖閣・竹島、従軍慰安婦、靖国神社参拝などで中国・韓国に“歴史認識”を問われている昨今、彼らの(政権維持用対日)歴史認識に真っ向から対峙するようなこのタイトルは何とも刺激的である。
中韓がこれを声高に主張する背景は、経済力が高まりその力が日本と至るところで拮抗・凌駕し始めたことと深く関係するが、もっと根源的なことは、両国が真に戦勝者と思えないような戦争終結であったこと(中国戦線は膠着状態;引き分け;連合国の一つであったことで勝者になれた、韓国はサンフランシスコ講和条約調印の場への参加も認められていない)と無縁ではないだろう。一方で日本人もあの戦争は米英(特に米国)と真正面で戦い、それに負けたとの認識が強い(敗戦間際ソ連の火事場泥棒的な侵攻にも圧倒されたが)。この勝者・敗者認識ギャップを何とか正したい思いが沸々と社会の根底にあり、加えて序列を重んじる中華思想(序列付け文化を東アジア不安定要因と考える欧米の国際関係学者がいる)がそれに重なって、歴史認識問題を複雑にしている。これは本書の内容ではなく、私の見解である。
本書では無論これらの問題(尖閣・竹島を除く)にもメスを入れ、従軍慰安婦問題など有史以来どこにでもあったこと、今次大戦で朝鮮人慰安婦だけが特別ひどい扱いを受けたのではないことを終戦直後の米軍調査報告などを援用しながら述べている。また南京大量虐殺事件が当時の国民政府のプロパガンダ施策に米人記者がうまく利用され、彼が米国で出版した書物の内容が今に至るもその出所となっていることなどを明らかにしている。
しかし彼がこの本で述べたいことの核心は、そのような直近の中韓が声高に非難を繰り返す個別問題ではなく、あの戦争(米英蘭との戦い;著者は敢えて“大東亜戦争”を使っている)の動機と戦後の日米関係である。動機について言えばあの戦争の大義名分“植民地解放戦争”はまさにその通りで、事実米国(フィリピン)、英国(インド、マレーシア、ビルマ)、フランス(日本と交戦していないが;インドシナ半島)、オランダ(インドネシア)の植民地が結果として(早く)解放されたことを高く評価している(英国では当然不評だが・・・)。極東裁判ではこれらの地域で収奪や残虐行為が行われたと断罪されているが、それまで何世紀にもわったてに宗主国が行ってきたことに比べれば、比較にならぬくらい穏やかなものだったとしている。
次いで問題にするのが現今の我が国の対米依存・追従姿勢である。護憲運動も含め、これでは保護国・植民地同然とバッサリ断じ、懇意だった三島由紀夫が決起した時の動機を詳細に掘り下げながら、あの時の三島の予言が当に今日の日本であることを憂い、「しっかりしろ!日本」と警告する。
そして、これら問題の背景にある我が国ジャーナリズムの偏向と政治家の言動に言及する。連合国戦勝史観を自虐史観に変じた朝日新聞をはじめとするマスメディアの罪(例えば従軍慰安婦;英語では普通Comfort Womanだが一部の日本の新聞が“性奴隷”と言う表現を使ったことで“Sex Slave”と訳されるようになり、印象が著しく悪くなった)、記者クラブ・番記者に慣れた(馴れ合い)政治家の脇の甘さを厳しく指摘。特に外人記者クラブでの対応には万全の準備で臨むべきで、それが出来なければ欠席する方がましと忠告する(例えば直近では橋下知事の慰安婦発言。古くは鳩山一郎、田中角栄などの失言)。とにかくもっと“英語で”であの戦争に関する歴史認識の歪みを正していけ!
率直に言って、著者のすべての主張に賛同(メディア批判は100%賛成)できるわけではないが、日本人が言ったり書いたりすると妙に観念的な論調になりがちなテーマを消化し易く書いており、歴史認識の再確認のための教材として多くの人に一読を奨めたい。
なお、この本は英語で書かれたものを翻訳したものであるが、日本語版しか出版されていない。英語版の出版が望まれる。
追記;あまりにもユニークな外国人による日本論なので、少し著者周辺に関わることを調べてみた。生まれは1938年(私より1年年上)、古い王家(現在の英国王室ではない)につながる家系。1962年に来日、爾来50年余在住。夫人は日本人。息子が一人いて英国の大学を出ており、日・英・中のトリリンガル。この三カ国で仕事をしているようだが、拠点は日本に在りFM放送のコメンテータなどしている。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者と言われ、外交評論家の加瀬英明氏との共著もある。こう見てみるとかなり日本人に近い英国人像が浮かんでくる。
5)太平洋の試練
アルフレッド・マハン(1840~1914)と言う米海軍大佐が著わした古典的な海軍戦略論「海上権力史論;The Influence of Sea Power upon History 1660~1783」(1890年刊)と言う名著がある。それはフランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語そして日本語にも訳され、彼は“かつて筆を執った中でもっとも影響力を持つシーパワーの学者”と称賛された。日本海海戦の立役者の一人秋山真之も米国留学前にこの書物に触れており、留学すると(1896年)直ぐに表敬訪問しその謦咳に触れている(2回)。その戦略の骨子は主力艦“戦艦”の“統合”運用と“攻勢”である。日本海海戦はその戦略論の模範的な適用例と言える。マハンはこの結果を「世界を大いに仰天させた事件」と書き残している。
このマハンの考え方は長く信奉され、第一次世界大戦終結後も変わらず、米国も含めどこの国も主力艦が“空母”に変わりつつあることに気が付く者は限られていた。そして1941年12月7日(日本時間8日)米太平洋艦隊に属する8隻から成る戦艦艦隊は壊滅し、日本の戦艦は戦闘にも加わらず温存されている。マハンの教義からすればこれで勝負の決着はついたことになる。しかし、無傷で残ったものに3隻の米空母(サラトガ、レキシントン、エンタープライズ)もあった(のちにヨークタウン、ホーネット、ワスプが加わる)。次代の海戦の主役、空母は双方に残り、やがて珊瑚海(世界初の空母対空母の戦い)次いでミッドウェイで激突する。
本書は題目の“試練”が示すように、ウォールストリート・ジャーナル書評見出し言うところの「我々が負け犬だった時」の日米海軍、特に機動部隊の揺籃期、真珠湾奇襲の成功、米国空母による反撃作戦(ドゥリットルによる日本爆撃など)、ミッドウェイでそれが逆転するまでの動きを追った海戦史である。太平洋の海戦についてはモリソンを始め多くの戦史家、作家、ジャーナリスト、軍人によって書き尽くされた感があるが、執筆時期や視点を変えて分析するとまだまだ新鮮な見方が出来る好例と言える内容であった。
一つは海軍組織文化といえる面である。両軍ともマハンの伝統を受け継いだ“大艦巨砲主義”が主流であったにもかかわらず、日本は6隻の正式空母からなる機動部隊で奇襲に成功する。しかし、これで“戦艦主力”の考え方が変わったわけではないし、航空兵科出身者が枢要な地位を占めたわけでもない。一方、米国側はこの攻撃から多くを学び、規定の年齢を超えてから操縦士資格を取り空母の艦長も務めた経験を持つキング合衆国艦隊司令長官兼作戦部長が率先して艦隊を母艦兵力中心へと一気に傾斜させる。この辺りの組織の持つ柔軟性の違いを、国内政治、上位指揮官の個性や経歴まで踏み込んで明らかにしていく(日本人では山本五十六に関してかなり詳しく調べている)。
もう一つは正面戦闘力の不備を補う情報戦に関する視点である。これは日本海軍の暗号“パープル”解読の話ではなく、傍受した雑多な通信から大変な努力を重ねて作戦計画を類推していく物語。今話題の“ビッグデータ”活用にも匹敵する作業をIBMパンチカード・システム程度の機械で行い、ミッドウェイ攻撃日を6月4日とピタリと当てる。著者は“情報戦”を勝敗決定因子の一つと見ており、この部分はかなり紙数を使って詳細に当時を再現、今までのミッドウェイ物に見かけなかった話題に満ちており、大いに興味を惹かれた。
いささか不満なのは日本に関する情報は英訳されたものに限られるのであろう、南京事件やドゥーリットル爆撃後中国に不時着した搭乗員捜索における中国民間人虐殺など、事実確認に疑義に残る情報をそのまま援用したと思われるものが散見されることである。歴史認識を糺す英語による発信が重要であることをここでも(“連合国戦勝史観の虚妄”同様)痛感させられた。
上・下巻合わせて700頁を超す大冊、価格も2冊で3200円。参考文献情報が充実しており(引用発言まで丁寧にリストアップ)、個人的には資料的価値を高く評価するが、戦史に特別関心を持つ読者以外は図書館で借りる方がいいだろう。
著者は1989大学を卒業(歴史学)したのちハーバード大学ケネディ行政大学院で修士号を得た海軍史家、処女作の「6隻のフリゲート艦」(米海軍誕生)で数々の賞(モリソン賞を含む)を獲得している。本書は2作目で、太平洋戦争について、マリアナ海戦までの作品、終戦までの最終編と続くようである。
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