2014年2月5日水曜日

フランス紀行 南仏・プロヴァンス・パリを巡る-(29)


20.パリ-4;ヴェルサイユ宮殿-2
パリの都心部から何故こんなに離れた場所に、避暑や狩猟のための離宮ではなくい本格的な宮殿を造ったのか?これには二つの理由があるようだ。一つはルイ14世が10歳の時体験したフロンドの乱(5歳で即位したが、母后と摂政が政治を取り仕切る。これが悪政で貴族の反乱を呼ぶ;フィクションだが三銃士が活躍;平定して絶対王政確立)の再現を恐れパリから離れたこの地に宮殿を設営し、貴族に一定期間この宮殿に留まるようにした;フランス版参勤交代のためである。もう一つは、当時王侯貴族の間で宮殿建設ブームが起こっており、誰にも負けない宮殿を造りたかったことも動機の一つだと言われている。
海抜がセーヌ河よりはるかに高いので、そこから水を引くため揚水機やローマ式水道を建設、膨大な木々を植え替えて庭園を造った。その手間のかかった運用(例えば噴水)仕掛けと、手の込んだ装飾で観る者を圧倒する豪華絢爛な宮殿でひと時を過ごすとき、17世紀(完成1682年;5代将軍徳川綱吉の時代)における彼我の財力・権力の差を痛感させられる。
宮殿は敷地の隅の一部にしか過ぎないが、庭園を含めた敷地面積は約百万平米。ツアーは⒑時に入り建物の主要な部分(礼拝堂、王や王妃の居住区、鏡の間など)の一部を足早に観て回るだけだが、それだけで1時間半位かかる。庭園を回るツアーはさらに3時間ほど要するので、半日ツアーでは宮殿前の広大なテラスから、文字通り幾何学模様で形作られた周辺のフランス庭園と遥か下方に在る十文字型に掘られた運河を観るくらいの時間しかない。運河のさらに先に在るいくつかの離宮(その一つはルイ16世の妃、マリー・アントアネットのために後年造られた;案内には宮殿から徒歩40分とある!)など残念ながら垣間見ることさえできなかった。
来た道を戻り環状道路に入ると北西の方面に高層ビルが林立する地域が遠望できる。パリの中心部の建物はほとんど19世紀に整備・建設された石造りのビルで、近代的なオフィスビルは見かけない(高さ制限37m)。一寸違和感を覚えるその一帯が新開発されたオフィス街なのだ。歴史的遺産と現代の共存、この辺りは奈良・京都も学んでほしい(が既に京都は景観破壊かなり進んでいる)。
環状道路からセーヌ河に沿って東に向かう道路片道3車線あるが相変わらず大渋滞。ルーブルに近づいた辺りでトンネルに入る。ガイドが「ここがダイアナ妃が自動車事故で亡くなった所です」と説明してくれる。少々のスピードで死亡事故が起こるような場所とはとても思えない。「やはり陰謀なのだろうか?」
ノロノロ運転はマイバスのオフィスまで続く。その間ガイドが昼食場所の案内をしてくれる。昨日周辺探訪で気が付いてはいたが、やはりこの辺は日本人が集まるところらしく、ほとんどのカフェ、レストランには日本語メニューがあるし、日本料理の店も多いようだ。その中に最近パリのグルメの間で人気の高いうどん屋が在るという。今回の旅行では今まで一度も日本食を摂ることはなかったが、午後の観光のためにはあまり昼食に時間をとりたくない。早速そこへ出かけてみた。「SANUKI」と言う名前の店はその名の通り、讃岐うどん専門店、テラス席、テーブル席、カウンター席があるカジュアルな店には昼時と言うこともあり、日本人客以外にも白・黒・黄入り混じって大いに繁盛している様子だ。店員はすべて若い日本人。麺もつゆまったく本土と変わりはない。久しぶりのきつねうどんに舌鼓を打った。
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(次回;パリ;つづく)

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