20.パリ-11;モンマルトの丘、オペラ座
シェークスピア&カンパニー書店を出た後セーヌ左岸をしばらく西に歩くと、地下鉄4号線のサン・ミッシェル駅、ここはサンジェルマン・デュ・プレに近く、道端のカフェの客もお上りさん観光客とはやや客層が違うようで、チョッとおしゃれな雰囲気である。我々も一休みしたかったが、まだまだ後のスケジュールがある。
次の予定はモンマルトルの丘に登りサクレ・クール寺院の前からパリを見渡すことになっている。4線で北に向かい東駅・北駅を経てバルベス・ロシュシュアールで2号線西行きに乗り換えアンヴェールまで行く(一駅先は悪名高いピガール)。東駅からピガール辺りまでは特に物騒な所と聞かされていたので緊張していたが、何事も無くアンヴェール駅に到着、駅は観光客でごったがえしており、その先の参道?も同じような状態。しかも小雨がぱらついてきた。登り坂の両側は土産物屋や飲食店が続き門前市を成している。とにかく参拝客・観光客の流れに身を任せてひたすら坂道を上ると白いドームの寺院が見えてくる。途中の道には黒人の行商人などが居りカバンなどを売りつけに寄ってくる。
やっと寺院前のテラスに着いて振り向くと、パリ中心部が眼下に広がる。残念ながら青空ではないが、この景観は上りの疲れを癒すだけの効果は十分ある。よく見るとテラスの下にケーブルカーの駅がある。そんな話は確かに聞いたことはあるが、地下鉄駅周辺にそれらしきものは無かった。駅舎の横に売店が在ったので清涼飲料を求め、雨も止んだのでベンチで一休みして、同じ道を下った。
アンヴェール駅から2号線で西に向かいピガールで12号線に乗り換えてサン・ラザールへ帰る経路が近そうだ。そのアンヴェール駅に着いてホームを歩いているとタイミングよく電車が到着、下車する人を待って車内に乗り込んだ。するとひとつ前のドアー辺りで何やら叫んでいる人達が居り、一人が急いで車外に飛び出し子供を捕まえ手にしていた財布のようなものを取りかえした。スリである。大人の女一人と男の子が二人。女と大きい子はホームのベンチに座っており小さい子が財布をスリ盗る方式らしい。どうみてもロマ(ジプシー)である。ドジをした小さい子を「おまえはなんて悪いことをするんだ!」と言うように大きい子が殴っている。バレタときのこの芝居はガイドブックなどに注意事項として記載されているが、眼前でそれが展開されるとは思ってもみなかった。43年前の早朝凱旋門近くを散歩中路地で小太鼓などを持ったロマの子供たちに囲まれ大声を出して追い払ったことが思い出され、ピガールでの乗り換えは警戒心を倍加させた。
サン・ラザール駅に戻ったのは4時過ぎ。まだまだ今日の観光は続く。次はオペラ座である。とは言っても観劇ではない。ナポレオン3世が命じて1875年に完成したものでミラノのスカラ座、ウィーン歌劇場などと並ぶ世界的なオペラハウス。建築家の名前から“ガルニエ宮”とも呼ばれる。パリに着いてからホテルに近いこともあり外観は毎日見ていたが、内部の見学ができることはムーランルージュで同席した人から聞かされるまで知らなかった。中に入って先ず感じたことは、観客席・舞台以外の空間の広さである。こんな広間やロビーが何故あるんだろう?と思うようなスペースが随所にある。どうやら種々の社交の場として用意された場所のようだ。そしてそれぞれの部屋の装飾が凝っている。天井まで描かれた絵画、照明用のシャンデリアや燭台、彫像、机・椅子などの家具。いずれも手をかけて描かれ、作られたことが容易に想像できる。これに正装した紳士・淑女が集うところを観てみたいものである。そこに加わりたいと思わないのは、明治期西欧人が画いた鹿鳴館のポンチ絵の滑稽な日本人の再来間違いなしだからである。
この日はフランス最後のディナー。オペラ座の正面の通り(キャプシーヌ通り)に在るレストラン“キャプシーヌ”で牛・赤ワイン・パスタで締めくくった。
(写真はクリックすると拡大します)
(次回;パリ;つづく)
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