2.設立記念パーティ
会社設立は1985年7月10日だったがTCS(東燃コントロールシステム)販売を除けばグループ内サービスが主だった業務だったし、従業員も役員2名は退職して新会社専任になったものの、他は総てグループ会社からの出向、社長も東燃常務の兼務だったから、実質的に情報システム部の延長。発足にあたって、儀礼的な催し新会社メンバーが講堂に集まり、社長の挨拶を聞くだけで特別なことは行わなかった。もう夏休みのシーズンも始まっており、外へ向けての活動はビジネス遂行上必要不可欠なパートナー(IBM、富士通、横河電機など)やTTECで既に始めていたTCS関連顧客への挨拶くらいであった。
そんな時、本社社長室から“新会社お披露目パーティ”の話が舞い込んできた。費用は本社負担、裏方の作業はともかく、準備も社長室を中心に東燃で進めてくれるとのこと。有難い話である。日時は9月19日、昼を挟んでの時間帯。場所は帝国ホテルと決まる。我々がやることは自社としての招待客リストの作成くらいだった。準備の最終段階で分かってきたことは東燃本体の招待客、特にNKH副社長の知己が多かったことである。全部で400人位に招待状を送ったが、我々のリストに上がっていたのは100人程度、あとは東燃であった。
当日もパーティが始まるまで一般従業員は関係会社役員対応など専ら裏方で、どんな知名人が来場しているのか知らなかったが、宴もたけなわになるとNKHさんがいろいろな方を紹介してくれた。政治家、キャリア官僚、石油・石油化学業界人、コンピュータ業界リーダー、金融関係者、学者・大学人、起業家などなど当に多士済々である。
記憶の残るのは、当時の通産省産業政策局長福川伸次氏(こんな偉い人がこの程度の会社(SPIN)のために時間を割いてくれたことに感激したし、それを可能にしたNKHさんの力をあらためて知らされた)、日本IBM社長の椎名武雄氏、富士通社長の山本卓眞氏と横河電機社長の横河正三氏(三人ともNKHさんの前で協力を約してくれた)、変わり種はリクルート創業者の江副浩正氏、既に起業家としての名声は高く、彼が入場してきたときにはその周辺がざわついたほどである。3年後のリクルート事件を知るものが居たのだろうか?学界からは日本を代表する数理工学者伊理正夫東大教授、この人はNKHさんと麻布中学・高校の同期生である。意思決定論・経済統計の権威宮川公男(ただお)一橋大学教授もおみえになっていた。
今ちょっと残念だったと思うのは、ソフトバンク孫正義氏のことである。この時代コンピュータは確実に汎用機からPCに移りつつあった。アスキーの西和彦氏(本パーティには呼んでいなかった)と並んで業界のその動きを代表する風雲児として知名度の高い人だった孫氏は病気療養中、招待状は出ていたのだが、出席したのは野村證券から移った中継ぎ役のOMR社長であった。まだ今のような大会社ではなく、PCソフトとコンピュータ雑誌を商う、中小企業だっただけに、もしあの時孫氏が出席し彼と知り合い、交友関係が出来、触発されることでも起こっていたらと思わないこともない。
社長を含む本社役員全員が出席、当社の役員は正装で参加していたが、真の主役は明らかにNKHさん、とにかく従業員80人程度の会社としては分不相応なパーティに、“これから”のエネルギーをもらったのは確かである。
社長を含む本社役員全員が出席、当社の役員は正装で参加していたが、真の主役は明らかにNKHさん、とにかく従業員80人程度の会社としては分不相応なパーティに、“これから”のエネルギーをもらったのは確かである。
(次回;初年度1985年の経営)
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