2014年9月25日木曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅰ部)-20


3.初年度1985年の経営-3;営業を学ぶ
7月にスタートした新会社の仕事は、年内はグループ向け業務でかなりの人材引当てが決まっていたが、次年度に向けての営業活動は即刻開始しなければならない。2年前からTTEC(東燃テクノロジー)システム部で手掛けてきた技術系の中核ビジネス、TCS(東燃コントロールシステム)関連はIBMとの協業で、実質的に我々が受け持っていたのは営業技術的な役割と、受注が決まった後の技術サービス(教育やソフト開発)なので、基本的に当面その延長線で継続していけばよい。これに対して事務系のビジネスは全く初めての取り組みとなる。しかも、マーケットとしてはこの分野の方が遥かに大きく、成長のカギはここにかかっている。如何にこの活動を進めていくべきか?
以前にも触れてきたことだが、親会社の東燃の顧客はエッソ石油とモービル石油の2社のみ。かつ両社の親会社が東燃の大株主で原油供給者でもある。従っていわゆる“営業活動”を日常的に自ら行う必要はない。規模の大きな子会社TSK(東燃石油化学)のお客さんはパイプラインでつながったコンビナート企業。数も少ないし契約は長期にわたる。つまりグループに営業文化が極めて薄いのである。顧客開拓をどう進めるべきか?営業のイロハから学び、試行していく必要がある。
企業化計画検討段階でもこのことは情報システム部内外で問題にされたが、TTECでの実績や予定しているパートナーの協力が期待できるという説明でその場は収まってきていた。しかし現実のビジネスを、主導権を持って推進するためには、自前の営業体制を確立することが不可欠である。
計画段階の詰めで出てきたのは「とにかく営業部を作ろう」と言うことである。情報サービス事業、特にシステム開発は基本的に人工仕事(一人の月当たり売上)である。SE以外の人員(オーバーヘッド)は役員を含めてミニマムにしたい。出来た営業部は、グループの汎用コンピュータの運用管理を行うシステムサービス課(ここは営業とは全く関係ないが、ソフト開発実戦部隊とは性格が異なるので組織管理上営業部に所属)、事務全般(人事・経理・総務)を担う事務課(課長を含めて3名)、それに営業第1課(技術系)、営業第2課(事務系)の4課構成である。部としてはそれなりに人数はいるのだが二つの営業課はそれぞれ課長1名のみである。第1課長はTTECシステム部で私の後任(営業)を務めていたYMTY)さん。第2課長は元情報システム部システム開発グループリーダーだったMTDさん。いずれも元々はSE(専門は化学工学、数学)だった人たちである。
初期の営業活動はやはり業界のリーダーであり、それまで東燃グループにシステムを納めていたIBMと富士通に学びながら顧客を紹介してもらったり、一部の仕事をまわしてもらうことからスタートした。両社の営業マンに同道し“門前の小僧”になって見様見真似で“営業”を体得していくわけである。そこにはメーカーとユーザーの関係で見てきた営業とは異なる様々な裏面があることが分かってきた。投資計画情報入手、顧客の意思決定構造分析(誰がキーパーソンか、反対者をどう扱っていくか)、確定予算や落札価格の推定、競合他社分析、これらのことに関わる顧客との人間関係構築、などがそれらである。技術・機能・価格それに会社の評判くらいでメーカーや機種を決めてきた技術者あがりのにわか営業にとって当に目から鱗の世界であった。「営業とはこんなに奥の深いものなんだ!」と。
特にIBMはこの一見バックオフィスと見える領域の活動を体系的に教育・訓練し、それを実戦に生かすと形が確り根付いていることに感心させられた。それに比べると日本企業は並べて属人的な要素が高く、専ら人間関係に傾斜した営業活動に学ぶことが多かった(これは当時の日本的経営下では効率的であった)。
営業文化の無い会社の初年度はこの面でのカルチャーショックを、営業に留まらず全社に知らしめ、“普通の会社”になる記念すべき年でもあった。

(次回;初年度1985年の経営;つづく;見えてきた顧客)


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